② 乾杯を君と
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宴は続き、運ばれてくる料理に一旦落ち着きが見えた頃。テーブル席には京香とあおいだけが座っていた。
ヨシノ達はリザと歌っている。京香でも知っている童謡だ。
子供体のキョンシーが歌う姿に、京香は弟と妹達を思い出す。母と一緒にキョンシー達と良く清金邸で歌った。母が知っている歌はあまり多くなかったけれど、替え歌にしたりメロディを変えたり、少ないレパートリーを日に日に増やしていった。
京香とあおいはヨシノ達が歌う様を見る。楽しそうで嬉しそうな幸せな光景だった。
それに何かを想ったのだろう。ぽつりとあおいが京香へと問いを放った。
「昔一緒に歌ったのを覚えている?」
この様にあおいから仕事以外の問いかけが来たのは、彼女と再会してから初めてで、京香は一瞬反応が遅れてしまった。
「覚えているわ」
カラオケで、とは言わない。キョンシーがカラオケボックスに入るのは不自然だからだ。
「それじゃあ、あれも覚えている? 初めてマグネロが敵を吹っ飛ばしたこと」
「あったわね。夏の日だったわ。公園でしょ」
「そうそう。私はとってもびっくりしたよ」
あおいが話しているのは、中学二年生の夏休み。京香があおいに初めてPSIを使っている姿を見せた日のことだ。
あの日は夏期講習の帰りで、迎えに来た幸太郎から逃げる様にあおいを連れて公園に行ったのだ。コーラを飲んで、ブランコに乗って、ダラダラお喋りをしていたら、急に男とキョンシー達が襲ってきたのだ。
京香は無我夢中でPSIを発動した。あおいを守らなければいけない。彼女は京香にとって初めての友達だったから。
結局、京香がPSIを発動してから僅か十数秒後、幸太郎が現場に駆け付け、襲撃者全員を無力化した。あの時の恐怖を京香は良く覚えている。
「屋上に上って花火を見た事もあったね」
「あったわね。町で一番高い場所から」
ぽつり、ぽつりとあおいが思い出を口にする。言葉はぼかして人間であったことがバレない様に。京香も失言しない様に返事をした。
眼が眩む程の青い春。それは京香にとって最後に幸せで穏やかな時間だった。
ゴクリ。酒を口に含む。苦く、美味しくも無い酒だった。結局、未だに京香は酒のおいしさという物が分からない。
――あおいと飲んだのは誕生日の時以来か。
あおいと酒を酌み交わしたのはこれが二回目だ。最初は京香の誕生日。幸太郎が用意してくれたバースデーパーティーだ。
大人に成れたと思って、でもまだ子供だと思い知らされた誕生日。上森幸太郎と不知火あかねが結ばれた日。
飲んで吐いて魘されながら聞いてしまった幸太郎とあかねの告白は、今でも京香の耳に残っている。
「雪だるまを作ったね」
「大雪の日ね。最後は雪合戦に成ったわ」
「花見もしたね」
「木に登ったマイケルが降りられなくなってたわね」
色々なことを京香はあおいとした。二人で駆け抜けた青い春。
何で、今になってこんな話をあおいはするのだろうか。京香は少し訝し気にあおいを見た。
もしもあおいとの間に何事も無かったのなら、京香は色んな昔話をしたいと思っただろうし、しただろう。
けれど、京香とあおいの思い出は、幸太郎とあかねの死で締めくくられている。
『あんたの所為じゃない』
過去に放たれた、ぐうの音も出ない程正しいあおいの言葉が、京香の心に突き刺さり、今でも血を流していた。
もしかして、あおいは再び自分を糾弾する気なのではないか、と京香は思った。彼女にはその権利がある。彼女にとってただ一人の姉が死んだのは京香の所為だ。
本当にそうだったなら、京香には拒否できない。その気も無かった。
「怒ってないよ」
まるで心を見透かされたかの様なあおいの言葉に京香は返事ができなかった。
「……何に?」
「何だろうね? 良く分かんないや」
困った様にあおいは笑った。その笑みが高校生の頃の彼女と重なって京香には映る。
京香は思い出した。ああ、そうだ。あおいが困った様に笑うのは何か言いたいことがある時だった。
そして、そんな時、京香はいつもあおいが言い出し易い様に会話を続けるのが常だった。
「あんたと思い出話をするなんて、思わなかったわ」
眉を八の字にしたまま、あおいはコクリとコップを煽った。そして、「ん」と京香も飲む様に顎で指示をする。
――どうしたんだろう?
心配に成りながら京香はあおいに続いてコップの酒を煽る。やはり美味しくない。喉に引っ掛かる感じがした。
少しだけの浮遊感が京香にはしてきた。アルコールが血管に回って来たのだろう。
「……私達キョンシーはお酒で酔わないけど、ちょっと人間を真似て、酔ったフリをしてみようって思ってね」
「酔狂ね」
「良いじゃん。マグネロも飲んで飲んで。それで昔話をしよう」
トクトクトク。あおいが京香のコップに酒を注ぐ。好みの味ではない。酔いつぶれない様に注意する必要がある。
「昔話、ねえ」
あおいと別れてから京香には色々あった。幸太郎が死に、第六課の主任と成り、戦いの日々を送り、ホムラとココミを拾って、母の肉体を使ったキョンシーに出会い、エンバルディアの撲滅を誓った。
その前の、穏やかだったシカバネ町での数年間を語り合いたいとあおいは言っているのだ。
チラリ。京香は周囲のキョンシー達を見る。誰もがパーティーに夢中だ。ヨシノ達もリザとまだ歌い合いをしている。
もう少し自由に話す時間はありそうだった。
「……海に潜った日を覚えてる? タコが出てきたやつ」
「ああ、私が絡まれたやつね。あれはびっくりしたね」
「アタシもよ。しかも、あんた、あのタコ、アタシの顔に投げたわよね」
「ビターンってすごい音がしたね」
アハハとあおいは笑う。
そこから少しずつ京香も昔話をした。
当時の京香は幸太郎に護衛をしてもらう身だったから、あおいと二人きりでの思い出はあまり無い。幸太郎かあかねか隆一か、少なくとも護衛に足る戦力を持った人間が近くに居て初めて許された自由時間。
そんな窮屈な時間だったが、記憶の中の京香とあおいは大体の頻度で笑っていた。周囲の大人達が気を使ってくれていたのもあっただろうが、何より、あおいが嫌な顔一つせず保護者同伴で遊びに来る京香と付き合ってくれたことが大きい。
「色んなことをしたね。四季のイベントは大体やったんじゃないかな?」
「一回、ハロウィンとクリスマスとお正月を一緒にやろうとしたこともあったわね」
季節ごとに行事があると、京香はかつて知らなかった。清金邸での昨日今日明日はほとんど同じで、母から教えてもらうことも無かった。
四季を巡る山景色はあったし、微妙に違う遊びをしていたけれど、お正月、ひな祭り、花見、夏祭り、ハロウィン、クリスマス、そう言った誰もが知っている様なことを京香は何も知らなかった。
「……皆、あたしに色々と教えてくれたのね」
「そうだね」
思い出を振り返り、気付く。今の京香がそう言った常識を知っているのは、幸太郎やあかねが、あの青春時代に色々と教えてくれたからだ。
「あの頃は、本当に、楽しかったわね」
「……うん」
もう二度と手の届かない、青い思い出の日々。それが他者のどれ程の努力によって支えられていたのだろう。
それを想って、京香は酒を口に含んだ。
 




