① 義理
数時間後。
午前零時を超えた頃、恭介達はハカモリの研究棟地下に戻っていた。
シカバネ町への大規模テロは終息し、町には破壊の跡だけが残されている。
「んじゃ、受け取るぜ」
「うん。霊幻、お願い」
「ハハハハ。任された」
清金が霊幻に命令し、リコリスをマイケルへ渡させる。
魂が抜けた様な表情を清金はしていた。
リコリスから不知火あかねの遺言を聞いてから、誰一人としてまともに口を開かず、ここまで戻っていた。
恐ろしい遺言だった。情念と諦観と執着がドロドロに混ざった言葉。
不知火あかねはアレを上森幸太郎に聞かせる気だったのだ。
「ハハハハ。京香よ、そろそろ吾輩への命令を解除しろ。でなければお前の所に戻れん」
カプセルに収監されるリコリスを前に霊幻が清金を見る。
結局、この場に至るまで清金は霊幻に掛けていた〝リコリスの傍に居ろ〟と言う命令を解かなかった。
「……ごめん。まだ解除しない」
「何故だ? 今回の事態がまた起きるとも限らん。吾輩はお前のキョンシーだ。お前の傍に置くのが適切な運用だろう?」
「それでも、それでも、ごめん。せめて、今回の会議が終わるまでは、傍に居て」
霊幻を見る清金の顔は酷い物だった。魂が抜けた様に覇気は無く、幽鬼の様に眼の光が薄い。
恭介の隣でその様を見るあおいもまた似た様な物だったが、清金よりはマシだった。
「先輩、僕はちょっと外で待ってます」
「あ、」
清金の返事を待たず、恭介はフレデリカと自分のキョンシー達を連れ、部屋の外に出た。
「……はぁ」
天井の光を見上げながら恭介の口から息が漏れる。
長い一日で、嫌な一日だった。
「おーほっほっほ。お兄様? 大丈夫?」
「ん。お前は眠そうだね。そろそろ帰れるだろうからもう少し頑張って」
シラユキが押す車椅子に乗ったフレデリカの頭を撫でる。何度もしたルーティンで少しだけ心が落ち着いた。
それでも少しだけだ。恭介の頭の中ではずっと清金の姿が思い出されていた。
不知火あかねの遺言を聞き終わった瞬間、恭介とあおいが支えていた清金の体からガクンと力が抜けた。
清金の目線は霊幻達から放されず、何かを言おうと手を伸ばすだけで、何も言えていなかった。
痛ましい姿だ。痛ましい有様だ。立てるように成るのに数分ほどを要した。
恭介は考える。それだけは昔からやってきた。
今、清金に自分は何をできるだろう。
背中を預けた壁の向こう。そこには清金とあおい、霊幻とリコリスが居る。
過去の役者が揃っていて、彼らの心はもうボロボロだった。
『恭介、お前には京香を支えて欲しいのだ』
数か月前、クリスマスの日に霊幻に言われた言葉が反響する。
その時、ガチャリと、部屋からあおいとアレックスが出て来た。
「あ、木下君、居た居た」
わざと明るくした声を出しながらあおいが恭介の向かいの壁に背を預けた。
「部屋には戻らないんですか?」
「うん。ちょっと、ね」
苦笑いをして、すぐ、あおいが「はぁ」とリノリウムの床にへたり込んだ。
「……お姉ちゃん、一言も私には言葉を遺してくれなかった、ね」
遺言のことを言っているのだろう。あそこには上森幸太郎への愛と諦観と執着だけが込められていた。
「……それは、きついですね」
素直に恭介はあおいの言葉へ頷いた。恭介も父と母の遺言は知らない。けれど、肉親が遺言を遺せなかったのと残してくれなかったのでは意味が違う。
「仲良し姉妹な、つもりだったんだけどなぁ」
タハハ、困ったね、とあおいが笑う。笑ってもどうしようもないことだ。けれど笑うしかないのだろう。
恭介は頭を回した。この場で彼女が求めているのは慰めで、それは確かに渡しても良い言葉だ。
見捨てられたとあおいは思ったかもしれない。
「遺す必要が無かったんじゃないですか?」
「……どういうこと?」
あおいに見上げられ恭介は眼を下ろす。
「仮に、不知火あかねはさっきの言葉の様な遺言しか残せない人で、それを自覚した人だとしたら、実の妹にはあんな想いを背負わせたくないんじゃないかって思うんですよ」
ただの仮定で、願望の様な物だ。
報告書やあおいから聞いていた不知火あかねの姿が先の遺言とは重ならない。
あれはきっと上森幸太郎の前でだけ見せていた不知火あかねの姿なのだ。
「遺さないことが、祈りに成ることだってありますよ」
そう言って恭介はフレデリカの頭を撫でた。
「……そっかぁ。うん、そうだと良いなぁ」
あおいは少しだけ右手で眼を押さえ、そしてすぐに立ち上がった。
「ありがとね。ちょっとだけ元気出た」
「いえ、出過ぎたことを言ったかもしれません」
「ううん。嬉しかった。ほんとだよ」
あおいは強がりでも笑顔を出せていた。
「ねえ、木下君、クリスマスの日のこと、覚えてる?」
「……ええ」
「私からもお願い。京香を支えて。今の京香はもう壊れちゃいそうだから」
泣きそうな顔で言われるのは卑怯にも思えた。
清金京香を支えてくれ。
何度か考えて来た問いである。支えられるかどうかではない。自分が彼女を支えることが本当に正しいのかどうかだ。
恭介は清金達の過去に何も関われていない。
ならば、立ち入るべきではないかもしれない。
――僕が先輩に踏み入って良い理由が見つからない。
そこまで考えて、恭介は傍らでこちらを見上げていたフレデリカに気付いた。
――あ。
思い至った。知っていたけれど、頭から抜けていた。
自分には清金へ返すべき義理があった。
「約束はできません。でも、一つ、義理は返します」
「……ありがとね」
あおいが涙を流す。感情の名前を恭介は問わなかった。




