⑩ あなたの望みは?
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ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
クロガネが左腕を振るう。そこには鉄球が回転し、砂鉄で作られた高密度な槍が浮かんでいた。
――まずは機動力を削ぐ。
リコリスの恐ろしい点はその機動性だ。手足と髪、通常では考えられない海生生物の様な動きはクロガネにインストールされた戦闘データには無い。
鉄球の嵐でリコリスと距離を取り、砂鉄の槍でリコリスの髪を削っていく。先程の様なミスはもうしない。徹底的にこの狂気に落ちたキョンシーを足止めするのだ。
「溶けろ、死ね、壊れろ」
「本当に哀れな子ね」
十数の攻防を超えてクロガネには分かったことがある。リコリスは自律型のキョンシーであり、その思考回路は円熟している。
にも拘わらず、彼女が特定の種類の言葉しか吐かないのは、それほどまでに世界を憎んでいるからだろう。
「行け!」
グルグルグルグルグルグルグルグル、グシャ!
鉄球が一つリコリスの脇腹を打った。同時に酸化し切ったそれが磁力の制御下から抜け、地面へと落ちる。
――これで使える鉄球は後三つ。ギリギリね。
肋骨が砕けただろう。だが、リコリスは気にしない。痛覚は遮断されている様だ。
ジャリジャリジャリジャリ!
グルグルグルグルグルグル!
砂鉄の雲に乗り、鉄球の星を振り回す。既に屋上の床は大部分が破砕し、瓦礫の山と化していた。
「殺す」
ヒュン! とリコリスが加速すれば、
「嫌ね」
グン! とクロガネが鉄球を押し出す。
鉄球と砂鉄はリコリスの骨を折り、肉を削り、髪を切り裂いて行く。
だが、それと同時に鉄球と砂鉄は赤く酸化し、磁力で操れなくなっていった。
――持久戦ね。
リコリスの体とクロガネの鉄、どちらが最後まで残るのか。そういう勝負に成っていた。
クロガネは最小限の砂鉄でリコリスの髪を最大限切り裂く事を意識していた。その甲斐もあってか、リコリスの髪は随分と減り、当初の三分の一程度しか残っていない。
――それでも機動力は落ちてない。まったく化け物染みてるわ。
どれほどの狂気があればこの様なキョンシーを作ろうと思えるのだろう。生と死、双方への冒涜だ。キョンシーとしての意思も無く、その在り方すらも汚らわしい。
破壊してやるのがせめてもの慈悲だろうが、今のクロガネにその義理は無かった。
だけれど、クロガネはリコリスへ話しかけた。先程から何度も話しかけ続けている。対話は必要だ。たとえ相手にまともな意思が無くとも、だ。エンバルディアという死者たちの理想郷を作ろうというのだ。立ち上げた物の一体としての責務と言えた。
「ねえ、リコリス、あなたはどうしてそんなに世界を憎んでいるの? 折角またこうして新しい意志に目覚めて世界に存在できてるのに。あなたの在り方はあまりにも悲しいわ」
クロガネにとってキョンシーは奇跡だった。物言わぬ、それこそただの有機物の塊であるはずの死体。新鮮なら精々臓器提供に使えるくらいの冷たい肉塊が、こうしてわずかとはいえ熱を、言葉を、意思を持つ。
それがどれ程のことか。清金カナエが魅入られた生きる死という矛盾の美しさはクロガネの脳に刻まれている。
キョンシーは何かしらの執着があってこの世に在る。
叶えたい望みを持てること。それは奇跡の産物だ。
その奇跡を全てのキョンシーに大事にして欲しいのだ。
「溶け死ね」
グネグネグネグネグネグネグネグネグネグネグネグネ!
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
取り付く島もない。地面を溶かしながらリコリスはただただこちらへと突進してくる。
あまりにも悲しい在り方だ。たとえここでクロガネをリコリスが溶かして殺せたとして、それで彼女の心は満たされない。
不毛で徒労。生産性も喜びも無い奇跡の在り方。
――ああ、なんて可哀想。
「ねえ、こんな悲しい戦いなんて止めて。一緒にエンバルディアを叶えましょう? そうすればあなたの望みは叶えられるわ」
「のぞみ?」
距離を保ち続けて放った提案に、リコリスが初めて殺意以外の言葉を返した。
初めてリコリスが動きを止め、紅髪で隠れているがクロガネへと視線を向けた。
――いける、かしら?
疑念と共に喜びをクロガネは覚える。もしかしたら、この哀れなキョンシーを仲間にできるかもしれない。そうなればエンバルディアにとっての戦力増強である。
「ええ、そう。ねえ、リコリス、あなたの望みは何? こんな殺し合いを本当に殺しているの? 望みを教えて。私達は可能な限りそれを叶えるわ」
リコリスの沈黙は僅かだった。
「……私の望みはもう叶わない」
ブワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
リコリスの髪がうねりを上げ、その顔を始めてクロガネは見た。
蘇生符の奥の瞳は怒りに満ちていて。対称的に口元には表情が無かった。
「ごめんさない。何か地雷を踏んでしまったみたいね」
言葉選びを間違えたのか、最初から駄目だったのか。後者であろうとクロガネは思考して、砂鉄と鉄球を再展開する。
リコリスの髪の動きは今まで一番苛烈だ。ここからは先程以上の猛攻が来るだろう。
ふぅっとクロガネは人間の様に息を吐く。気合を入れ、時間稼ぎに徹するのだ。
ヒュウ! その時、一陣の風が上方より吹いた。
風と共に現れたのは、透明なレインコートを着た褐色のキョンシー、アネモイ、そしてアネモイを後方から抱えるセリア・マリエーヌだった。
上空に待機していた筈の彼女らがこうして地上に降りた理由は明白だ。
「クロガネ、緊急事態です。撤退を進言します」
「ええ、分かった。連れて行って」
返事は即答。クロガネは仲間を信じている。
「待て、溶かす! 殺す! 壊させろ!」
リコリスが一気に近づいて来るが、それよりもアネモイの風の方が速かった。
「アネモイ、吹き飛ばして」
「wかt!」
ビュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
瞬間的に生まれた台風レベルの突風がリコリスの体を巻き上げ、屋上から外へと吹き飛ばす。
「さよならリコリス。あなたの望みが叶うことを祈っているわ」
それだけ言ってクロガネはセリアの手を取り、アネモイの力で飛翔する。
「状況は?」
「シラユキが奪われました!」
「まあ、何てこと」
考えられるケースの中では下から三番目。なるほど、確かに撤退するべき場面だ。