⑥ ヒガンバナは目を覚ます
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マイケルの耳に今日三度目のリコリスの覚醒の連絡が来たのは遅い昼食を食べている最中だった。
「……一体、何で眠らねぇんだろうな。停止命令はちゃんと作動してるんだぜ?」
「そうねぇ。ダーリンがまた何か変なプログラムでも蘇生符に入れていたとか? ダーリンよくそういうことするじゃない?」
足早にハカモリの研究棟地下へとマイケルはメアリーを連れて進んでいく。
研究棟の地下は研究の失敗作や問題作を隔離保管する区画に成っていた。
その一番奥の部屋、複数の電子ロックと霊幻でもそう簡単には破壊できない厚い壁と扉で閉じられた場所でリコリスは保管されていた。
「はやく、はやくはやく、あの人の所へ」
分厚いアクリル板の向こうにリコリスは居た。虚ろな表情、人工血液と保護剤、それに鎮静薬が混ざった薬液で満たされたカプセルの中で浮いている。
体は金属製の拘束具で固定され、長く紅く毒々しい髪だけが液体の中で広がっていて、その名前の通りヒガンバナの様だった。
「相変わらず、ダーリンが作るキョンシーは綺麗ね」
「そんなこと言うのはお前くらいだぜメアリー」
リコリスの様を見て、メアリーが感嘆する様に息を吐く。彼女もまた研究者であり、キョンシーに魅入られた者だ。
その声へ眉根を上げながらマイケルはアクリル板のすぐ近くのパソコンの前に座り、カタカタカタカタとキーボードを打つ。
「……やっぱり、ちゃんと停止命令は効いてる。リコリスの蘇生符は休止状態に入っているはずなんだ。くそっ、楽しくなっちまう。一体何でだろうな、おい」
マイケルのは口は笑みの形を作っていた。キョンシー社会だとしても倫理的に良くないとは分かっている。だが、マイケルは自覚的な性格破綻者だった。キョンシーの脳という神のパズルが目の前にあれば、眼を輝かせなくてはいられない。
「バイタルの数字は休眠状態ね。すごいわ、じゃあ、あの子、眠ったまま喋ってるのね」
「俺達はキョンシーのこと何にも分かってねぇんだな」
ゴルデッドシティからハカモリへ所属を変え、メアリーはマイケルの助手として配属された。マイケルは知っていた。メアリーは自分と同等以上に頭が良く、センスもある研究者である。
そんなマイケルとメアリーの目下最大の課題がリコリスの問題である。
ゴルデッドシティでリコリスを起動させてから、正確にはそこでリコリスと霊幻が出会ってしまってから、リコリスは狂ってしまった。
元から狂ってはいた。自壊を望み、それが叶わないから、目に映る全てを破壊しようとする狂ったキョンシーだ。
だが、その狂い方は変わってしまった。連日連夜、常に霊幻に会おうと髪を動かし、拘束を解こうとする。もしも首輪が無ければとっくの昔に何処かへ行ってしまっただろう。
「行かなきゃ、行かなきゃ、行かなきゃ。早く早く早く」
カプセルの中で髪が動き、拘束具がジュウウウッと溶けていく。毒成分を弱める薬液に満たしてなければ溶け切っていただろう。
「リコリス、お前を誰も待ってねぇんだ」
カタカタ。再びの強制停止命令コマンドをマイケルは打ち込み、ダメ押しでマイクを使って「停止しろ」と音声命令を出した。
現時点でのリコリスの仮の主はマイケルだった。眼を見てのインプリンティングは済ませていないから本物の主では無いが、それでも命令には強制力を持つ。
二十の命令を喰らい、リコリスの体から力が抜ける。このまま、またつかの間の眠りに付くのだろう。
それを見ながらマイケルは苦笑した。
「記憶データが悪さをしてるんだろうな」
「見たよ素体の生前のデータ。私的には意外だったわ。こんなに狂気的な人だったのね。とても穏やかで聞き分けの良い人だって思ったけど」
新鮮で適切な処置をした海馬からは素体の記憶を鮮明に取り出せる。
リコリスの謎の覚醒の原因を調べるため、マイケルはリコリスの素体の記憶を見たことがある。ダイジェストの早送り版だったが、確かにメアリーの言う通り、ここまで狂気的なキョンシーに成るとはマイケルにも思わなかった。
「いつか、記憶から感情や心とかも見れるようになりゃ良いんだがな」
「今分かるのは視覚データだけだものね」
きっと、マイケルには良く分からないそういう部分がリコリスを狂わせているのだ。
困った様にマイケルはため息を吐いて立ち上がる。昼食は途中でまだ腹が減っていた。
「メアリー、上に戻ってピザ食おうぜ。で、その後は新しいガジェットの試作だ」
「良いわよダーリン、私頑張っちゃうわ!」
メアリーに抱き着かれ、腹をタプタプと揉まれる。彼女と話していればまた新しいアイデアが浮かんでくるだろう。
マイケルは部屋を出る前に、もう一度リコリスを見た。
そして気づく。
リコリスの全身を繋ぎ止める拘束具。その腕に当たる部分が破損し、カプセルの中で浮いていた。
「おっと、すぐに新しい拘束具を手配しねぇと」
そう呟いた直後だった。
リコリスが再び眼を開けた。