② 鉄塊の波
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京香はハカモリの人員三人とキョンシー三体と研究棟の窓から上がる黒煙を眺めていた。
耐熱設備が整った研究棟の外壁は傍目から見れば変わりなく、綺麗なままだ。
「あいつの無茶はどの程度で済むかしら」
霊幻の左半身は金属が激しく露出し、左腕は捥げたままだ。すぐにでも治療したい。
けれど、こういう時、京香は霊幻が壊れても構わないかの様な命令を出すことがあった。
霊幻が突撃してもう十分。長くとも後十分で帰ってくる様に京香は命令を出していた。
「嫌ねぇ。アタシが見ていない所で霊幻を戦わせるのは」
やれやれと首を振った京香へ、傍らに立っていた第四課の一人が彼女へと問い掛けた。
「霊幻をいつもあんな感じに自由にさせてるんですか?」
「そうね。言っても聞く奴じゃないし」
――アタシが変なんでしょうねぇ。
キョンシー使いの大原則。キョンシーに戦わせろ、ただし、手綱は握れ。
霊幻ほど自己の主張が強いキョンシーはほとんど居ない。あんなの暴走だ。普通なら薬物やメスで脳を調整し、自己を希釈する。
そうするのが当たり前なのだと、京香はシカバネ町に来て初めて知った。
「あんた達のキョンシーはどう? まだ大丈夫?」
京香は三人と三体へ目を向ける。テレパシーから人間を守るために対策局のキョンシーはエレクトロキネシスを使い続けている。研究棟への攻城戦を開始してから既に一時間。代わる代わるとは言え、キョンシー達の頭にはかかる負荷は膨大だ。
「まだ大丈夫ですね。大分寿命は縮んじゃいましたけど」
三体のキョンシーの目は充血し、小刻みに揺れている。遠からず脳が壊れるだろう。
「治せる?」
「今ならまだ直せます。そんな余裕は無いですけどね。そもそも主要な治療施設である研究棟が奪われている訳ですから」
「そうよね。時間も余裕も、意義も意味も無いもの」
このキョンシーらは名前を与えられていない雑兵だった。世界中から集めた使い捨てのPSI装置。もしも、彼らに意思や痛覚があったのなら、痛いと叫ぶだろうか。
そんな無駄な思考をして、京香は視線をキョンシー達から外す。
何故、PSIという物が発現したのかを京香は知らない。世界中の研究者達が解明せんと日夜魂を削っているが、京香が生きている内に答えらしき物が出ると思えなかった。
「できることは、できるのよ」
京香が知っていることはそれだけ。実感を持ってそれだけは断言できるのだ。
「え? 何か言いました?」
「独り言よ。気にしないで」
キョンシー達の真っ赤な眼を見た後、京香はトレーシーの引き金をポンポンと叩いた。
今自分にできることは、するべき仕事は、この事態の終息。
ハカモリの切り札が第六課。その現主任が京香なのだ。
ハハハハハハハハ! 霊幻の高笑いが聞こえた気がした。
「さっさと戻ってこないかしら」
霊幻が負けると京香は考えていなかった。
設置型のパイロキネシストという籠城戦において最強のキョンシーが相手と言うのが懸念だが、室内戦が得意なのは霊幻も同様。余程の隠し玉があれば話は別だが、あったとしても霊幻が負ける未来を京香は想像できなかった。
京香は「ふー」っと小さく息を吐いた。
その瞬間、眉の根と、首の付け根と、そして額に掛かる強烈な緊張を京香が襲った。
――ん?
