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② 疑似人格F




***




 一月五日、午前十時。


 人恵会病院603号室に恭介は居た。


 座り込んだパイプ椅子。眼前の病床には木下優花が寝かされている。


 この数年間見慣れたはずの妹の姿はいつもと違う。


 素体狩りの被害に遭い、四肢を捥がれ、脳を奪われた、哀れな妹、木下優花。


 彼女の頭に繋がれていた無数の管は外され、空いていた大穴は塞がれている。


「すごいな、優花。パッと見たら、どこに穴が空いてた分からないよ」


 頭の大穴は優花の細胞から培養した骨と肉と髪で塞がれている。安くは無かったが、少しでも彼女の見栄えを綺麗な物にしたかった。


 恭介は優花の頭を撫でた。触ってみれば段差が分かる。蓋に成っていて、ここから培養肉を注入していくのだろう。


 じんわりと暖かい。人間の体温だ。


 本当に久しぶりに、恭介はまともに優花の顔を見た。死化粧の様に整えられた彼女の顔は可愛く、小憎たらしい過去の姿と重なる。


 こうして昔の様な妹の顔を見られるのは最期かもしれない。


「……」


 眼鏡を指で整える。気持ちは定まった。嫌だし、やりたくないし、選びたくないけれど、ただ待つことは正しくないのだ。


「アリシアさん、入ってください。もう大丈夫です」


 603号室の外へ恭介は声を掛ける。途中で詰まるかと思ったけれど、すらすらと声が出た。


「はいはい。入りますよ」


 ガチャリ。ゾロゾロゾロ。


 外に居たアリシア。そして呼んでも無いのにホムラとココミが603号室へ入って来た。


「お前達は外に居て良いよ」


「うるさいわ。わたしに指図しないで」


「……」


 いつもの様に聞く耳を持たず、ホムラとココミは壁際に寄り、ジッと優花の方へ目を向けた。


――まあ、良いや。


 これから関わっていくのだ。今から顔合わせしてもおかしくはあるまい。


 フーッと恭介は眼鏡を触りながら息を吐く。


「アリシアさん。レプリカブレインをください」


「ええ、どうぞ」


 恭介が出した右手に鈍色の蘇生符、レプリカブレインが置かれた。


「もう一度説明しましょう、キョウスケ。レプリカブレイン、それはキノシタユウカの額に貼れば直ちに起動します」


「はい」


「起動後、疑似人格が形成されるでしょう。疑似人格、パターンF。再現するのに苦労しました」


「はい」


 恭介はゆっくりと頷き続ける。説明は聞いていた。瞼の裏に貼り付く程、仕様書を読み続けた。迷惑を掛けることも厭わず、マイケルに何度も確認した。


――レプリカブレイン。これを貼ったら、優花は目が覚める。


 しかし、その人格は紛い物。仮初の電気信号が木下優花と言う体で出力しているに過ぎない。


 正しい選択か。正しい行いか。判断は未だ付かない。


 逡巡は飲み込め。息が吸いにくいのはただのストレスだ。


 恭介は立ち上がる。パイプ椅子がギイッと音を立てた。


 立ってもう一度、優花の頬を撫でた。


 数年間の静寂が破られようとしている。幕を下ろすのは恭介だ。


「優花、謝れないし、謝らないよ」


 手を頬から頭へ、本当に小さい時、わしゃわしゃとこの子の頭を撫でた記憶が蘇った。


「……起きな」


 そして、恭介は撫でる様に優花の額へとレプリカブレインを押し付けた。


 ジュウウウ! 額の肉と蘇生符の通電ジェルが化学合成する音がして、肉が焼ける匂いがした。反射だろう。優花の体が細かに跳ねる。


――起動完了に十秒間。


 恭介は優花の頭を撫でる。妹の脳が変質していく様を見た。


 特に思い出すことは無かった。思い出は遠いままで、浮き上がりもしない。


 だから、十秒間はあっと言う間だった。


 ピクリと、恭介の手で何かが動いた。




「おーほっほっほっほ! 起動完了、起動完了、起動完了、疑似人格フレデリカ! ただいま起動完了だわ!」




 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!




 おしゃまな笑い声が恭介の鼓膜へと響き渡った。


 恭介の手を頭に乗せた、レプリカブレインを貼った少女は、疑似人格フレデリカと名乗った少女はカッと眼を見開いて、知っている声で、知らない笑い声を上げている。


 黙って恭介はそれを見る。


 ああ、妹の顔が喋っている。眼は開き、声は出て、笑っている。何と嬉しいことだろう。


 ああ、妹の顔で喋っている。眼を開き、声を出し、笑っている。何と悲しいことだろう。


 僅かに残った遠い日の思い出が、圧倒的な狂気の今に塗り潰されていく。


 不可逆な物が恭介は嫌いだった。


 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!


「あら? カワイイカワイイこのフレデリカ様を撫でているあなたは誰かしら?」


 笑い声を上げていた少女が恭介の存在に気付き、こちらへと目を向けた。


 大きく開かれた瞳。大きく開かれた口。額に貼られたレプリカブレイン。


「……俺は」


「あ、待って! フレデリカに当てさせて! レプリカブレインに入力されてるわ! この手の感触を海馬が記憶しているわ!」


 その瞬間、恭介は信じられない物を見た。


 キイイイイイィィィィイイイイイイイイィィィィイイイイイイン!



 空間が軋む力場の音!


 白く輝くレプリカブレイン!


 それと共に少女の体が浮き上がったのだ!


 背後でアリシアが息を呑む。


――PSI。


 恭介は意外にも落ち着いていた。


 力場で自身を浮かせ、掛けていた布団が落ち、四肢を捥がれた小さな体が晒される。


「あなたが木下恭介ね!」


 蘇生符を額に貼った少女の目線が恭介の物と合った。


 瞳の奥は微かに白く発光している。


 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!


 おーほっほっほっほ!


 少女は笑う。楽しそうに嬉しそうに。それが幸せそうなのかは判断が付かなかった。


 恭介は当たり前の様に眼前に浮かぶ少女を抱き締めた。


 少女から蘇生符と瞳の白い光が消える。ストンと軽過ぎる重さが恭介の腕に落ちた。


 とてもとても近い位置に、妹の顔があった。




「おはよう、お兄様!」




 万感の笑顔が恭介の思い出を焼く。




「おはよう、お前を何て呼ぼうか」




 まずはそれから。傷が痛みを叫ぶ前に、恭介はできることから始めることにした。

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