⑩ 前哨戦の終了
「ハクゲイ、殴り飛ばせ」
「はははあああああああいいいいいい!」
グシャアアアアアアアアアアアアア!
ハクゲイが豪腕を振るい、肉壁を殴った。しかし、よほど厚いのだろう。拳はただキョンシー達を潰しながら奥へと押し込まれるだけで、壁を破壊するには至らない。
「〝もうおそい〟ってこれかい。悪趣味だね」
肉壁の奥で微かにミチ、ミチと音がする。まだキョンシー達がその体で壁を作っているのだろう。
時間をかければこの壁を崩せるだろう。ハクゲイは豪腕だ。
「いかせないよ」
バシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
しかし、当然、イルカがカーレン達を逃さんと水流を操る。
「こりゃ、失策だったね。策に乗せられちまったよ」
「ああ、傷を払わねばなるまい」
カーレン達は敵の策にまんまと乗ってしまった。犠牲も無しにこの場からの撤退は不可能だ。
ならば、被害は最小限に抑えるべきだ。
一転、カーレン達は進路を変え、フロアの奥へと戻る。目指すは長谷川 圭が逃げ去った通路。そこには窓の一つでもあるだろう。
「シラユキ! 道を作りな!」
「ええ」
パキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキパキ!
シラユキを先頭にイルカの水流を凍らせて、カーレン達は疾駆する。
「ハクゲイ、あいつを食い止めろ」
「りょりょりょりょううううかかかああああいいいいい!」
殿を務めたのはハクゲイだ。
ブシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
霧を噴き出し、転回、向かって来るイルカへと拳を突き出した。
ザッパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
水が弾ける音、それらを無視して、カーレン達は通路を走る。既に天井までの高さは一メートルを切り、シラユキの氷を足場に屈んだ体勢で走るしかない。
目的の出口は直ぐに見えた。穴の空いた強化ガラス。そこにも十数体のキョンシー達が穴を塞ぐ肉の塊へと形を変えていた。
「シラユキ! 悪いけどぶっ飛ばしな!」
「後でドレスを変えないと」
シラユキが足元の水塊へと手を当てパキパキパキパキパキパキパキパキ! そこから巨大な氷のランスを作り出す。
「退きなさいな」
バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ!
そして突き出された氷の槍は肉壁を凍らせながら割り、人間がギリギリ通れる穴を開けた。
「カッカッカ! やるねぇシラユキ!」
そして、カーレンとモーガンはシラユキに抱えられ、水流と共にビルを飛び降りる。
グチュグチュグチュグチュ。
背後のキョンシー達は空いたばかりの大穴をその体で埋めていた。
***
「ハハハハハ! 某の体がここまで溶かされるとは! 驚きだぞヨシツネ殿! シカバネ町にこの様な隠し玉が居るとはな!」
一輝の視線の先で、体積の減ったベンケイが大きく笑う。
リコリスと呼ばれたキョンシーの猛攻は凄まじかった。
広がる髪に絡め捕られる度、ベンケイの腕は溶かされて、遂に右腕が無くなった。
右腕だけではない。リコリスの毒が溶かしたのは肋骨に当たる部分にまで広がり、ベンケイは酷くバランスの悪い体勢で立っている。
第一課ではあれほど攻撃してもまともなダメージを与えられなかった機械仕掛けのキョンシーをリコリスはたった一体で半壊させたのだ。
「そこなキョンシーよ! お前ほどの戦士と戦えて某は嬉しい! 久しく感じなかった死の気配だ!」
「溶けろ溶けろ溶けろ溶けろ」
リコリスに会話の意思は無い。髪を広げてひたすらにベンケイへと近づいて行く。
決してキョンシーとして速いわけでは無い。身体改造は一般的な戦闘用キョンシーよりやや上程度だろう。
しかし、反射速度が異常だった。
ギュイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!
