⑦ 紅く花開く
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清金へ素体狩りの掃討が終了したことを伝え、恭介は「ふーっ」と息を吐いた。
「フレデリカ、平気か?」
「おーほっほっほ。ごめんちょっとまだ無理。吐きそうだわ」
「シラユキ、フレデリカを外に出してやれ。アイアンテディの仲よりはマシだろ」
「承知しましたご主人様」
アイアンテディは大の字で倒れている。どうにかここまでは動いてもらったが、フレデリカの三半規管はもう限界らしい。
シラユキがぐったりとしたフレデリカをアイアンテディから出す姿を横目に、恭介はホムラとココミを見た。
ココミはまだ頭を抑え蹲り、ホムラがこちらをキッと睨んでいる。
「お前達は大丈夫か?」
「うるさい。よくもココミに無茶をさせたわね。勅令まで使って」
「……」
「ごめん。でも、ああでもしなきゃ先輩達は止まらなかったろ?」
亜音速近くで動かされ、気絶しそうな程の吐き気に襲われながら、恭介は清金とリコリスの戦いを見た。
そして、すぐに理解した。清金は本気でリコリスを破壊する気だ。霊幻への独占欲、リコリスへの嫉妬、過去の後悔、自己嫌悪、思いつく言葉は無数にあるが、何かの決意を彼女はしていたのだ。
『木下恭介がココミに勅令する。リコリスを止めろ』
それは正しくないことだ。清金京香がしてはならないことだと恭介は思い、気付いたらココミへ勅令を出し、ココミはテレパシーを発動していた。
「でも、清金先輩がPSIを使ってる中でテレパシーを使わせるのはいけなかったな。ごめん。大丈夫かココミ? 損傷具合が教えろ」
「ちっ。ギリギリでどこも損傷してないわ。脳も無事。本当にうるさい。これ以上ココミの頭を使わせないで」
「……」
「分かった。ありがとう。しばらく待機。索敵は続けろ。それ以外は休んでいて良い」
ホムラはココミを抱き締め、壁に背を預けて地べたに座る。恨みがましくこちらを少し見た後、いつもの様にココミへ愛の言葉を囁いていた。
恭介達が居るのは清金達から二十メートル程度離れた倉庫の脇近くだ。
そこからは清金達が見えた。
港、夜の海をバックにして、清金が霊幻を見上げている。霊幻の腕にはココミに稼働を停止させたリコリスが抱かれ、清金が怯えた子供の様な顔をしている。
「京香……」
背後から声が聞こえ、恭介はピクリと振り返る。そこにはアレックスに抱えられた不知火あおいの姿があった。
「あおいさん。何でここに?」
無理のある体勢で無理あるの動きをしたのだろう。あおいは息を切らしていて、その眼は京香達に向けられていた。
「途中で霊幻達に会って、追いかけたの」
どうして? とは聞かなかった。あおい不知火あかねの妹で、上森幸太郎の妹分で清金の元親友だった。彼女が追いかけたいと望み、アレックスがそれに答えた。それ以上の議論の意味は無かった。
アレックスから降り、あおいが恭介の隣まで進み、それ以上は足を出さなかった。
「……行かないんですか?」
「うん。どうすれば良いのかは考えてなかったから」
汗で湿った青髪を整え、あおいが唇を閉じて清金達を見る。
恭介達はこの場で異物だった。清金、霊幻、リコリス、あおい、二人と二体がこの場の主役であり、恭介達は脇役ですらない。
『恭介、お前には京香を支えて欲しいのだ』
だけれど、あのクリスマスの日、霊幻から言われた言葉が恭介の中でこだまする。知るという不可逆性を知った上で、恭介は清金の過去を知ることを選んだのだ。
あの時の選択が恭介へ決断を迫っている。
「……先輩が酷い顔をしてますね」
「……」
漏れ出る様な恭介の言葉にあおいが唇を硬くする。
清金は酷い顔をしていた。あの上司は自分の前では強い姿ばかりを見せようとしていた。その張りぼては無残に壊れ、出て来たのは酷く自身の無い少女の様な女の顔だった。
――支えるか、支えないか。
フレデリカのことがあったから恭介は頭の脇に選択を追いやっていた。逃げていたと言っても良い。
清金は今にも崩れてしまいそうだった。張り詰めて張り詰めて、無理をして第六課主任を演じる彼女を誰が助けたというのだろう。
想像はできる。想像しかできない。恭介には考えることしかできなかった。
「……京香は」
「はい?」
唐突に傍らのあおいが声を出した。
「京香は、多分、コウ兄のことが好きだったんだって思うんだ、私は」
