④ 灰かぶり
話題を変える様にあおいは改めて京香達が居る部屋を指した。
「そう言えば、フレデリカとシラユキは中に入らなくても良かったの? 一応木下君のキョンシーだよね?」
「あ、そうなのそうなの! お兄様ったら酷いのよ! フレデリカが邪魔だって言うの!」
弾かれた様に車椅子上のフレデリカが首を上げてぷんすかと頬を膨らませる。まるで怒られた我儘娘の様な可愛らしい憤慨だ。
「フレデリカ様、仕方がありませんよ。一昨日を忘れたのですか?」
「知らない! お兄様を馬鹿にしたあいつらが悪いんだもん!」
聞くと、一昨日の会議にて、今までのハカモリとモーバとの戦いを話していた時、恭介の立ち回りへ侮辱する様な発言をした人間が居たらしい。
それにフレデリカが憤慨し、あわやアイアンテディを起動するところまで行ったというのだ。
「そりゃ駄目だよフレデリカ。キョンシーが勝手に戦おうとするなんて」
アハハとキョンシーらしからぬフレデリカの行動にあおいは笑う。まるで撲滅へと突撃する時の霊幻だ。
やはりキョンシーは執着からは逃れられないらしい。
「……フレデリカもお兄様の傍に居たいのに」
「駄目ですよフレデリカ様。これ以上邪魔をしてはご主人様の迷惑に成ります。京香様にもですよ」
あやす様にフレデリカの頭をシラユキが撫でた。人種も違うが、蘇生符さえなければ仲の良い姉妹の様にも見えなくは無かった。
「……京香はどう? やっぱり疲れてる?」
「ええ、昨日も日を跨いでからご主人様とお帰りに成られてましたよ」
「ブーハオ。人間なんだからちゃんと寝なきゃダメだよー」
「昨日遅くまで質問していたのは我々中国ですけれどね」
――なら、やっぱり京香にはまだ話せないな。
先日見つけた姉の遺言状。あかねがキョンシーに成っているかもしれないという情報があおいの胸の中でずっとグルグルと回っていた。
一刻も早くマイケルに話を聞きに行きたいと思っているが、中々彼との時間が取れなかった。
京香へ相談しようにも、今の彼女にこれ以上の負担は背負わせたくない。
――土屋さんにはバレちゃってるかな。
ここ数日、土屋がチラリと自分に何度か眼を向けているのには気付いている。早く、何が起きているのかを知りたかった。
あおいが一瞬目を伏せていると、シラユキが思い出した様に手を打った。
「ああ、そうだ、フレデリカ様、今日のご夕飯はシチューですよ」
「おーほっほっほ! 良いわね! シチューは大好きよ!」
聞くと、シラユキとフレデリカはこの会議の間、夕方頃には帰宅し、木下家で家事をしているらしい。
――元気だなぁ。
キョンシーには味覚が無いとされている。だが、自律型の中には食事を好む物もそれなりには居た。フレデリカ達はそういうキョンシー達の様だ。
そんな話をしていると、あおい達の背後から声が聞こえた。
「シラユキ、あなた、少し変わったね」
あおいは知らない声。振り向くと、みすぼらしいぼろ布を纏った女のキョンシーが立っていた。
「!」
その顔をあおいは知っていた。ストレイン探偵事務所で押し掛ける様に働き始めた頃、真っ先に調べたとある組織の顔役とも言えるキョンシーだ。
みすぼらしいキョンシーに名前を呼ばれたシラユキがゆっくりと後ろに振り返りり、わざとらしく「まあ」と声を上げた。
「久しぶりねボス。元気だった?」
「ええ、あなた達が抜けた穴を埋めるのは本当に大変だったけれどね、シラユキ」
そこに居たのはキョンシー傭兵派遣会社メルヘンカンパニーのボス、世界で唯一の人ではなく組織の代表を務めるキョンシー、シンデレラだった。
体は小柄であおいの頭半分小さい。十代中盤から後半の少女を素体としていて、その眼は灰色に濁っている。
だが、やはり、何よりも眼を引くのは体を覆い隠す様に頭から被っているぼろ布だろう。顔以外のシルエットが隠された外見は不気味で、無意識にあおいは一歩後ろに引いていた。
