② 微かな嫉妬
「で、明日からどうしようか?」
レンジで温め直したカレーを口にしながら京香は恭介と目下の問題について話していた。
兄の帰宅を見届け、フレデリカはシラユキに運ばれ寝室に行き、戻ってきたシラユキと霊幻、そしてホムラとココミが魔導少年ラジカルマギカなるアニメを見ている。
「どうもこうも応対するしかないでしょうねぇ」
「どいつもこいつもココミが欲しくてたまらないみたい。ま、アタシのこともだけどね。強硬策に出る国もありそうだわ」
「困ったなぁ」
京香はやや恭介の口調に意外さを覚える。どうやらねむけと自宅に居ることからやや口調が素に戻っている様だ。
指摘したら元に戻ってしまいそうで、京香は何となくそのまま会話を続けた。
「明日明後日は、ヨーロッパ連合だっけ?」
「持ち回りで僕達に話をする筈ですからね。その次は中国、ロシア連邦、アメリカ合衆国、で、最期の南半球連合です」
「わーお、盛沢山。今だけまともに外国語喋れなくて良かったわ」
黒木の発案で京香と恭介への質問は明日以降国ごとの持ち回りに成った。今日収集が付かなかった反省なのだろうか。
「僕は中途半端に喋れるからなぁ」
「頑張れ」
ヘラヘラと京香は笑う。トーキンver5でほぼリアルタイムで翻訳できるとは言え、どうしてもレスポンスは一手遅れる。普段ならば面倒だが、こういう時は便利だった。
「良し。ごちそうさま。ありがとうね、美味しかったわ」
「お粗末様です」
少なめによそったカレーを食べ終え、京香は伸びをする。とにもかくにも疲れた。
そして、少なめにカレーを食べ終わり、京香は伸びをする。
とにかく今日は疲れた。さっさと寝てしまいたい。
――シャワー浴びても良いかな?
そう恭介へ聞こうとした時だった。
『お風呂が沸きました』風呂が沸いたという音声メッセージが流れた。
「良し。入りましょうココミ。あなたのお肌をもっとツルンツルンにしてあげる」
「……」
スッとホムラとココミが立ち上がり、我が物顔で風呂場へと向かう。
「いつの間に」
眉を上げて呟く恭介の声に京香は噴き出した。
「恭介、あんたは本当、キョンシーと仲良くできてるわね」
「こき使われてるだけですって」
アハハ。何故だか嬉しさと面白さが胸に湧き、京香は笑う。
――霊幻はもうすぐ壊れちゃうのに。
笑いの中で、どうしようもない羨望と嫉妬が京香の胸に生まれた。
恭介はキョンシー達に振り回されながらも、毎日を過ごしている。
自分がもうすぐ失ってしまう光景を彼が持っている事実は一瞬とはいえ京香の胸を搔き乱した。
京香は醜い感情を飲み込む。これを恭介にぶつけるのはおかしいのだ。彼は何も悪くなく、自分が彼に負担を与えて良い理由が無い。
ザバァ。ホムラとココミが湯船に浸かる音を聞きながら、京香は恭介に尋ねた。
「アタシと恭介、次にどっちがお風呂入る?」
「先輩が気にしないならレディファーストで」
「ありがと」
――いつもと違う匂いがする。
風呂を上がり、いつもとは違うシャンプーの匂いに京香は戸惑いに似た感覚を覚えた。
あおいと共に過ごしていた中高生の時、京香は終ぞ修学旅行という物をしなかった。マグネトロキネシストであるという特異性と危険性があったからだ。
だから、この、いつもとは違う肌の感覚や高揚感はもしかしたら修学旅行の時にあおいが感じていた物と近いのかもしれない。
「恭介、次良いわよー。ちょっとドライヤー借りるわねー」
「はーい。どうぞー」
ドライヤーを借りて、パジャマ姿でリビングに京香は来て、恭介と目が合った。
「先輩がパジャマと着てると違和感がすごいですね」
「そう? 結構いい感じのパジャマ持って来たんだけど」
今回のためにわざわざ買ってきたイチオシのパジャマ姿に恭介が少しだけ不自然な反応していて、京香はふむ? と眉を顰めた。
「悪いとは言ってませんよ。ただ、僕が清金先輩と会う時って結構な頻度でバイオレンスですからね。テンダースーツ以外の姿は見慣れないだけです」
「なるほどねぇ」
