⑦ 花弁の奥で咲いたのは
***
ピイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!
「ハハハハハハハ! 一体何が起きた!」
「まずは外に出るわよ!」
突然の警報。京香達が会議をしていた部屋の外で待機していた各国の人間とキョンシー達は多少の動揺は見せつつも各自戦闘態勢を取っていた。
流石、シカバネ町に来た者達なのだろう。大なり小なりの覚悟をしてきていて、既に状況把握に努めていた。
走る京香と霊幻を後方から恭介達が追ってきた。
「恭介! 敵が来たの!?」
「分かりません! 通信が来てるので繋ぎます!」
走りながら恭介が自身の通信機を起動し、スピーカーモードにした。
『ハカモリの捜査官全員へ告げる! 研究棟からリコリスが脱走した! 紅い髪をヤバいくらい生やしたキョンシーだ! 真っ直ぐにモーバ対策会議の会場に向かっている!』
「リコリス?」
聞こえたのはマイケルの声だ。全体通信に切り替えていて、彼らしくない切羽詰まった声だった。
出て来たキョンシーの名前を京香は知らなかった。マイケルの口ぶりからしてハカモリが保有または拘束していたキョンシーだろう。
「……」
「霊幻?」
並走する霊幻が笑みの形のまま顔を固めていた。先程までいつもの様な高らかな狂笑を出していたと言うのに。
『リコリスはPSI持ちじゃねえが、その髪は猛毒だ! 無機有機物関係なしに全部溶かしちまうぞ! 主任クラス以外のキョンシー使いは戦うな! どうやっても勝てねえ!』
それ程のスペックのキョンシーを何故自分が知らないのか。京香の脳には多くの疑問符が浮かんでいた。
「敵は後どれくらいでこっちに来るの? 目的は何?」
恭介の通信機へ京香は声を上げた。詳細はどうであれ、脅威であるならば敵である。この場でのハカモリの戦闘責任者は自分で、一刻も早く事態を治めなければならない。
『後五分もすればそっちに行く! 目的は――』
「――京香、吾輩は先に行く」
「ちょっ」
バチバチバチバチ! マイケルが言い終える前に霊幻が紫電を纏って加速した。
あっと言う間に遠くなっていく背に伸ばした京香の手は行き場を失った。
「何? どうしたの霊幻?」
霊幻が敵へ独断専行で突撃しに行くのはいつものことだ。だが、普段とは様子が異なっていた。
いつもの彼ならば撲滅という言葉を口にしていたはずである。そして。京香は自分から離れないでくれと遠回しであるがお願いをしていた。
嫌な感覚だ。首筋を撫でる様な予感が京香を襲う。
「恭介、アタシも行くわ。マイケルから情報を聞いておいて」
京香は足を止め、懐から出した蘇生符を額に貼る。
霊幻を一人では行かせられない。知らない所で怪我をして欲しくなかった。
周囲の人間とキョンシー達がざわついていた。各国の研究者やキョンシー使い達はギラギラと観察対象を見る様な眼を京香へ向けている。
京香がPSI持ちであることは公然の秘密だ。
生体サイキッカーの超能力の発動。その現場を見て、少しでもそのメカニズムを解明せんと企んでいるのだろう。
――勝手にデータでも取ってれば良いわ。
もしかしたら黒木は嫌がるかもしれないが、京香にとって大切なのは霊幻だ。
「アクティブマグネット起動」
もう蘇生符を頭に貼る必要が無い。それも世界にはバレているだろう。
だから、この言葉はただのパフォーマンスでルーティンの様な物だ。
ザアアアアアアアアアアア! グルグルグルグルグルグル!
