⑥ 無差別燃焼
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「ねえ、バツちゃんはどうするー? PSI使うー?」
視界を塞いだ暗闇の世界。バツは自分の右手を握る付き人へニコニコと問い掛けた。
「あかhぱあh、ねあ5あ!」
「場h歩エアhpzんs!」
「Bな歩絵jwpgbsx21」
何かが起きたらしい。周囲からは言葉として狂った声がバツの耳に届く。先程何かのPSIが自分の頭を貫いた。それによって言語認識が破壊されたようだ。
「ねえねえー、きみ。良いのー? バツちゃんに命令しなくて? このままだとバツちゃんは自己判断で動いちゃうよー?」
喧騒の中でバツは付き人を引き寄せ、耳元で判断を仰ぐ。
バツは自立型のキョンシー、それも偉大なる中国が創り出した最高峰のパイロキネシストである。
他のA級キョンシー達程で無いとしてもバツの価値は山の様に大きい。
周囲ではテロが起きている。付き人はバツを連れて逃げようとしている様だが、行動ができていない。
バツの論理回路は自己判断での逃走を一つの回として出していた。
「まはまおbな!」
付き人からの返答。壊されたバツの脳回路では言語として認識できない。
「ごめんねー。今のバツちゃんだと命令が分からないやー。五秒待つねー」
五秒待とう。それだけ待って明確な命令が来なかった場合、自己判断で動くことにした。
通常時であれば暴挙である。付き人達は九割五分以上の確率でバツの単独判断を許さないだろう。
「ご―」
バツの胸は高鳴っていた。
「よ―ん」
自由に動けるのはいつぶりだろう。
「zふぁうbbmぱえtj」
右後方から何かが近づいて来て、バツの肩に触れた。
――座標認識。質量把握。戦闘用キョンシー害敵。
「さーん」
瞬間、バツに触れたその何かの全ての細胞が炎で包まれ、一瞬にして灰と化した。
「にー」
誕生日を待つ子供の様にバツがソワソワとシニヨンを揺らす。
ああ、自由に動けるのはいつぶりだろう。
「いーち」
甘い声を出した。何か異常事態を察知したのだろう。付き人は声を出しているが、言葉としてバツに届かない。
「ぜ・ろ」
そして、バツは付き人の手を振り払った。
目隠しは外さない。流石にそれは許容できない。
「zmなmぱあ“!=?!?」
付き人から、付き人であろう者の声へと判断が切り替わる。もう、この声に従う必要は無い。
グー、パー。自由に成った手を開閉し、バツは笑いながら駆け出した。
「アハハ、アハハハ、アハハハハハハハハハハ! みんな、可愛いバツちゃんだよー!」
背後から声が聞こえる。それはきっと付き人からの「待て!」や「止まれ!」と言った命令である。
だけれど、正しく入力されない命令に従う必要は無い。
暗闇の中、バツは感覚を研ぎ澄ます。周囲には多数のキョンシー、人間達の悲鳴も聞こえる。
「なるほどなるほどー! オッケー、バツちゃんにお任せ! みんなみんな助けてあげるー!」
論理は簡単だ。この場に居る自分以外のキョンシー全てを燃やしてしまえば、人間達は助かる。
タタタタタタ!
暗闇の世界をバツは走り、音と振動を頼りに手近なキョンシーを触る。
――座標認識。質量把握。キョンシー。燃焼許可。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
瞬炎が眼前のキョンシーを包み込み、その細胞を焼き崩す。
「さあさあ、次々! みんなバツちゃんが助けるからねー!」
***
アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
ひときわ目立つ笑い声が霊幻の耳に届いた。音声データは既に記録されている。バツの声だ。
バチバチバチバチ。チルドレンへ紫電を放ちながら、霊幻は声が聞こえた方向を見る。
「さあさあ、次々! みんなバツちゃんが助けるからねー!」
タタタタタタ! 紅の布を目に巻いたまま、バツが会場を走り周り、あちこちへ手を伸ばしていた。
バツの周囲には既にいくつもの灰が落ちていて、会場の喧騒に巻き上げられている。
――この場でPSIを発動するとはどういうつもりだ?
