③ 歪みの町
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「コウセン町全住民に告ぐ。マグネロ、霊幻、アゲハ、コチョウ、ソイル、ハナビ、アレックス、トオルは敵だ。すぐに見つけて駆除しろ」
コウセン町全域に緊急警報が鳴り響いた。
――始まった。
バタバタと外へ駆け出していくキョンシー達の足音をあおいと土屋達は聞いた。
あおい達が居るのはコウセン町地下一階、B1―056。
コウセン町で多くのキョンシー達は住居に拘らない。路上で寝る個体も居れば、日ごとに住処を変えるキョンシーも居た。
故に空き家と呼べる建物は複数存在し、その中の一つにあおい達は居るのである。
窓外へ注意を払いながらあおいは土屋へ向き直る。
「私達はどう動きますか?」
「建物の間を動いて出口を目指すぞ。トオルが先導だ」
車椅子に乗ったトオルがコクリと頷く。クレアボラスを使わせるつもりなのだろう。
「お得意のかくれんぼですね」
「ああ」
コウセン町の様に入り組んだ環境においてトオルのクレアボラスは十全に能力を発揮する。
あおい達の役割は京香達のだ逸出経路の確保。
そのためには京香達がコウセン町を脱出、つまり、戦闘を終えるまでこのコウセン町で逃げ回る必要があった。
「トオル、PSI発動を許可する。周囲を索敵しろ」
「りょう、かい」
トオルの蘇生符が淡く輝き、あおいは車椅子の手押しハンドルを持ってぐるりとトオルの体を左右に一回転させた。
「……三時から六時の、方向に、キョンシーが、来てる」
どうやら、ちょうど近くのキョンシーがこの家を調べに来た様だ。
――私達が足手まといに成る訳にはいかない。
あおい達は速やかに外に出て、凄まじい喧騒を聞いた。
「敵が居る!」
「裏切り者だ!」
「人間が居るってよ!」
「我らが主!」
「我らが魂!」
「殺せ!」
「さあ、彼らを殺そうじゃないか!」
「殺せばいつまでも尽くしていられるのだから!」
「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
腹の奥に響く様な狂乱。この様なキョンシーの暴走をあおいはこれまで聞いたことが無かった。
おそらく、思考回路にエラーが起きているのだ。
人間のみに尽くすというキョンシー根幹の機能。
コウセン町で自由に生きるというコウセン町での目的。
不自由であるべきキョンシーが自由を求めた町にずっと居たのだ。
突如として与えられた人間達にエラーを吐いてもおかしくない。
――悲しい。
あまりの変貌に、あおいはそう思って、そう思ったことに驚いていた。
あおいにとってキョンシーとは、父と母を奪い、姉を奪い、兄の様な人を奪った存在だ。
でも、キョンシーを憎んでは居なかった。キョンシーと言う技術は最早社会に根付いていて、その恩恵をあおいは受けている。
ただ、あおいが憎んでいるのは、今の大キョンシー社会が持っている、キョンシーのために人を生かそうという〝歪み〟だった。
故に、コウセン町での日々をあおいはそれなりに楽しんでいた。町のため過ごし、隣人の為に尽くし合う、人類の目指した理想的共同生活だ。
だが、それでも、コウセン町は歪んでいる。
キョンシーは人が居なければ、存在してはいけないのだ。
殺意を歌う喧騒の雨に打たれながらあおい達は通りを進む。目指すのは隠れ家の一つであるB1―077だ。
ここに居る人間二人とキョンシー二体。まともに戦えるのはアレックスだけだ。
土屋は肺を悪くした。かつての様に戦えない。あおいはそもそも戦い方を知らない。トオルに至っては車椅子だ。
本格的な戦闘は避けなければならない。
白い直方体の形をした建物達、その間を縫う様にあおい達はコウセン町を駆ける。
「九時の方向、十メートルに、三体」
「一時の方向、二十メートルに、一体」
「七時の方向、十五メートルに四体」
トオルから次々と周囲のキョンシーの情報が飛んでくる。頭に叩き込んだコウセン町の地図と照らし合わせながら、あおいは目的地までのルートを修正し続けた。
少しでもルート選択を間違えれば見つかってしまうだろう。
責任も重さが背中を突き抜け、腹へと落ちる。それを自覚しながら努めて冷静にあおいは最適ルートを模索し続けた。
――ヤマダならこう言うの簡単なんだろうな。
シカバネ町に居たかつての知り合いの姿をあおいは思い出した。彼女の様な頭の良さを持っていたならば、脳が茹る様な苦しみを味わわずに済んだだろう。
けれど、それが無い物ねだりであるともあおいは自覚している。もうあおいは酒が飲める様な年だったからだ。
迷路の様な通路を駆け抜け、駆け抜け、駆け抜ける。そして、あおい達の先にB1―077が見えた。
「トオル、中にキョンシーは?」
「いない」
トオルの調査を挟み、あおい達はB1―077へと駆け込んだ。
「……ふぅ」
頭を押さえて息をあおいは整える。額に貼られた蘇生符が邪魔だった。
その横では土屋がゴホゴホと軽く水っぽい咳をした。
口元を拭い、適当な椅子にあおいと土屋は腰掛ける。気を張っての全力疾走。この数年体を鍛えているとはいえ、まともに体力が付いたとは言えなかった。
「トオル、クールダウンは何分必要だ?」
「五分」
土屋の問いにトオルが答える。車椅子のキョンシーは眼を閉じ、体中から力を抜いていた。
トオルの脳の耐用寿命はカタログ上なら既に終わっている。かつての様に常時クレアボラスを発動し続ける事はもうできないのだ。
「五分、ですか」
PSI発動の感覚をあおいは分からないが、聞いた所、それは脳を茹らせると表現される。
茹った脳が冷めるまで、トオルのクレアボラスは発動しない方が良いのだ。
「ああ、見つかったら終わりだな。アレックス、耳を澄ませろ。ここに近づくキョンシーが居たら教えるんだ」
「了解だ」
アレックスが敬礼する様に軽くバットを振った。索敵用のキョンシーでは無いが、人間より聴覚機能は上だ。あおいや土屋がやるよりも効率が良いだろう。
「土屋さん、これどうぞ」
「おお」
あおいは懐から栄養水を土屋へ渡す。
甘酸っぱい液体を飲み干しながら、あおいは京香を思った。
――今、京香は戦っているんだよね。
京香が戦う姿をあおいは直接見たことが無い。自分を抱えて逃げたり、守るためにPSI発動する姿ならば見たことがある。だが、ハカモリに入ってからの戦闘員としての京香を良く知らないでいた。
戦闘データならば見たことがある。彼女の周りでは砂鉄や鉄球が舞い、数多くのキョンシーと正しく異次元の戦いを繰り広げていた。
しかし、あおいは知っていた。京香は元来戦いが嫌いなのだ。
「できれば、すぐに、安全に終わると良いんですけど」
「……分からん。こればかりは相手次第だ」
あおいは眼を瞑り、少しだけ祈った。
――怪我しないで、苦しまないで、帰って来て。
もう、京香は十分苦しんだ。あおいも苦しめてしまった。だから、穏やかで居て欲しい。
それを京香が望まないことも、あおいには分かっていた。