「それじゃ、僕も風呂いただきます。先輩は先寝てて良いですよ。もう遅いですし」
恭介の言う通り、時刻は日付が変わってからそれなりの時間が経ってしまっている。いつもとは違う体力を使った京香の体は重く、睡眠を要求していた。
ゴオォォ。霊幻の後ろのソファに座り、ドライヤーで京香は髪を乾かす。いつの間にやらホムラとココミは寝室に行っていて、霊幻とシラユキだけが残っていた。
「今、何見てんの?」
「デスティニーゴーモーニングというアニメらしい。何やら主人公達がピンチな感じだ」
「へー」
言う通り、赤毛の主人公がビームを放つ剣士に追われてピンチに成っていた。
「……おー」
シラユキは興味深そうに画面での主人公の活躍を眺めている。どうやら彼女はこういう物が好きな様だ。
「恭介のキョンシーは結構アニメや映画が好きよね」
「わたくしのはホムラ様とココミ様の影響ですけれどね。幸いご主人様は勝手にテレビを使わせてくれますから」
画面から眼を外さず、シラユキが木下家での日常を話す。
京香は先程まで自分が入っていた風呂場の方へ一度眼を向け、シラユキへと話しかけた。
「恭介はどう? ちゃんとやれてる?」
「はい。ご主人様は良くやれています。ココミ様というテレパシスト、そのココミ様が心酔するホムラ様、フレデリカ様という特異点、そして、わたくしシラユキ。ここまで自己が確立した自律型キョンシーと複数体暮らせているわけですから」
「疲れてたりは? 体調は大丈夫そう?」
「疲れてはいますよ。恭介様の心労は日々増すばかりですから。ココミ様はともかくフレデリカ様については良くお悩みの様です」
やっぱりだ、京香は軽く眉を顰めた。
――ホムラとココミにフレデリカ……やり過ぎよね。
ココミというキョンシーの危険度や重要度は日を経つごとに上がっていた。ゴルデットシティでのあの大規模なテレパシーの行使は決定打である。
結果、ココミは今最も世界で注目されているキョンシーで恭介はその主として認識されていた。
「恭介も色々と大変に成っちゃったわね」
「ハハハハハハ。吾輩達を上手く使って切り抜けるのだ」
「はいはい。頼りにしてるわ」
軽口を叩いたところで、京香はドライヤーのスイッチを切った。
「良いドライヤーね、これ。すぐに乾いたわ」
「ご主人様がフレデリカ様のために新しく買った物ですから」
「へー。アタシも買おうかな」
京香は立ち上がり、肩に乗っかっていた白髪が背中へと流れる。
「じゃあ、霊幻、寝ましょ」
恭介が用意してくれた客間では既に布団が敷かれていた。
充電器やらに電子機器を繋ぎ、いそいそと京香は掛け布団を被る。
――ホテルの布団みたいな匂いがする。
いつもとは違う匂いでいつもとは違う天井だ。
ここは恭介達の家で、恭介達が家族で共に過ごす家なのだ。
じっとりとした嫉妬が京香の胸を微かに染み出していく。
それを振り払う様に京香は布団の脇をポンポンと叩いた。
「ほら、霊幻、あんたも横に成って」
壁際にて直立の体勢を取っていた霊幻を見る。下から見れば、普段はあまり見えない鼻や口が良く見えて、幸太郎の顔を思い出させた。
「立っていても吾輩は問題なく休息できるぞ?」
「デカいあんたに立たれてると気に成っちゃうのよ」
いつもなら気にしない。もしかしたら寂しかったのかもしれない。自分の感情がどうなっているのかは分からないまま、京香は自身の横を追加でポンポンと叩いた。
「では、失礼するぞ」
そうして、霊幻がその大きな体を横にし、京香と頭の高さが合う。
少しだけ京香はジッと霊幻の顔を見た。こうして並んで寝たのはとても久しぶりだった。
霊幻は天井へ視線を向けている。だから、見慣れた横顔で、記憶の中の幸太郎と重なる。ほとんど無意識に京香は布団から手を出して霊幻に伸ばそうとして、意識してその手を戻した。
「光を消して。明日は八時に目覚ましをお願い」
部屋の管理AIへ命令し、程なくして明かりが消えた。
「おやすみ、霊幻」
「ああ、おやすみだ、京香」
眼を閉じて、まぶたの裏に残る霊幻と幸太郎の顔は京香が眠るまで消えなかった。