④ 陽炎の夢
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ホムラは夢を見ていた。
陽だまりの部屋の中で、ココミと二人きり。
膝に乗せたココミの頭を撫でながら、他愛の無いお喋りをしながら過ごす夢だ。
愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。
ホムラの言葉は要約してしまえばこの言葉だけに纏まってしまったけれど、ココミは黙ってこの言葉を受け入れてくれた。
――あの部屋。
背景も何もかもがぼやけているのに、ホムラは自分達が居る場所が、ココミと共に居たあの地下室であると認識していた。
愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。
――起きなきゃ。
急にホムラはそう思った。強迫観念の様に強烈な言葉として起床という命令が頭に浮かび、ココミを撫でる手が止まった。
ココミの瞼が開き、蘇生符の奥のボウッとした可愛らしい瞳にホムラの顔が映る。
(どうしたの?)
ホムラの頭の中にココミの声が響いた。
「え、ええ、何でも無いわ。ちょっと考え事をしていて」
(考え事?)
「何故かしらね、起きなきゃって思ったの。理由は分からないんだけどね」
ココミはテレパシーで、ホムラは肉声で。姉妹のお喋りはいつもこうだった。
ホムラの頭にはココミの事しか無かった。
髪の感触。肌の柔らかさ。黒曜石よりも美しい瞳。
それら全てがホムラにとってずっと特別だった。
ああ、何て愛おしいのだろう。痛い程の愛だった。愛おしさは止め処無く、ホムラの内からゆらゆらと逆巻いて、全身へと燃え移る。
(私は嬉しいよ)
「ありがとう、ありがとう、ありがとうね、ココミ。わたしもそうよ。あなたにわたしの想いがこんなにも伝わっているって思うと、それだけで胸が燃えてしまいそうだわ」
ホムラはココミからの思いを疑わない。それは機能であり、思考回路であった。
「ねえ、ココミ。何かしたいことはある? オネエチャンに何でも言って。一緒に色んなことをしましょう。今まで一杯我慢してきたんですもの。それくらい許されるはずだわ。あ、そうだ、花畑を見に行くのはどう? とても綺麗らしいわよ」
(おねえちゃんと一緒なら、何でも良い)
「可愛いことを言ってくれるわね。わたしもそうよ。ココミと一緒に居られるのなら、他に何も望まないわ。でもね、それでもね、ココミ、折角居るのだから色々な物を見て聞いて体験するのは良いことだと思うのよ。想像してみて。満開の花畑、きっと赤や黄や紫や、色とりどりの花があるのでしょうね。花畑の中でわたし達は寝転ぶの。フワッて花が舞って、青空が見えるわ。花冠を作ってあげる。わたし作るのは得意な気がするの。ね? 素晴らしいと思わない?」
(うん)
「でしょ? 二人きりで二人だけで色んなところに行きましょう。海に行って、山に行って、川に行って、洞窟に行って、何処へだって行けるんだから」
ホムラはココミの頭を撫でながら、幸せな未来地図を広げる。
――起きなきゃ。
「……?」
まただ。また、ホムラの脳裏で声が聞こえた。
ホムラは頭を振って、声を掻き消した。
今、ココミと話しているのだ。それ以上に大事なことがあるだろうか。
そもそも、起きるとは何だ? 今、自分達は起きているではないか。
夢の中でホムラは愛しいココミと会話する。
愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。
言葉は風船の様に柔らかで、気付いたらホムラはこんなことを喋っていた。
「ねえ、ココミ、わたし達はここから始まったのよね」
(うん)
「あなたと出会えた時、わたしはわたしの意味を見つけたの。あなたを守って、あなたと一緒に、どこまでもいつまでも一緒に居るために、わたしは居るんだって思えたのよ」
(知ってる)
知ってる。そう知っているのだ。ココミはホムラとの出会いを覚えているだろうし、ホムラがココミへそう思ったことも伝わっているのだ。
わざわざ口に出す必要は無い。けれど、言葉にする意味はあるのだ。
自分がどれだけココミを愛しているのかが、テレパシーで十全に伝わっているとしても、それはココミのPSIの力だ。
愛を伝えるのだ、自分の力で。それが拙い物で、間違ってしまうとしても、自分に持てる全てを賭けて心をくべて、身を焦がし、想いを燃やすのだ。
そうでなければ、愛ではない。
――起きなきゃ!
「ッ」
叫び声が脳を揺らした。ズキッとした痛みが走り、視界の半分がノイズで埋まる。
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
視界が揺れて、ココミの顔の半分が白黒の砂嵐で隠された。
(おねえちゃん?)
「大丈夫、大丈夫よ、心配しないで。わたしはあなたの側から離れないから」
頭を振り、強めの瞬きを数度。視界に塗れる砂嵐は消え、元のクリアな世界に戻った。
「あなたと出会ってからわたしの世界は明るいの。色んなことをしたわね」
(おねえちゃんと飲んだジュース美味しかった)
「そうね、美味しかったわね、あのオレンジジュース。ここで飲まされていた神水とは比べ物に成らないわ。また、買いに行きましょう。あの自販機なら売っているかしら?」
(うん)
ホムラの脳裏に何度も訪れた飲料の自動販売機の姿が浮かんだ。
味覚は無かったけれど、ホムラは確かにあのジュースを美味しいと感じたのだ。
「ええ、他にも美味しい物があるらしいわ。食べたり飲んだりしてみましょうよ。折角わたし達は外に出たんだから」
この言葉が火花だった。言葉の火花が記憶の導火線に火を付ける。
自販機、サファイアのベッド、シカバネ町、逃亡。記憶の連爆がホムラの中で起きた。
焼けて溶け落ちた、虫食いだらけの記憶の花火がホムラの中で開いていく。
――起きなきゃ!
「……ああ、そう。これは夢なのね」
ホムラは自分が陽炎の夢の中に居ると分かった。
ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
白い部屋が炎に包まれた。情景はホムラとココミの逃亡の始まりの光景だ。
(おねえちゃん?)
「ココミ」
妹の頭を撫でる。感触も温もりも愛しさも、何もかもがホムラの記憶のままだ。
――起きなきゃ!
声が響く。ノイズが生まれる。
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
ジジジジジジジジジジジジジジ! ジジジジジジジジジジジジジジ!
「ああ、そう、そうなのね」
この叫びは自分の物だったのだ。
理由は分からない。何があったのかを思い出せない。
けれど、自分が叫ぶのはココミのため以外にありえない。
「ココミ、おねえちゃん、行ってくるわね」
(だめ、だよ)
ギュッとココミの小さな手がホムラの手を掴む。
行かないで。ここに居て。そんなことをココミは思ったのだろう。
――起きなきゃ!
「あなたは、わたしを守ろうとしてくれたのね」
ホムラは認識した。頭に走る痛みは防衛反応だ。
起き上がるな。目覚めるな。このままで居ろ。
今、起きてしまえば、炎はホムラの何か決定的な部分を燃やし尽くしてしまうだろう。
ホムラは迷わなかった。
「大丈夫。おねえちゃんは、最強なのよ?」
ホムラの蘇生符が強く赤く輝く。明るさは今までで一番強く、痛みが炎の様に駆け巡る。
(いっちゃうの?)
どうすればこの夢から醒めることができるのか、何故だかホムラは分かっていた。
「ええ、わたしがココミの側に居たいのよ。ごめんね?」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
獄炎がホムラの世界を包む。
ココミ以外の全てに炎が生まれた。ホムラ自身も例外では無い。
ホムラは炎に焼かれる痛みと共に甘い夢の中で眼を閉じた。
 




