⑧ 狂気の真実
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「不知火あかねの遺言」
リコリスの口から出た言葉に京香は喉が詰まり、あかねとの記憶が駆け巡った。
遺言。死者が遺した言葉。それがリコリスの中に記録されているというのだ。
疑問が頭に浮かぶ。リコリスの思考が幸太郎への愛に支配されている。それは分かる。一目瞭然で、だからこそ清金京香を恨んでいるのだ。
だが、それと同時に不知火あかねの遺言も思考しているとはどういうことか。
キョンシーの行動は単一的である。行動と思考は直結している。ロジックさえ分かれば行動から思考を再現できるというのが常だ。
ならば、何故、リコリスは今の今までこの遺言を話さない?
「ホムラ、ココミ、何でリコリスは、遺言を話さないの?」
答えを知っている筈の二人に京香は問うた。今すぐにでも理由を知りたい。そうするべきだと直感が働いていた。
京香の質問にホムラ達は直ぐには答えなかった。視線は彼女達の主、恭介へ向けられ、主からの許可を待つ姿を見せた。
「ホムラ、ココミ、答えてくれ。僕達も知りたい」
恭介からの許可にホムラが「ふん」と鼻を鳴らし、煩わしそうにこう言った。。
「遺言を届ける相手がもう死んでるからよ」
「……」
ジャリジャリジャリ! 京香の砂鉄が音を立て、地面へと落ちた。マグネトロキネシスの制御が乱れたのだ。
不知火あかねが言葉を遺す相手。京香には二人しか思いつかない。
一人は今恭介の隣に立つあおいだ。あかねの妹で、彼女に残されたたった一人の肉親。だが、あおいは生きている。
ならば、消去法で答えは決まっていた。
「幸太郎?」
「他に居ないでしょ。本当にこのキョンシーの有様は嫌いじゃないわ。ココミを煩わせるのだから大嫌いだけど」
「……」
やれやれとホムラがココミを抱く力を強くしながら出した言葉に京香は絶句した。
つまり、リコリスの遺言の相手は幸太郎ということに成る。それ自体は自然だ。あかねが幸太郎に言葉を遺さないはずが無い。
けれど、ホムラはこう言った。届ける相手がもう居ないから、リコリスは遺言を話さないのだと。
「ハハハハハハハ! 吾輩が間違っていた!」
霊幻が狂笑し、自身を恥ず様にその額へ手を当てた。
「リコリス、お前は狂気に落ち切っていなかった! お前は正しく認識していたのだ! 上森幸太郎が死んでいると! ああ、なるほど。騙された。騙されてしまったぞ」
ハハハハハハハハ。狂笑にリコリスの髪がピクリと反応する。
「そんな、ことって……」
リコリスは分かっていた。幸太郎はもう死んでいる。だから、彼女が遺言を届ける相手はもう居ない。
ならば、どうして、リコリスは霊幻のことを幸太郎とと呼ぶのだ?
ただ、狂気に堕ちただけだと、京香達は考えていた。狂った回路が霊幻を幸太郎として扱わせ、リコリスはそれに従っているのだろうと。
しかし、そうではない。リコリスの認識は狂っていなかった。幸太郎の死をリコリスは認識していたのだ。
「アタシを恨んだのは、仇、だから?」
あかねから幸太郎を奪ったからリコリスに恨まれていると京香は思っていた。それは正しくはあるだろう。だが、実際のリコリスの恨みはそうではない。
京香が幸太郎を死なせたから、仇として京香を恨んでいたのだ。
「先輩!」
「京香!」
クラリ。気付いたら京香は膝から力が抜けて倒れそうに成り、恭介とあおいに支えられていた。
「ごめん」
「ううん。大丈夫」
京香が纏った砂鉄に塗れたあおい達へ反射的に謝る。どうにか感覚が上手く分からない足に力を入れた。
「何で、リコリスは霊幻を上森幸太郎として扱うんだ?」
頭のすぐ上で恭介の声がした。
「……自分の認識を壊したのよ。壊してでも上森幸太郎が生きていると思いたかったの」
「……」
「そっか。でも、上森幸太郎が死んだという認識は変えられない。だから、リコリスは遺言を話せないんだ」
やるせない様な恭介の声を聞きながら、京香は地面から霊幻達へ視線を戻した。
霊幻に抱かれたリコリス。稼働は停止して、僅かに動く紅髪が霊幻へと伸ばされている。
その脳内では幸太郎への愛と遺言が嵐の様に流れている。
霊幻に告げられる愛は偽りだ。代替品を本物だと思い込んだだけの壊れた愛だ。
だけれど、そこに何の間違いがあるというのだろう。
――アタシの霊幻。
そこに居るのは京香の物だ。誰にも渡さない。そう決めた京香のキョンシーだ。でも、その言葉が上手く出ない。
「……ホムラ、ココミ、リコリスの遺言を再生して」
代わりに出たのは別の言葉だった。
「先輩、それは――」
「――お願い、恭介」
少しの間を持って「分かりました」と恭介は答えた。
死者の想いを暴く。聞くべき相手も居ないのに。
この遺言はリコリスに課せられた一番初めの役目なのだ。幸太郎の前で彼へ告げるはずの不知火あかねの最後の想い。
どうしようもなく京香は知りたくて、知らなければいけないと思ったのだ。
「ココミ、不知火あかねの遺言をリコリスに再生させろ」
マイケル作のコンタクトレンズ越しにココミの頭からテレパシーの糸が伸び、リコリスの頭に届いた。
カチリ。あおいの下げているバックから何か音が鳴る。
そして、数秒後、リコリスの口が開いた。
「えー、えー、テステス。声はちゃんと聞こえてるかな?」
その声はとても懐かしい不知火あかねの物だった。