⑦ 死を捧げる
「話を戻すぜ。何でキョンシーに成りたい?」
「私ね、ずっとずっと、できるだけ長くコウちゃんと一緒に居たいんだ」
「人間とキョンシーは違うぞ。同じ脳を使っていても、生前の記憶を記録として共有しているだけだ。お前がキョンシーに成ったとして、そこにあるのは不知火あかねじゃない」
「うん。そうだね。分かるよ。何度も見てきたから」
そうだ。知っているはずだ。あかねは何度もキョンシーを見てきている。その中には生前の姿を知る物もあっただろう。
マイケルは現場の人間ではないから、もしかしたらあかねの方が人間からキョンシーへの変化は地続きではなく、明確な断絶があることを理解しているかもしれない。
故に、あかねの言葉がマイケルには良く分からなかった。
「お前が幸太郎と長く一緒に居たいってのは分かるぜ。そういう事情に鈍い俺でも分かる。だが、なら、何でキョンシーなんだ?」
あかねが「うーん?」とどう答えるのかを悩む素振りを見せた後、言葉を続けた。
「多分なんだけどさ、私はコウちゃんよりも先に死んじゃうって思うの。私はコウちゃんと違って人類最強でも何でも無いし」
「怪我の頻度も大きさも幸太郎の方が遥かに上だぜ。なら、幸太郎が先に死ぬって心配をした方が良いじゃないか?」
「それは良いの」
切り落とす様な冷たい声にマイケルがギョッと強張った。
「コウちゃんが死んだら、私もすぐに死ぬから。それは良いの」
当たり前の事実の様に語られる言葉。決定事項なのだろうとマイケルは悟る。
「でも、私が先に死んじゃって、コウちゃんの隣に私が居ないのは、どうしても嫌なんだ」
何処までもあかねの眼は本気だった。正気な様で確かに狂っている。
「だからさ、マイケル、私が死んだら私を使ってキョンシーを作って、コウちゃんが使える様な、コウちゃんを助けられる様な、そんなキョンシーを」
「……だからフルモデル品が良いのか」
「うん。戦っている途中でどんどん違うパーツと差し替えられちゃうと思う。それは諦めれる。でも、最初にコウちゃんの隣に立たせる死体の私は、全部私を使った物であって欲しい」
どうかな? とあかねはマイケルからの返事を求めた。
「ちょっと考える。待ってろ」
マイケルは額に手を当て、思考を回す。
無茶な願いだった。不知火あかねの素体を使ってフルモデル品のキョンシーを作れ。ああ、なるほど、それ自体は簡単だ。自律型、他律型、どちらに成るかは運だが、既存の技術を使えば可能である。
だが、上森幸太郎が使える様なキョンシーにすると成れば話は別である。
不知火あかねの素体ランクはD+。シカバネ町でのランクだから、世界で見てもトップクラスであろうが、それはパーツ単位での話だ。
勿論、PSIの発現は確率だから、この素体ランクでも高出力なPSIが発現する可能性はある。けれど、それは限りなく低い。
「お前を使ってもせいぜい作れるのは第一課が使えるレベルの汎用キョンシーだ。それじゃ嫌なんだな」
「うん。絶対に嫌。どうしてもコウちゃんの傍に居たいの。どんな風に私の体を改造しても良い。どんな姿に成っても良いからコウちゃんが使える様なキョンシーにして欲しい」
言葉を初めから用意していたのだろう。あかねが澱みなく死後の自分の取り扱いについて口にする。
では、D+の素体を使って非PSIキョンシーができたとして、それをどう改造すれば上森幸太郎が使える様なキョンシーに成る?
あの人類最強と並び立たせるには一流のPSIキョンシーでも一歩劣ると言うのに。
マイケルの頬が上がった。非PSIキョンシーで一流PSIキョンシーを超える戦闘能力を持たせる。良い研究テーマだ。そういうテーマを見付けられるのは研究者として幸運なことだった。
「いくつかプランを考えてみるか」
「ありがとう、マイケル、お願いね」
***
「と、まあ、こんな風にあかねは俺に言ってきたわけだ」
マイケルから語られた姉の昔話にあおいは口を塞いでいた。
マイケルの口から語られるあかねの姿はあおいが知っている物とは少し違っている。けれど、腑に落ちることもあった。
「コウ兄と一緒に居るためってお姉ちゃんは言ったんだね」
「ああ、死体でも良いから一秒でも長く幸太郎の隣に居たいんだってよ。おかしい願いだって分かっていたのかね」
困り眉を浮かべるマイケルの肩を傍らに座ったメアリーが擦っている。
マイケルがこういう姿を見せるのもあおいにとっては意外だった。
「それで、マイケルさんはお姉ちゃんをリコリスにしたんだね」
「ああ。俺だけの力じゃ無理だったからアリシアも巻き込んだけどな。脳波と細かな筋繊維で制御できる無数の髪。そこに入れたナノカプセルが割れることで無機有機問わず溶かす劇毒を流し込む。我ながら傑作だと思うぜ。」
聞くだけでめまいがする程凄まじい話だ。あおいはまだリコリスの姿を直接見たわけでは無い。だが、聞くところによると並みのPSIキョンシーならば完封できる程の能力を持っているという。
「それも、お姉ちゃんが望んだの?」
「ああ、そうだ。素体に成った自分をどう改造するのか何度もあかねとは話したよ」
気分を落ち着けるため、あおいはコーヒーを一口飲んだ。砂糖とミルクを入れたが、それでも苦い。
ここまで聞いてもあおいは信じられなかった。あの姉がそんな願いを残していくなんて、記憶の中の姿とは重ならない。
「お姉ちゃんの遺言書は残ってる? マイケルに渡したって珠華先生から聞いたの」
「珠華? ああ、ヒガンバナの委員長か。残ってるぜ。俺が貰った分だけだがな」
マイケルが立ちあがり、部屋の奥に行って少しして帰ってきた。
「これだ」
渡されたのは手書きの手紙である。A4一枚で、姉の文字で今マイケルが話していた内容がまとめられていた。
「遺言書はこれだけだった? 私やコウ兄宛の物は無かったの?」
「……幸太郎宛のはあった。お前宛のは知らないな」
「……そうなんだ」
姉は自分には言葉を残してくれなかった様だ。それが堪らなく悲しく、涙が出そうに成る。
しかし、あおいはマイケルとの話を続けた。泣くためにここに来たのではない。
「コウ兄宛の遺言書は何処にあるの?」
「……遺言書って形では残して無いんだ」
「動画とか音声ファイルってこと? じゃあ、それは何処にあるの?」
聞いたからと言って意味は無い。聞くべき相手も死んでいて、それが届くことはもう無いのだ。
けれど、姉が遺した言葉をあおいは知りたかったのだ。
「それが、少しな、面倒な所にあるんだ」
マイケルが自分の腹を二三叩く。
「実はな、俺も幸太郎宛の遺言がどんな内容かは知らないんだ。誰にも教えないってあかねが言ってたから、遺言を作っている時、俺は違う部屋に居た」
勿体ぶった言い方だ。マイケルの言いぐさにあおいは眉を顰める。
そして、数瞬の沈黙の後、マイケルはあかねが遺した幸太郎への遺言の在処を教えた。
「遺言はリコリスの頭の中にある。幸太郎が『●●●●●』って言った時、遺言を再生する様に俺がプログラムした」
「……うん、確かにそれは、面倒な所にあるね」
あおいは頷く。ああ、なるほど、そうか、と納得もした。
あかねは、あおいにとって最愛の姉は、自分の死の全部を幸太郎へ捧げたのだ。