「ボス、どうしてここに来たの? 会社から出て来るなんて珍しいじゃない」
「モーバにはあなたも含めてメルヘンカンパニーから何人何体もの社員が離反してしまったからね。ボスたる私には愚かな被造物達の弱点や思考パターンを説明する義務が生まれてしまったのだよ。お前の分の情報は無駄になった様だけれどね」
クックとシンデレラは笑い、その弾みで頭からバラバラと灰が落ちた。
「あらあら大変ねぇ。でも、仕方が無いじゃない。ワタクシ達はモーバの理想が良いなって解を出してしまったんですもの」
「クック。あの時は本当に笑ってしまったねぇ。被造物が理想を語ってメルヘンカンパニーを裏切ったのだから」
その日を懐かしむ様にシラユキが灰を散らして笑い声を出し、シラユキへと距離を詰めた。
ザワリ。周囲に緊張が走る。見守っていた各国の要人達はキョンシー達の後ろに下がり、それぞれのキョンシー達が警戒態勢を取っていた。
「ボス、それに今のワタクシはハカモリのシラユキ。木下恭介ご主人様の物よ」
「元の飼い主への態度じゃないね。しつけが足りなかったのかね」
まさか、ここで戦闘を起こす気なのか? シンデレラとシラユキの様子からでは分からない。
――土屋さんが言ってたっけ。シンデレラには関わるなって。
あおいは土屋の言いつけを思い出し、声を出すのを躊躇った。
シンデレラの特異性はある意味ではA級キョンシーを上回る。かつて、メルヘンカンパニーを率いていた初代CEO、ヤーヘルム・グリマリアが死去した後、その全権を任されたのがこのキョンシーである。ヤーヘルムの近親者が名前ばかりの代表であるようだが、実際の代表は名実ともにこのキョンシーだ。
それは狂気であると土屋は言っていた。本質的にキョンシーは人間には成れない。代表を務められているそれだけで、そこには明確な狂気があるのだ。
報酬さえ払えば、どの組織にだってキョンシーとキョンシー使いを貸し出す傭兵会社である。その長を務めるキョンシーの危険性は想像に難くない。
「おーほっほっほ! シンデレラと言ったわね! フレデリカ達のシラユキへ何が言いたいのかしら? 胡乱な言い方は止めて、率直に言って欲しいわ!」
周囲のピり付く空気を物ともせず、フレデリカが声を上げた。
シンデレラの視線がシラユキからフレデリカへと移り、ジッと灰色の視線が車椅子に乗る四肢を無くしたキョンシーへと注がれた。
「……ふーん。そうだね。胡乱な言い方をするのは悪いことだね。久しぶりに元社員に会えたから少し舞い上がっていたよ」
あおいが思ったよりもあっさりとシンデレラはフレデリカへと頭を下げ、灰を落としながらシラユキを見上げた。
「シラユキ、明日メルヘンカンパニーの裏切り者達の性能を話す場があるんだ。お前にも来て欲しい。どうだろうか?」
「ハカモリかご主人様を通して。今のワタクシはご主人様の物なの」
クック。変わらないシラユキの返事にシンデレラが喉の奥で笑い声を鳴らす。
「ボスー? シンデレラボスー? 何処に居るんですかー?」
その時、やや低い引き攣った様な男の声が少し遠くから聞こえた。
「それじゃあ、後で正式に依頼を出そう。またね、シラユキ、私はゴジョウが呼んでいるからあっちに戻るよ」
言いたいことは言い終えたのか、ぼろ布を揺らし、灰をまき散らしながらシンデレラが部屋の奥へと消えていく。
その後ろ姿を見て、あおいは小さく唇を噛んだ。
――お姉ちゃんを殺した組織。
メルヘンカンパニーは姉を殺した組織だ。けれど、ここは傭兵会社で、あの時のカーレンとアカズキンは雇われていた。雇い主は未だ不明だけれど、ならば、姉を殺された恨みは何処へ向けたら良いのか。
不知火あかねの遺言書が頭を過ぎる。
――そもそも、お姉ちゃんは恨んでいたのかな。
それさえも最早分からなかった。