ベンケイが失われた右腕から大量のドリルを生み出して突き出す。タイミングは必殺。リコリスの身体能力ならば避けるのはほぼ不可能だ。
グンッ! リコリスの髪が再びベンケイの武器を絡め捕り、頬の皮一枚ギリギリでベンケイの攻撃を避ける。
「またか! 良く避けられる物だ!」
ベンケイは感嘆し、ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ! 突き出したドリルが再びドロドロに溶かされた。
「ベンケイ、大丈夫かしら!?」
第一課の捜査官達がクロガネを押し留める。マグネトロキネシスで操られる砂鉄と鉄球の嵐を必死にそれぞれ三体のキョンシーで対応していた。
――だが、あっちもそろそろ限界か。
物量で押しているだけだ。攻撃力も防御力も破壊力も相手が上。第一課が使えるキョンシー達の数は既に半分以下に成っていた。
一輝もまたダイキチ、チュウキチ、ショウキチの三体のキョンシー達に銘じてベンケイとクロガネが近寄らない様にバランスを取っている。リコリスの攻撃に指定されないギリギリの距離を狙ってだ。
第一課の主任として一輝が徹底しているのが、安全圏の確保だ。それは勘であったり、経験であったり、データであったり、判断基準は色々あるが、一撃では決して致命傷を喰らわない距離で戦うのが一輝達の戦い方だ。
「いいかげん、目障り」
リコリスの真紅の髪が唸りを上げる。このままこのキョンシーがベンケイを溶かし切る事を一輝は期待する。リコリスはきっと自分達すらも殺しに来るだろうが、この場を切り抜ける方法はそれしかなかった。
ジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
また、リコリスがまたベンケイを溶かした。次にあのキョンシーが狙ったのはベンケイの左腕だ。
――暴走している様で、高い戦闘IQ。誰が作った?
大方の予想は付いている。マイケルとアリシアだ。あのキョンシー狂い達ならばこの様なキョンシーを作ってもおかしくない。
――何せ、無断で上森幸太郎で霊幻を作ったくらいだ。これくらいする。
一瞬だけ、苦々しい記憶が一輝の頭を走った。
「桑原さん! ご無事ですね!?」
その時、長谷川の声が一階のホールに響いた。
人間達の誰もが彼へと眼を向ける。ボロボロでどこもかしこも壊れた十数体の量産型キョンシーを連れている。
――戦闘の跡。上で戦ってきたのか。
それは誰もが理解したのだろう。このビルを上った敵達を長谷川は食い止めたのだ。
「この赤いキョンシーはリコリス! 暴走状態だ! 近づくな溶かされるぞ!」
「分かりました! サポートに回ります!」
この瞬間、一階は完全な混沌に包まれた。
戦闘能力は敵の方が上。正面から戦えば一輝達に勝ち目は無い。
図らずも、先の主任会議で上がった課題が浮き彫りに成った。近中距離で戦えるキョンシーが一輝達には必要なのだ。
しかし、リコリスの存在が全てを崩壊させる。
目に付いた物全てを破壊しようとするリコリスの毒。それが今全てベンケイに注がれている。
このまま、このままだ。まずはベンケイを破壊する。それが状況を変える一歩だ。
それは敵も理解していた。
「逃げるわベンケイ。これ以上はあなたの体に取り返しがつかなくなる」
「その様だ!」
素早い判断。一輝でも同じ事をするだろう。
ギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュルギュル!
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
ベンケイの車輪とクロガネの砂鉄と鉄球が急速に回り、キョンシー達が高速で移動した。
敵は一輝達とリコリスから距離を取る。ベンケイの首にヨシツネが捕まった。
「待て!」
一輝は言う。言うだけ言っているだけだ。逃げないはずが無いし、はいそうですかと戦闘を再開する理由も無い。
戦闘のためではなく、逃走のための移動。先程までとは違う。
リコリスの移動速度では逃げていく敵を追う事ができない。
キョンシーの論理回路は狂わない。もう狂ってしまったものは直らない。
「ああ、じゃあ、こっちで《・》良《・》い《・》や」
真紅の髪が最も近くに居たキョンシー使い、すなわち一輝へと向けられる。
「ショウキチ! 俺を抱えて逃げろ!」
小型のキョンシーが一輝を抱え、全速力で後退する。リコリスの速度はそれよりも速い。
「チュウキチ、あいつを押し留めろ!」
一輝はキョンシーへと命令する。敵に成ったのなら戦うだけだ。
「必ず生き残ってくれ! 某はまたお前達と死合いたいぞ!」
ギュルギュルギュルン! いつの間にかベンケイ達は一階の大穴から出て行った。リコリスを体良く押し付けた形だ。
「二、五、七号! リコリスの足を止めろ!」
長谷川が一瞬悔しそうな顔をして、すぐにリコリスへとキョンシーを放つ。彼もクロガネ達を追いたいのだ。
判断は正しい。この場の総力を決してもリコリスを止められる保証はない。
「気合を入れろ! 生き残るぞ!」
一輝の号令が鳴り響く。戦いは終わり、残るは身内が出した暴走機の後始末だった。