⑧ 憧れの人
手加減はできなかった。そもそも、今の京香ではPSIを手加減して使えなかったし、既に攻撃の予備動作は全て終了していた。
結果、亜音速で放たれた鉄球はリコリスの腹を貫いた。
京香へと伸ばされた毒々しい紅髪は、鉄球の運動量を受け、撃ち飛ばされるリコリスと共に、京香の前方へと飛んでいく。
京香が狙ったのは頭で、当たったのは腹だった。キョンシーにとって致命傷でも何でもない。
好機だった。敵は吹き飛び、体勢を崩した。今すぐ追撃すれば、何の苦労も無く敵を撲滅できるだろう。
「……え? 何で?」
しかし、京香の体は鉄球を放った体勢のまま固まっていた。
目の前で起きたこと、たった今、目にしたものが信じられず、信じたくなかったのだ。
腹部を大部分失っても、リコリスの動きには変化が無かった。
「お前が、お前がお前がお前が居たから!」
紅髪で地面を掴み、数十メートル先から一気に京香へとリコリスが迫り来る。
速い。だが、直線的だ。体に染みつかせた動きで京香はトレーシーの銃口をリコリスへ向ける。
もう一度、もう一度鉄球を撃てばリコリスの撲滅は完了する。周囲に張り巡らせた磁場のレーダーが眼では追えない程の動きをするリコリスの体を完全に捉えていた。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね」
呪詛の様な殺意を持ってリコリスがこちらへと向かって来る。風圧に晒され、髪が上がり、その眼が京香を射貫いた。
京香の体はすくみ上がってしまった。聞きたくない言葉と向けて欲しくない視線が京香の肺を止めて心臓を締め付ける。
視線がブレた。リコリスが何処に居るのかは分かるのに、そこへ意識が向けられない。
ほんの少し引き金を引く様に鉄球へ印加する磁場を強くすればリコリスへ攻撃できると言うのに、子供の様に体は固まり、その引き金を引けなかった。
ボタボタボタボタ。京香が空けた腹の穴から薄紅色の血が落ちる。
その事実でさえ、自分を責めている様で京香は上手く動けなかった。
「京香!」
雷の様な霊幻の声でビクッと京香の肩が上がる。
既にリコリスは目と鼻の先、反射的な反撃をしようとする体を、京香は無意識に止めてしまう。
今度こそ、リコリスの髪が京香へと伸ばされた。憎悪に染まった眼、死を願う呪詛を吐く口、京香という存在を何一つ許さないとでも言うかの様な彼女の全てが京香を追い詰める。
「止めろ!」
バチバチバチバチバチバチ!
強烈な紫電を全身に纏った霊幻が京香とリコリスの間に体を割り込ませる。
リコリスが眼を見開いて霊幻に当たろうとしていた紅髪を引っ込めようとした。
対して、霊幻の拳には既に最大限の紫電がチャージされている。
霊幻は自身の放てる最大限の攻撃で、リコリスを破壊するつもりなのだ。
想起される一瞬先の未来、京香の口から声が出る。
「やめて」
弱々しい声。音声命令にも成っていない。だが、霊幻の耳には届いたのか、拳の紫電が勢いを緩めた。
「すまん」
それだけ言って霊幻が拳を放つ。
抱き締める様に腕を伸ばしたリコリスの胸へと、霊幻の拳が突き刺さり、紫電のエネルギーが解放された。
バッチィィイイィィイイィィイイィィイイィィイイィィイイィィン!
耳に届く紫電が弾ける音、放物線を描いて地面へと落ちるリコリス、全身から力が抜けて京香は地面へとへたり込んだ。
リコリスはまだ動いていた。驚異的である。電撃対策はされている様だった。
けれど、霊幻の攻撃をまともに喰らった体は上手く動かない様で、散った花弁の様に紅髪を広げ、天を仰いでいた。
――何で? どうして? あの人が?
京香の思考は纏まらなかった。過去の記憶と現在の姿が行ったり来たりで脳裏を過ぎる。
その中で霊幻の行動だけが酷くキョンシー的だった。
バチバチバチバチ。紫電を全身に纏ったまま、霊幻がリコリスへと足を進める。破壊する気なのだとすぐに京香は理解した。
「やめて!」
針を刺した様な声が喉から出て、霊幻の足が一瞬止まる。
「了解した」
返事は短く、霊幻がリコリスの近くで足を止める。拳は握り、臨戦態勢のままだ。
京香の息が浅くなっていた。強烈なストレスが全身を苛んでいる。
だけれど、PSIは途切れることなく、ジャリジャリジャリジャリと砂鉄と鉄球はその周囲を周回していた。
「先輩!」
ドタドタドタドタ!
コンクリートの床を踏み割りながら、アイアンテディに乗った恭介達が到着した。
アイアンテディから着地した恭介が京香の隣に立ち、状況を見る。
「……リコリスの顔を見たんですね?」
「きょう、すけ? あれ、なに?」
京香は呆然と恭介を見上げる。恭介はあのキョンシーのことを知っているようだった。
「……あれはリコリス、マイケルさんとアリシア主任が共同で作り上げた対PSIキョンシー用の決戦兵器です」
「ちがう。ちがうよ、恭介。そうじゃない。そうじゃないよ」
小さく首を振るう。そんなことを聞きたいのではなく、そんなことを聞いているのではない。
「コウ、ちゃん」
声が聞こえた。懐かしい、本当に懐かしい、呼び名を口にした声だ。
息を止めて、京香は声が聞こえた方向を見た。
声を出したのはリコリスで、その声を向けたのは彼女を見下ろす霊幻だった。
「違う。吾輩は霊幻だ」
霊幻は否定の言葉を吐く。臨戦態勢のまま、いつでもリコリスを撲滅できる体勢で首を横に振った。
「コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん。会いたかった、ずっと会いたかったの」
「違う、違うのだ。リコリス、吾輩はお前の執着ではない」
霊幻の言葉はリコリスには届かない。リコリスの手は霊幻に届かない。
その様が京香の網膜に焼き付いて行く。
コウちゃんという呼び名を京香は知っている。何度も聞いた呼び名で、それを使っていたのは世界でただ一人だ。
京香は眼を見開いたまま、止めていた息で言葉を絞り出した。
「恭介、おねがい、おしえて。なんで、あかねさんがキョンシーに成ってるの?」
リコリスの顔、それを京香は知っていた。
その顔は、幸太郎を世界で最も愛し、幸太郎が世界で最も愛し、京香の所為で死に、京香がずっと憧れた人、不知火あかねの物だった。