コートが弾けて砂鉄が舞い、トランクケースから鉄球が飛び出す。
出力は不安定。変に力を込めたら何所まで飛んでいくのか分からない。
トレーシーを握り締め、京香は背後へ声を上げる。
「後から追って来て」
「分かりました」
恭介の返事だけを聞いて京香は足元に磁場を展開し、一気に霊幻を追って宙を飛んだ。
*
矢の様な速さで京香は霊幻を追う。
会場を出た時、既に霊幻の姿は見えなかった。京香はシカバネ町の地図を思い浮かべながら、相棒の行き先を推測する。
――アタシ達が居るのは北区の端。東区と中央区の境目にある研究棟から敵が来るなら大通りを通るはず。
マイケルは真っ直ぐにと言っていた。言い方からしてリコリスというキョンシーは暴走に近い状態にあるのだろう。
理性が崩れたキョンシーがどう動くのか京香は散々見て来たし、霊幻も理解しているはずだ。
霊幻の思考をトレースし、京香は大通りへと飛び出す。車道には十数台の車がまばらに走っていた。
「そこを通して!」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ! 砂鉄を展開した京香の姿に車両達は直ぐに片側へ寄った
ビュン! 一気に京香は加速する。車を追い越し、飛んでいく姿は黒鳥の様にも見えた。
そして直ぐに京香は霊幻を発見する。想像通り、大通りの先で紫電を纏って戦っていた。
バチバチバチバチバチバチバチバチ!
「下がれリコリス! お前はここに来るべきではない!」
「会えた会えたまた会えた! 嬉しい嬉しい嬉しい!」
――霊幻?
狂笑が聞こえない。やはりおかしかった。どの様な時でも霊幻が戦う時、あの笑い声が聞こえていたのに。
それを気にする時間は無かった。鉄の翼を広げて霊幻へ迫りながら、京香は敵の姿を視認する。
――アレがリコリス。
紅いキョンシーだった。膨大な紅髪で全身は覆い隠され、どの様な表情をしているかが分からない。辛うじて霊幻に伸ばされた手の細さから、女性であることは分かった。
蘇生符すら見えない姿だが、京香は一目見てそれが狂ってしまったキョンシーであると気付いた。
紅髪がまるで意思を持っている様にグネグネウネウネと動き、重力を感じさせない動きでリコリスは霊幻へと迫る。
その様子は京香の創造と違っていた。
――攻撃の意思が無い?
確かに突進している。凄まじい速度だ。霊幻がギリギリで躱し、牽制で紫電を放つ程の圧力。だが、猛毒と呼ばれた髪から腕だけを突き出して霊幻へと向かっている。
まるで霊幻を抱き締めようとしているようだった。
「霊幻! どいて! アタシが撃つ!」
京香はトレーシーをリコリスへ向け、腕に纏わせた鉄球の照準を合わせる。
リコリスの髪は猛毒らしい。ならば、近接戦が主体の霊幻では不利だ。
「止めろ京香!」
「!」
霊幻からの強い言葉に京香の腕が止まる。命令にも近い様な口調で、その様な声をこのキョンシーから言われたのは初めてだった。
「あ、お前かっ」
リコリスが京香を認識した。紅髪の奥の瞳がこちらへ向けられたのが分かった。
瞬間、京香が感じたのは〝憎悪〟だった。
グンッ!
リコリスが霊幻の脇をすり抜け、一気に京香へと向かって来る。
重力を感じさせない、理解の及ばない動き。向けられた憎悪。多少の混乱はあるが、京香の体はほぼ自動的に迎撃の体勢を取る。
――速い。捕まえるのは多分無理。なら、
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
網の様に展開した砂鉄がリコリスとぶつかる。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ! 鉄が酸化する音がして、磁性を失って地面へと落ちていく。
だが、リコリスの突進は一瞬止まる。京香との距離は三メートル。トレーシーの銃口がリコリスへと向けられた。
「死ね」
瞬間、砂鉄の網を潜り抜け、リコリスの髪が一気に京香へと伸ばされた。長い髪だ。届くか届かないかギリギリの距離。
既に京香は鉄球を放つ準備を終え、今まさに磁場を解放して鉄球を放たんしていた。
「え」
が、瞬間、京香は見た。
こちらへと向けられた紅髪。その奥にあるリコリスの顔を見た。
そこには京香の知っている顔があった。
ヒュウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥン!
直後、風切り音と共に京香の鉄球が放たれ、リコリスの腹を撃ち抜いた。