⑤ クマさんこちら
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ピーピーピピとマイケルからの暗号音を脳内で解読し、ヤマダはセバスの首筋を指でなぞった。
「セバス、フレデリカを追いなサイ」
「。なじゃえ5m4hぱえs」
ヤマダはラプラスの瞳を装着し、セバスの腕に横向きで抱かれていた。老紳士の顔はのっぺらぼうに見えていて、声も言葉として認識できない。
――あのカオナシにしてやられましたね。
セバスの顔や声をもしかしたらもう二度と感じられないかもしれない。そう思うとヤマダの中に怒りや恐れが上がってくる。
しかし、ヤマダは冷静だった。突如として来た無線越しの暗号音がモールス信号であると即座に理解し、マイケルからの指示を解読した。
ヤマダを抱えたセバスがその首筋を撫でる指の軌道で主からの命令を理解し、大穴から出て行ったフレデリカを追った。
――フレデリカが認識破壊されていない可能性がある?
マイケルの言葉の意味をヤマダは考え、彼の意図を理解する。
確かにフレデリカが入っているアイアンテディは鋼鉄製。その体にはほとんど隙間が無い。であれば、敵のPSIの糸はその表層を流れ、内部のフレデリカへ届かない可能性があった。
タタタ。ヤマダの視界が高速で動く。向かって来る敵か味方か分からないのっぺらぼう達をセバスが減速せずに避けて行くからだ。
顔も声も分からないが、今、自分を抱えているのっぺらぼうがセバスである確信がヤマダにはあった。この手の感触を自分が間違えるはずが無い。
だが、視界に映るのっぺらぼう達は体格の差以外に違いが無い。服すらもヤマダには同じに見えている。おそらく他者の認識という部分を壊されたのだ。
はたして自分の認識は治るのか。不安ではある。だが、今はそれを気にする場合ではない。
すぐにヤマダとセバスは大穴を出て、フレデリカを視認した。
「ンm、穿jせpthんsy!」
「czssのxthばえj!」
鋼鉄のクマと大型ののっぺらぼうが激突している。その左腕が掴んでいるのっぺらぼうは恭介だろう。
「フレデリカ、ヤマダデス! ワタシを認識できマスカ!?」
――敵の顔を蹴り飛ばせ。
そう言いながらヤマダはセバスへ指示を送る。
タ、タ、タ。軽やかに足をストライドさせ、鋼鉄のクマの背を踏み、セバスの跳び蹴りが大型ののっぺらぼうの顔に突き刺さった。
即座にラプラスの瞳が運動量の変化を数値化する。
――かなり重い敵ですね。
蹴りを受けたのに敵のっぺらぼうの重心にはほとんど変化が無かった。セバスとは質量が大きく違う様だ。
ギュルギュルギュルギュルギュルギュル。何かが高速で回転している。それはのっぺらぼうの足元から来ていた。
ヤマダは理解する。目の前に映るのっぺらぼうの足は確かに二本。だが、実際の姿は違うのだろう。
――おそらくキャタピラー。
キャタピラーの脚部、大型、そしてモーバ所属。記録をヤマダは見た。前方の敵はおそらくベンケイだ。
「なmぱは、な@んま、、あ!」
セバスが着地した右方。フレデリカが何かを叫んでいる。こちらへ攻撃する様子は無い。
ヤマダは無線をマイクモードにしてフレデリカの声を拾った。
「マイケル、目の前にフレデリカが居マス。何と言っているか分かりマスカ」
ピーピピピ。
――お兄様の指示が分からない。何処に逃げれば良いのか、ですか。
マイケルからの暗号音を再変換し、ヤマダはフレデリカの言葉を理解する。
なるほど、彼女はここから逃げようとしているのだ。正しい判断である。この状況下、リバイバーズホテルで戦うのは難しい。参加者達が死ぬのはこの際ある程度仕方ない。だが、ハカモリの戦闘員が余波で要人達を殺してしまっては禍根が残る。
ヤマダ達ハカモリから見れば、このテロはそれ見たことか、である。モーバがテロを仕掛けることは再三に渡り告げていて、忠告を無視したのは彼らだ。
けれど、だからと言ってハカモリの攻撃で彼らを殺す訳にはいかない。裁量性の殺人権を行使して良い相手では無いからだ。
「フレデリカ、ワタシ達に付いて来なサイ。外に逃げまショウ」
「あえp、rmぽh!」
きっとフレデリカは了承した。
ガッキイイイイイイイイイイイイイイン! アイアンテディの爪が大型ののっぺらぼうを弾き飛ばし、ドカドカとヤマダへと走ってくる。
「セバス、外ヘ。ここじゃ人を巻き込みマス」
「んtま」
グン! ヤマダ達の体が加速し、リバイバーズホテルの外へ向かう。
「うあえhm@zhなmんそ!」
ギュルギュルギュルギュル! ベンケイであろう大型ののっぺらぼうが何かを叫びながら追ってくる。速く重く大きい。すぐにヤマダ達は追い付かれた。
直後、挟み撃ちする様に十数体ののっぺらぼうが現れ、ヤマダ達へと突撃した。
――敵か味方か。
脳が判断を下す前に、ヤマダの指は攻撃を命令し、セバスが一番近くに寄ったのっぺらぼうの腹を蹴り飛ばした。
ラプラスの瞳からの数字でヤマダは即座に判断する。現れたのっぺらぼうはキョンシー。それも戦闘用にチューニングされている。
――セバスでは手が足りない。
「フレデリカ、交代してくだサイ。ベンケイはワタシ達がやりマス」
「1tyじゃj9!」
フレデリカは命令に従い、グンとヤマダと位置を入れ替わる。
「なhじゃお1mohssんj!」
何やらのっぺらぼうが諸手を挙げて叫んでいる。ベンケイのパーソナリティならば知っている。ヤマダとセバスと戦えて嬉しいのだろう。
「ハンデを上げマス。踊りまショウ」
カチカチカチカチ。ラプラスの瞳のダイヤルを一気に回転させ、眼に入る情報量を最大限にする。
ジジジジジ。ヤマダの視界に映る情報が運動のベクトルとスカラーにのみ絞られる。
空気の振動。沈む地面の反発。のっぺらぼうの体に掛かる運動量。それらを数字として視認して、ヤマダは敵の全貌を理解する。
――疲れるからあまり感知幅を上げたくないんですよね。
「あぺみひゃs!」
のっぺらぼうの左腕、零と一で象られた鋭利な槍が放たれ、ワルツの様にセバスが体を回して攻撃を躱し、カウンターの蹴りを頭部へ放つ。
――やっぱり、重いですね。
敵の体は重く、セバスの蹴りで運動量はほとんど変わらない。
だが、問題ない。目的はフレデリカが進路を切り拓くまでの時間稼ぎだ。
「ンms歩5じぇあmあs!」
ベンケイであろうのっぺらぼうが全力で両手の武器を突き出す。ヤマダにはそれが何か分からない。しかし、ラプラスの瞳が映す常人には理解不能な零と一の世界が敵の攻撃を解きほぐす。
「さあ、セバス、あなたのステップでこのデカブツを止めてあげなサイ」
ヤマダの指でセバスが踊る。
一手間違えばひき肉となる死のダンス。
そんなもの、ヤマダには慣れたものだった。