① 花を折ったのは誰なのか?
午前零時。シカバネ町、東区と中央区の境、キョンシー犯罪対策局研究棟地下。
京香もまともに来たことが無い様な隔離区画の奥近くの部屋。
全身を金属製の拘束具で固定されたリコリスが薄紅色の液体で満たされたカプセルの中で浮いていた。
液体の中でリコリスの髪は浮かび上がり、その顔がハッキリと見えた。
蘇生符が貼られているが、眠る様に瞳を閉じたその顔は見間違い様も無く不知火あかねの物だった。
部屋には京香、霊幻、恭介、マイケル、メアリーの五人が居て、部屋に入ってから全員が口を閉じていた。
リコリスの撃退の後、モーバ対策会議は続行された。表向きには清金京香捜査官が適切に脅威を処理したことに成ったからだ。
今日の会議で何を話したのか京香は何も覚えていない。黒木が何度かサポートに回ってくれていた気がする。
それらについて反省する余裕も京香には無かった。
京香の視線はジッとカプセルの中のリコリスに向けられている。京香が空けた腹の穴は補肉材で埋まっていて、破壊された脊髄の入れ替えも済んでいる。
既にリコリスには傷一つ無く、蘇生符さえなければあの日のあかねの姿のままだ。
どれだけの間、沈黙していたのか、京香は背後のマイケルへ絞り出す様に声を出した。
「マイケル、説明して」
声は硬く、静かな地下室に良く響いた。
説明を京香は求めていた。一体、このキョンシーは何なのか。どうしてこのキョンシーが不知火あかねと同じ顔をしているのか。
モーバ対策会議の中、いくつかの可能性を京香は考えた。たまたま、何かの意図があって不知火あかねの顔を使っているとか、実は自分の見間違いとか、楽観的に考えられる要素は無いかと勝手に頭は思考して、そのどれもがすぐに否定された。
「リコリスに使われている素体は、あかねさんね。だって、このキョンシーは霊幻のことをコウちゃんって呼んだんだもの」
コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん。耳の中でリコリスの声が残響している。この呼び名を何度も京香は聞いていた。聞き間違えるはずが無い、不知火あかねが上森幸太郎へ使っていた特別な呼び方だ。
「何であかねさんがキョンシーに成ってるの?」
再度、京香は問い掛ける。あかねの死体を京香は見た。葬式も行い、ガラガラと運ばれていく姿も見た。
あの時、京香はあかねの素体はバラバラに解体され、世界中へ出荷されると考えていた。そうなるはずだった。あかねの素体ランクは
決して高い物ではない。全てのパーツが残っている価値は何も無かったからだ。
だというのに、今ここにリコリスとしてあかねが使われている。
何故? 誰が祈って、このキョンシーは生まれてしまったのか。
「……リコリスはあかねの依頼で俺とアリシアで作ったキョンシーだ」
「あかねさんが? どうして?」
「そこまでは分からねえ。だけどな、死んだ後の自分の体をあいつは予約してから、俺の所に来たよ。死んだ後も幸太郎の傍に居たい。だから、幸太郎の役に立てるようなキョンシーにしてくれって」
――幸太郎の役に?
あかねの顔が京香の脳裏に浮かび上がった。幸太郎を彼女が愛していたのは誰が見ても明らかだった。
それでも、京香には信じられなかった。京香が見てきて、憧れた不知火あかねという女性は生と死を綺麗に切り離した価値観を持っていた人だった。
「霊幻、幸太郎はこのことを知っていたの?」
「記憶には無い。吾輩がリコリスの存在を知ったのは、ゴルデッドシティでの戦いの時だ」
「アタシに、黙ってたんだ」
言い訳を霊幻は口にしなかった。
ゴルデッドシティでリコリスと出会っていたというのなら、何故今まで自分に黙っていたのか。言いたいことが幾つも出てきて、それらは全て言葉に成らなかった。
「俺とアリシアはあかねと何度も話したよ。お前の素体ランクじゃ幸太郎の隣に立てる様なキョンシーにはならない可能性が高い。精々第一課で使ってるキョンシーレベルに成るってな」
当時のマイケルとアリシアの顔が眼に浮かぶ。彼らは技術に関しては嘘を言わない。誠実に根拠を持ってあかねへ話したのだろう。
もしかしたらそれは説得と言っても良いかもしれなかった。
「でも、あかねは俺達に言ったよ。それは嫌だ。どうしても幸太郎の傍に居たい。どんな風に自分を改造しても良い。どんな姿に成っても良いから幸太郎が使える様なキョンシーにしてくれって」
だから、か。と京香はリコリスの髪を見た。全てを溶かすという毒の髪。これがマイケルとアリシアが施したリコリスの改造なのだろう。
「俺とアリシアはあかねの願いを聞いたぜ。断る理由は無かった。俺達は実現したい技術が山の様にあったし、所有権を持つ素体本人が望んだんだ。日本語で言うなら渡りに船ってやつだ」
ハハ、とマイケルが自分の腹を叩いて笑い声を上げた。
そこまで聞いても京香には信じられなかった。
『人間とキョンシーはね、どうしても違う物なんだよ。どうやっても人間はキョンシーには成れないんだ』
あかねは言っていた。そうハッキリと京香に言っていた彼女がそこまでの執着を持ってキョンシーに成ったのだ。
「あかねをどうやって改造するのか、それが決まるのに半年かかった。その時にあかねが自分を使ったキョンシーにリコリスって名前を付けたのさ。何を祈ったのかは分からんがな」
リコリス、日本語で言うのなら彼岸花。込めた祈りは分からない。
「あかねが死んでから素体を俺とアリシアは回収してリコリスを作り始めたよ。完成するまで誰にも言うなってのもあかねの遺言だった。バレたら幸太郎が止めに来るからって言ってたな」
「間違いないな。吾輩の記憶通りならば、上森幸太郎は不知火あかねの体が死後も戦いに使われることを望まんよ」
「あかねは言ってたよ。リコリスに成った自分を幸太郎に届けてくれ。幸太郎はそうなってしまった自分を使ってくれるからって。だけど、幸太郎はリコリスの完成前に死んじまった」
懐かしむ様に、惜しむ様にマイケルが息を吐いた。マイケルがこの様に息を吐く声を京香は初めて聞いた。
霊幻の補足や、マイケルの声に京香の胸が締め付けられる。自分が責められている訳ではない。だが、責められていると自罰してしまうのだ。
――あかねさんも、幸太郎もアタシの所為で死んだんだ。
京香は眼を伏せる。リコリスが誰に望まれ、どの様にして生まれたのかは分かった。そして、その祈りを壊したのは他ならぬ自分だったのだ。
だから、リコリスは狂ったのだろう。不幸にも発現した自律型としての意識、果そうとした祈り、望まれた役目、その全てが生まれた時には無くなってしまったのだ。
最後に京香は問うた。
「何で、アタシに黙ってたの?」
リコリスを見たまま、背後の者達へ投げた問い。答えは分かっていた。
「……お前の精神状態が不安定だったからだ」
マイケルの答えはとてもシンプルで、その通りで、京香は何も言い返せなかった。