「全員、構えて。何か来る」
「え?」
「早く」
突然の指示に、三人のキョンシー使いは戸惑った。当たり前だろう。指示を出した側が理由を理解していないのだから。
「シャルロット、全員に通信を繋いで」
理由を探す前に京香はシャルロットを起動し、通信が繋がった側から指示を出した。
「総員警戒体勢を敷いて。周囲一帯を索敵しなさい」
『俺の所で確認する。少し待て』
京香の突然の指示に対して関口が対応した。
「な、何が起きてるんですか?」
「分からないわ。只のアタシの勘だもの」
関口からの返事はすぐに来た。
『おいおいマジか。全員何処でも良い。高い所に上がれ。今すぐにだ』
すぐに京香は屋上から周囲を見渡し、眼を見開いた。
「ワーオ」
ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ! ブオオオオオオオオオオオオオオオ! ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
「な、何ですかアレ!?」「自動車、重機、ヘリコプター!?」「何だそりゃ!?」
世界に鉄塊の波が押し寄せていた。
電気自動車、多種多様の土木重機、そして四十数のヘリコプターに小型飛行機。
京香の視線の先、対策局の研究棟へ三百六十度全方位から車輪やプロペラを持ったありとあらゆる機械が迫り、地上と空に群がっている。
IOTで厳密に制御されているはずの機械達は本来の精密さに見る影も無く暴走状態だ。
「テレパシストってこんなことも出来るの? ヤバイわね」
可能性としては上げられていた。監視カメラをピンポイントにジャミング出来るのなら、IOT機器で制御された機械も操れるのではないか。
「それにしたっておかしいですよ! このテレパシストのPSIどんだけの射程があるって言うんですか!?」
鉄塊の波は研究棟の周囲まで到達して複雑怪奇な渦を巻く。
自動車、重機、ヘリコプター、それぞれの動きは完全に同期し、一切の衝突を起こさずに京香達が先程まで居た地上を覆い隠した。
ブルルルルルルルル! ブルルルルルルルル! ブルルルルルルルル!
車輪とプロペラが回る音がする。鉄塊の波は地上での人間の存在を許さなかった。
「どうしようかしら?」
眼下の機械達は軍事用の物ではない。更に運転席は無人であり、自動操縦で動いていた。
『テレパシーを応用して自動制御をハッキングしたんだと考えられます。逆手に取られましたね。まあ、あの出力で動かすなら半日もすれば充電切れで停止すると思いますが』
シャルロットから長谷川の声が聞こえる。
『半日も此処で待機かよ。悠長に待っている時間はあんまり無いぜ? 研究棟に居る奴らはどうするんだよ?』
「一階に居るエレクトロキネシストの数は?」
『十体だ。固まって少しでも長持ちさせる様に指示を出している』
研究棟の一階で陣を引いていた第四課と第五課の人員達が最も危険である。
絶え間なく襲ってくるテレパシーに対処するためには、継続的にエレクトロキネシスで網を張る必要がある。残り十体では持って二時間といった所か。
助けを出したくとも生半可な実力では鉄塊に巻き込まれ即座にミンチと化す。
『ウザってなぁ。俺の爆弾でぶっ壊してやろうか?』
『数足りるんですか?』
『足りねえな。半分くらい破壊できれば良い方だ』
関口の二色爆弾ならば下の機械達をスクラップにすることは容易い。だが、半径百メートル強にまで広がった流動する鉄塊達に対して、二色爆弾では攻撃の範囲が足りなかった。
『ちっ。コチョウが居ればこういう時便利なんだが』
『範囲攻撃に関してエアロキネシスはトップですからね。僕もイルカを連れてくれば良かったかもしれません。まあ、イルカじゃ糸の力場に操られちゃうんですけどね』
関口と長谷川が解決の糸口をああだこうだ話し合っている横で、京香が手を上げた。
「アタシが行きましょうか?」
『考えている。少し待て』
水瀬も最終手段を行使するのかを迷っている様だった。
――アタシなら突破できる。でも、それは相手にバレているはず。どういうつもり?
京香は自問する。自分の思考にフォーカスしているかどうかは定かでは無いが、清金京香という人員の能力をテレパシストは知っているはずだ。
「誘い込まれているのか。はたまた、考え無しか。どちらにせよ霊幻が帰って来ないと話が進まないわね」
霊幻でもこの包囲網を突破できるだろう。後、五分もすれば帰ってくる時間だった。
――とりあえず準備だけはしておこうかしらね。
京香がそんなことを考えていた正にその時、
ゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロゴォロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
激烈な稲妻の音。即座に眼を向けると、研究棟四階の南側の壁に大穴が開いていた。
大穴からは煙が上がり、炎が見える。その穴より、一つの影が見えた。
「あいつ、何やった?」
立っていたのは霊幻。合成皮膚の大部分が焼け、金属パーツが太陽光を反射している。
そんな京香の相棒が、高笑いを上げながら大穴より飛び降りた。
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
遠くて音は聞こえないはずなのに、京香の耳に霊幻の笑い声が木霊する。
「……はぁ。無理はするなって命令も出すべきだったかしら?」
溜息を吐いて京香はシャルロットを介してハカモリ全体へ宣言する。
「第六課、清金京香、これより突撃します」




