⑥ やあやあ、某は!
*
午後四時。
葉隠邸を出て、恭介は大きく伸びをした。
「色々と興味深い話を聞けましたね。なるほど、キノシタユウカにされた処置、その特異性ですか」
「盲点だったな。穿頭教が関わってんだから、どんなおかしなことされててもおかしくないって思ってたぜ」
アリシアとマイケルが得られた情報を整理しながら喋っている横で、恭介は地べたに座り込んでしまいたい気分だった。
恭介は優花にされた凌辱の痕は知っていた。そこから妹の絶望を空想してしまったこともある。
けれど、実際に妹が何をされたのか、恭介は知らないでいて、知らないままでいたかったと言うのも事実だった。
――酷い、な。
妹が感じた絶望はどうだったのだろう。
足元が揺れる感覚。体調は悪くなかった。精神はどうだろう? 良好ではないの確かだ。
「さて、じゃあ、帰りますか? 送りますよ?」
「よろしい。帰りも安全運転で頼みますよ」
「任せてください。今年ゴールド免許を取る実力を見せてあげますよ」
意味も無く、元気なフリをして軽口を叩く。葉隠邸の近く、ハカモリが保有していた専用駐車場には最近乗り慣れつつあるワゴン車があった。
歩き出そうと恭介は膝に力を入れる。
ドン!
その瞬間、ホムラに肩を殴られた。
「いったっ!? 何!?」
「敵が来たわ。二百メートル先、五秒後にはここに来る」
――は?
恭介の思考は鈍かった。色々な経験をしたとは言え、彼は戦闘員ではない。
けれど、ホムラとココミの反応は早かった。
「!」
ココミが葉隠邸正門の電子錠前を触り、直後、堅牢な扉が開いた。
テレパシーによる電子機器へのハッキングである。
「ぼーっとしないで」
グイッ。ホムラが恭介の襟元を掴み、葉隠邸へと飛び込み、庭園の中央部に立った。
「おっとぉ!」
一拍遅れてマイケルとアリシアが葉隠邸に入り込み、直後、正門の扉が閉じた。
一瞬の緊迫。恭介の頭はまだ切り替わっていない。
「早く許可を出しなさい。死ぬわよ」
「PSI発動を許可する!」
しかし、ホムラからの要求に気付いたら口が動いていた。それは流れに身を任せたが故か、はたまた、このキョンシーへ向けた信頼からかは分からかった。
ホムラの瞳と蘇生符が赤く発光する。
ゴラッシャアアアア!
瞬間、葉隠邸の固く閉じられた正門が轟音共に破壊された!
現れたのは機械仕掛けのキョンシー! 体中から無数の武器を生やし、ギュイイイイイイイイイイイン! と機械的回転音を鳴らしている!
「やあやあ某は――」
「――燃えろ!」
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
ホムラは最後まで聞かず、PSIを発動する。
「某はベンケイ! これほどのパイロキネシストと死合えるとは恐悦至極だ!」
ギュイイイイイイイイイイイイイイイイイイン! 炎を物ともせずベンケイと名乗ったキョンシーが恭介達へ、いや、ホムラとココミへと突撃する。
――目的はココミか!
「下がれ!」
恭介の命令と同時にホムラがココミを抱えて、背後に跳ぶ。
両腕に纏わせた、回転する無数の刃物や鈍器、凶悪な削岩機の如きそれらをベンケイが振り下ろした。
ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
葉隠邸の庭が割れ、敷き詰められていた白い小石が周囲に飛び散り、何個が恭介の体へとぶつかった。
痛みを気にしている余裕は無い。ここは死地だ。
――ココミのテレパシーがあるのに、どうやって?
普段から、ココミは周囲一帯へテレパシーを張っている。どうやってその包囲網を搔い潜った?
――気にしてる余裕は無い!
「避けたか! 身体能力は上々! 素晴らしい相手だ! 某も本気を出そうではないか!」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!