バツのPSI、パイロキネシス。設置型か放出型かは不明であるが、その出力はAとされている。そんな物をこの狭い会場で使うとは何か考えがある筈だ。
はたして、霊幻は直ぐに気付いた。
バツの手や体は人間やキョンシー双方に当たっている。だが、その中でキョンシーに当たった時のみ、そのPSIは発動していた。
「あ、居た居た!」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
まさしく、瞬炎としか言いようが無い。バツの体に触れたキョンシー達はチルドレンであろうが、会場の警備キョンシーであろうが、関係なく、一瞬にして火に包まれ、灰と化す。
熱と言う意味では一部の人間達が負傷し、その場から離れるが、大きなダメージは入っていない。
「ハハハハハ! 中々に狂った思考回路だ! 吾輩の好みだぞ!」
意図を霊幻は理解する。バツはこの場のキョンシーだけを全て破壊するつもりなのだ。
確かにそうすれば、みんな助かる。そして、バツのスペックならば可能だ。
とても霊幻好みの策である。人間がキョンシーよりも上という大原則を忠実に守った結果出される傲慢な解答。
パキパキパキパキパキパキパキパキ。
視界の中、バツのすぐ近くでシラユキがチルドレンを凍らせながら戦っている。
「まずいな」
霊幻はシラユキへと走り出す。シラユキはバツの行動に気付いていない。このままではバツに焼き壊されてしまう。
「シラユキ! こちらへ来い!」
大きく声を出すが、シラユキの壊された認知機能では霊幻を認識できない。
――多少の損傷は仕方無いか。
霊幻は割り切り、バツの手が届く二歩前にシラユキを抱え、バツから距離を取った。
「離しなさい!」
パキパキパキパキパキパキ!
シラユキの蘇生符が水色に輝き、自分に触れる霊幻の腕を凍らせながら暴れた。
「ハハハハハ! 吾輩が機械化していなければ腕が砕けているな!」
やはりこうなるか。霊幻はバツから十五メートル離れた壁際にシラユキを下ろす。
「凍れ」
脳を凍らせるためだろう、シラユキの手が霊幻の頭を狙う。
その手を捌きながら、霊幻は天井へバチバチバチと紫電を放つ。
不可解なPSIの発動。それに対してシラユキの脳は論理的な結論を出した。
「ああ、霊幻なの」
シラユキが伸ばしていた手を引っ込め、霊幻は大きく首を縦に振った。
「私はご主人様からこの会場の人間達を守る様に命令を受けているわ。何でそれを邪魔したの?」
「あちらだ」
言葉に意味は無く、霊幻は十五メートル先でキョンシー達を灰燼に帰している圧を指さした。
「あのパイロキネシスの出力、バツね。無差別にキョンシーだけを破壊してるみたい。なるほど。私を助けようとしたのね?」
「お前が有用だからな」
「了解。バツから離れた位置で戦うわ。霊幻、あなたの認識は壊されていない様だし、どうにかこの戦場を整えてよ」
「任せろ」
バツから離れる様にシラユキが戦いへと戻っていく。
その背を見送り、霊幻は思考する。戦場に現れたバツ。このキョンシーは劇物である。扱いを間違えれば大被害。だが、正しく扱えれば有用である。
「何をあのキョンシーにさせるべきだ?」
思考は短く、すぐに答えが出た。
「A級キョンシーにはA級キョンシーと戦ってもらうか」
バチバチバチバチ。戦略を練り、霊幻はバツへと突撃する。
気分は猛獣使い。鞭のタイミングを間違えれば全てが終わり。
問題は無い。霊幻はキョンシーだ。その価値は人間よりも低いのだから。