独白する様なあおいの言葉。まさか、と、やはり、相反する言葉が恭介の中から出て来た。
「……親の仇なのに?」
「うん。だから、京香はきっと認めないし、気付いても無いんじゃないかな」
悲しい様にあおいは眼を細めた。
清金京香の親、清金カナエを上森幸太郎が殺したという事実だけを恭介は知っている。仔細は知らないし、調べても出てこなかった。
重要なのは不知火あおいに清金京香から上森幸太郎への感情がそう見えていたという事実だろう。
「京香はね、お姉ちゃんのことが大好きだったんだ。世界で一番尊敬している女性って言ってたよ。お姉ちゃんみたいに成りたい。あの人みたいな大人に成りたいって」
「そうですか」
不知火あかね。第六課の前副主任。かつての第一課の拷問姫。どの姿を見て清金はそう言ったのだろうか。
何も分からない。分かるべきではないのかもしれない。
「ああ、京香、また、無理してる」
「分かるんですか?」
「分かるよ」
あおいの足が上がったり下がったりしていた。
今すぐにでも清金の元へ駆け付けたい。
でも、今の清金に何を言えば良いのかが分からない。
そんな感情が見て取れた。
恭介はフレームレス眼鏡を整え、ホムラ達に声を掛けた。
「みんな付いて来て。先輩達の所に行くよ」
「おーほっほっほ。お兄様、フレデリカはまだグロッキーよ~。三半規管がグルグルする~」
「ハハ。頑張れ。シラユキ、フレデリカを頼むよ」
「承知いたしました」
そして、恭介は京香の元へと歩き出し、一度、あおいの方を見た。
「来ますか?」
「……」
あおいは息を呑み、少しの逡巡を見せ、「うん」と踏み出した。
今、自分にできることはきっかけを与えることくらいだ。そして、それくらいならばやっても構わない行為だと恭介は思った。
恭介達は一歩一歩清金達へ近づいて行く。まだ、人数は多く、フレデリカのテレキネシスでズリズリと引き摺られるアイアンテディの音は夜の港に良く響いた。
けれど、清金の目がこちらに向けられることは無かった。恭介達に気付いているかも怪しい。
恭介は声を掛けるか迷った。清金の眼は霊幻達だけに向けられていて、霊幻もその視線に答え、リコリスだけが眼を閉じていた。
一歩一歩が重い。自分達は異物なのだ。
そして、恭介達が足を止めた。清金、霊幻とリコリスの間、どちらの視界からも見えて、どちらの視線の邪魔に成らない位置に。
隣であおいが口を開こうとしていた。きっと清金へ声を掛けようとしたのだろう。
「――コウちゃん」
だが、それよりも一瞬早く、リコリスから無機質な声が出た。
ピクリ。人間全員の息が止まりそうになり、キョンシー全員が警戒態勢を取った。
リコリスの眼は半開きで、まどろみの中に居る様だ。
「ココミ、どうなってる?」
「うるさい。停止はさせたわ。今だって止まってる。声が出てるのは只の反射機能よ」
「……」
苛立たしくホムラがリコリスを睨み、強く舌打ちした。
「ああ、うるさいうるさい。本当にうるさい。ココミがずっと苦しがってるじゃない。燃やしてやりたくてたまらないわ」
強くホムラがココミを抱き締めている。
「……ココミ、アタシに教えて。リコリスは、何を、考えてるの?」
清金がココミへ縋る様な眼を向けた。
「罰を受けたいのなら勝手にしなさい。ココミを巻き込まないで」
「……」
取り付く暇も無いホムラの言葉に清金が歯を強く噛んだのが分かった。
無機質なココミの瞳もリコリスに向けられている。頭を抑える手には力が入っている。それ程までにリコリスの思考はココミにとって不快なのだろう。
「このキョンシーは欠陥品ね。有様は嫌いじゃないけれど、ココミを苦しめてるのだから大嫌いだわ」
〝嫌いじゃない〟ホムラがココミ以外の他者他物に向けたあまりにも珍しい言葉に恭介は耳を疑い、こう聞いた。
「ココミ、リコリスは何を考えてる?」
ココミへの勅令はまだ生きている。命令を曲解することはできない。すぐにこのキョンシーは答えた。
「上森幸太郎への愛の言葉」
何だ。それだけかと恭介は思った。リコリスがそんな思考を持っているのは見れば分かる。ただ、エラーか何かで中途半端に覚醒しているだけなのだろう。
そう気を緩めようとした直後、「それと」と、ココミはこう続けた。
「不知火あかねの遺言」
今度こそ、この場に居る人間達全員の息が止まった。