ベンケイの体が急速に変形していく。歯車の音を立て、格納されていた武器が露わに成っていくのだ。
鈍器と刃物、どうやら銃火器は無さそうだ。だが、恭介達を潰すのには過剰過ぎる武器だ。
「待てベンケイ。我らの目的を忘れるな。テレパシストは無傷で奪え」
その時、破壊された葉隠邸の正門から女性と見間違うばかりに美しい男が現れた。切れ長の眼、無駄がそぎ落とされた痩躯、腰に刺した日本刀。見るからに敵である事は確かだ。
「すまない、ヨシツネ殿、そうであったな。では出力を押さえよう。テレパシスト以外は破壊しても構わぬのだな?」
「許す」
「恐悦至極!」
――どうする?
既にマイケルとアリシアは葉隠邸に逃げ込んでいる。庭園に居るのは恭介達だけだ。
既に懐から拳銃を取り出し、ヨシツネと呼ばれた男へ向けている。しかし、恭介の射撃の腕では二十メートル程度離れた相手に当てる自信は無い。
――相性が最悪だ。護衛はどうしたんだ? 殺されたか?
恭介達、正確にはココミを第一課の部隊が監視兼護衛している。誰も来ないのは異常事態である。
――勝ち目はココミのテレパシーだけか。
ベンケイの体を恭介は見る。ココミのテレパシーで操る。それ以外に生き残る眼は無い。
(体は静電遮蔽されてる。テレパシーじゃ操れない)
瞬間、恭介の頭にココミの声が響いた。
無許可でのPSI使用。咎める余裕は無い。
――蘇生符は操れるか?
(直接触れれば)
「ちっ」
恭介は舌打ちした。
眼前の機械仕掛けの化け物の蘇生符に直接ココミを触らせる? 不可能だ。何処かのタイミングで必ずホムラは破壊され、ココミも奪われるだろう。
恭介とココミの思考が急速に対話する。
――ホムラへのPSI補助を切ればいけるか?
ココミはそのPSIのほとんどをホムラの活動維持に割り振っている。それらの制限を撤廃すれば、かつてシカバネ町全土の電子機器を操った時の様な大規模なテレパシーが発動できるはずだ。
(駄目。おねえちゃんがまた壊れちゃう)
――七秒以内に抑える。それでもダメか。
(七秒でおねえちゃんが壊されちゃう。絶対に許さない)
ココミの意思は強固だ。既に恭介の頭はこのキョンシーに掌握されている。絶対に命令を許可しないだろう。
――詰んでるか、これは。
勝てるかもしれない手札はある。しかし、愛しい姉が壊れる可能性がある命令を妹は許さないだろう。
「では、死合おうか! パイロキネシストよ!」
ギュイイイイイイイイイイイイン!
回転が抑えられた無数の鈍器と刃をベンケイはホムラとココミに振り下ろす。
「燃えろ、燃えろ、焼き尽くせ!」
ホムラはココミを抱え、不安定な体勢のまま、右に後ろに左にと、ベンケイの攻撃を避けた。ココミのテレパシーによる思考の先読み、まるでヤマダとセバスチャンの様だ。
何度も生まれる炎。人間ならば、もしくはタンパク質を多分に含むキョンシーならばすぐに活動停止する。だが、ベンケイはほぼ完全に機械化しているのだろう。猛攻は止まる気配はない。
「くそっ!」
バン! バン! バン!
恭介はホムラ達の後ろで走りながらベンケイやヨシツネへ銃を放つが、それらも決定打には成らない。
ホムラもココミもその脳は非戦闘用のキョンシーだ。敵の動きが分かったとしてもその戦術にまでは対応しきれない。
あっと言う間に恭介達は葉隠邸内壁まで追い詰められ、逃げるスペースを失った。
「この程度か! テレパシストよ! ならば某は残念だ! お前の力を見せてみろ!」
恭介は決断する。切り札を切るべきタイミングだ。
「木下恭介が勅――!」
「――お待たせいたしました恭介様」
けれど、恭介が命令を言い終える前、彼らの眼前に一つの影が降り立った。
淫靡な香りを纏い、白き大太刀を手に持った、漆黒のメイド服のキョンシーだ。
「新手か! 素晴らしい! やあやあ、某はベンケイ! 女よ、名乗るが良い!」
「葉隠スズメが筆頭キョンシーかつメイド長、ヨダカ、参上仕りました」
言うや否やヨダカは大太刀を抜刀し、ベンケイへと切り掛かった!




