遠い声
第六部開始です。テーマは思い出です。
ピ、ピ、ピ、ピ。人恵会病院。603号室。
恭介はベッドで眠る優花を見つめている。
大晦日の午後三時。
「優花、今年も色々あったよ」
優花の、物言わぬ妹の頬に恭介は触れた。ちゃんと暖かい。頭に空いた大穴とそこからグジュグジュ音を出すパイプが伸びていることと、優花の四肢が無いことを無視するならば、何も問題は無かった。
恭介は優花の声をもう思い出せないでいた。
記憶は風化する。
顔はどうにか思い出せる、ような気がする。けれど、それは無残な姿とは言え、こうして優花の姿を見ているからだ。
「お前はどんな声だったっけ? どういう風に喋っていたっけ? 思い出せないなぁ」
優花だけでは無い。母も、父も、その声や匂いを恭介には思い出せない。
宝石の様だった家族との思い出は砂の様にサラサラと崩れて行く。
恭介には最早自分が何に固執して優花をこうして生かし続けているのか、実感という意味では良く分からなくなってしまった。
大晦日などの何かの節目の日。恭介は良くセンチメンタルな気分に成る。それが悪い習慣であると理解していたし、改めるべきだと思ってもいたが、改善できた試しは無かった。
「また、お前と話したいよ。母さんとも、父さんとも。焼肉とか食べたいな」
思い返すは家族との風景。ご飯を食べて、バラエティ番組を見て、偶にある家族旅行もして。
「大好きだったなぁ」
いけないと恭介は思った。今日は大分ダウナーな気分だ。愚痴を言いに妹の所に来たわけでは無いだろうに。
フレームレス眼鏡を整える。
恭介は優花と話に来たのだ。
カバンから恭介はクリアファイルを取り出し、優花の前に掲げた。
「……優花、お医者さんとアリシアさん、それにマイケルさんが言ってた。次のステップに進めるんだってさ」
クリアファイルから書類を取り出し、恭介は見る。
そこに書いてあるのはとある試作品の被検体に成ることへの誓約書だ。
被検体とはすなわち優花のことだ。
恭介は考える。この選択が正しいのか。
優花という少女の体は、命は、尊厳は、全て恭介という男の手の中にある。
そんな物を背負いたくはなかった。
けれど、背負うと決めたのは自分なのだ。決断には責任を、責任には選択を。そして、それはできうる限り正しいものでなくてはならない。
恭介は眼を閉じて、木下優花との思い出を思い出す。匂いも、顔も、声も、何もかもが遠い。
遠い遠い妹は、どんな声を出すのだろうか。
答えは帰って来ないと分かっている。それでも恭介は優花へと問い掛けた。
「優花、キョンシーに成りたいかい?」




