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① それだけで奇跡

 一月十三日、早朝。


 メゾンアサガオ301号室、すなわち恭介達の一室のチャイムが鳴らされた。


「誰だ?」


 恭介は朝食のトーストとコーヒーをテーブルに置いた。


「ココミ、今日のニュースは何かしらね? 昨日は水族館のアザラシについて特集していたわ。アウアウ言ってたわね。わたし? そうね、わたしはアザラシよりもペンギンが見たいかしら?」


「……」


 高級ソファに腰かけた姉妹のキョンシー達は恭介へ目も向けない。ならば、緊急事態ではないようだ。


 恭介がインターホンに近づくと、そこには漆黒のメイド服を来た白い大太刀を持ったキョンシー、ヨダカが楚々とした態度で立っていた。


「ヨダカ、直ったのか」


「つい十時間前、腹の傷が塞がりました。お望みであれば、裸をお見せしましょうか?」


「要らないです。うちのキョンシーの目が冷たくなるので止めてください。そっか。良かった、葉隠さんも大丈夫だった?」


「少々精神に異常を来しましたが、既に平常時の小康状態に戻っております」


 インターホン越しに恭介はヨダカと会話する。あまり良い予感はしない。


 ヨダカは葉隠スズメのキョンシーで、霊幻の様に好き勝手動き回るキョンシーではない。


 ならば、葉隠スズメが恭介達に何か用があり、ヨダカはこの部屋を訪れたのだ。


「護衛のキョンシー使いが七組ぐらい居た筈だけど?」


「皆様、とてもご丁寧にワタクシを通してくださいました」


 身体検査はされている筈である。にも関わらず大太刀は取り上げられなかったのか、と恭介は苦笑した。


 どうやらこのまま穏便に帰ってもらうのは難しいらしい。


 諦めて、恭介はヨダカへと質問した。


「何か用?」


「スズメ様が恭介様の妹君への見舞いを希望しております。どうか叶えてはくださらないでしょうか?」







 数時間後、午前十時。


「お兄様、聞いて聞いて、フレデリカはもうそろそろ退院できるみたいなの! もうチューブを体中に繋げなくて良いんだって! ほら、イチゴだって食べられるの!」


「良かったよ。ほら、いっぱい食べな」


「あーん」


 人恵会病院603号室で恭介はフレデリカの口元へイチゴを運ぶ。とても美味しそうにフレデリカは笑顔を見せた。


 恭介はフレデリカの、木下優花の顔に貼られた蘇生符の存在に早くも慣れていた。


 603号室はさっぱりとしていた。ずっと置かれていた重苦しい危機は全て撤去され、ブジュブジュとした規則的な湿った音も聞こえなくなっている。


 そんな広くなった部屋の中央ベッドで、フレデリカは起き上がり、コロコロとした笑顔を恭介へ向け続けている。


「でも嬉しい! お兄様からあーんをしてもらえるなんて! PSIを使って食べても良いけれど、甘えるのは最高ね!」


「はいはい。良かった良かった。ジュース飲むか?」


「うん! オレンジジュースをお願い」


 あったのならヒラヒラと手を振っていただろう。幻視をしながら、恭介はコップに入れたジュースをフレデリカの口へ運び、少しずつ飲ませた。


「甘酸っぱい! おいしい!」


「良かった良かった」


 自然と恭介はフレデリカの頭を撫でる。サラサラとしていて、血色も良い。


 食事をして喋っていて笑っている。ああ、これだけでも奇跡だった。


「フレデリカ、退院の話だけどさ」


「うん! お兄様と一緒に暮らせるんだよね! 楽しみで楽しみだわ!」


「まだ、悩んでいるんだ。僕と一緒に居たらお前は戦うことに成る。お前を戦わせたくない」


 恭介は自嘲する。これは無駄な問いだ。先日アリシアから届いたメール。そこに書いてあった様に、フレデリカを引き取らない選択肢はない。


 それはつまり、フレデリカは今後、恭介と共に居るということで、今後、戦うことに成るということで、今後、殺し合いをするということだ。


「ええ!? でもでもだって、フレデリカはお兄様と一緒に居たい。記憶と記録とレプリカブレインがそう結論付けているの。大丈夫。フレデリカは強いの。テディさえいれば誰にも負けないわ!」


 フレデリカが顎で部屋の脇を指す。そこにはピカピカに磨かれた鋼鉄のクマと、鋼鉄製の義手義足があった。


 マイケルが調整したフレデリカの専用装備。確かにアレを着れば普通のキョンシー相手ならば死ぬ可能性は低いだろう。


 だが、問題の本質はそこではない。フレデリカが、その体が死ぬかもしれないのだ。


「僕はね、フレデリカ、お前が死んだら、嫌だな。うん、それはとても嫌なことなんだよ」


「大丈夫! フレデリカは最強なの! 誰でにだって負けないし、木下優花の体を絶対に死なせないわ!」


 キョンシーは基本的に人間に嘘を付かない。半キョンシーであるフレデリカもそうだろう。


 蘇生符の奥の瞳はキラキラと輝いていて、フレデリカが心底そう言っている事が見てとれた。


「それなら、少しは安心かもね」


 ハハッ。恭介は笑った時、ノックもせず、603号室のドアが開かれた。


「あ! ホムラ、ココミ! こっちに来て! フレデリカとお喋りしようよ!」


「いやよ、ココミとのお喋りでわたしは忙しいの」


「……」


「えー! つーまーんーなーいー!」


 駄々をこねるフレデリカの頭を撫でて、恭介はホムラに聞いた。


「葉隠さんが来たの?」


「じゃなきゃわざわざ来ないわ」


 ふん、と、役目は果たしたとばかりにホムラとココミは部屋を出て行った。


「お兄様、誰か来るの?」


「ああ、お前の見舞いに来たいって人がね。葉隠スズメさんって分かるか? お前と一緒に攫われていた人だ」


 その瞬間、右手越しに恭介は気付いた。フレデリカが僅かに震えている。


「フレデリカ、何で震えてるの?」


「え? あ、確かにフレデリカ、震えているわね」


 どうしてだろう? フレデリカは数度首を傾げてすぐに答えを出した。


「ああ、トラウマねこれは。脳特殊開発研究所の記憶を思い出すことを体が拒否しているんだわ」


 その言葉を聞いて恭介は自分の軽率な言動を悔いた。木下優花は大脳の八割近くを奪われ、それでも記憶は残っている。わざわざ掘り起こすべきでは無かったのだ。


「ごめん。これは僕が悪い。葉隠さん達には帰ってもらおう」


「いえ、いえ、お兄様、それはいや。フレデリカの記憶はスズメさんのことが好きだったって言ってる。なら、フレデリカはスズメさんと話したいって判断するわ」


「でも、僕にはお前の方が大切だ」


「大丈夫、震えててもバイタルには問題ないの。木下優花を知っている人が会いに来てくれた。なら、きっとこれは会うべきなの。ね、お兄様、少しでも異常があったら絶対に言うから」


 フレデリカが首を振る。ならば、恭介に言えることは無かった。

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