③ 年寄りの戯言
*
「ただいまー」
「帰って来たぞー」
京香と霊幻はB1―333へと帰宅した。時刻は午前零時を回っている。京香と霊幻はヨシノ達に連れられリザのコンサート打ち上げパーティーに参加したのである。
――足がクタクタだわ。
ヨシノ達に連れられパーティーや集会に参加するのは連日連夜だ。京香は疲労を自覚する。
「さっさと食べて寝ましょ」
「ああ」
何より面倒なのはキョンシー達の前でまともな食事を取れないことだ。コウセン町には人間社会を模した料理を提供する建物は確かにある。だが、それは単なる娯楽用だった。
そもそも既に神水という最適な栄養補給飲料が存在するのだ。京香の口からわざわざ料理店に行こうと言うのは不自然である。
京香は一階リビングに置いてあった携帯食へと足を進め、ソファに座っている隆一に気付いた。
「ソイル、まだ寝ないの?」
「……ああ、寝つきが悪くてな」
京香は隆一の前のソファに座った。
「どうした?」
「夕飯食べてなくて」
包装をベリべリ剥がし、栄養満点のカロリーバーを京香は口に入れる。
――パサパサ……。
乾燥したカロリーバーは急激に口から水分を奪う。このまま食べ続けるのは気乗りしなかった。
「霊幻、水持って来て」
「了解だ!」
背後に立たせていた霊幻がドタドタと二階に上っていく。京香達の部屋に置いてある水を取りに行ったのだ。
「……霊幻との関係はどうだ?」
唐突に隆一が京香へと問いを投げた。
「良い感じって言えるんじゃない?」
京香の曖昧な返事に隆一の視線がB1―333の二階の霊幻の足音の動きへと向けられた。
「あの頃から随分色々と変わったな」
「……アタシもそう思うわ。ソイル、あんたが体を壊すなんて想像もできなかった」
「三年前、仕事でヘマをしてな。肺を壊しちまったんだ」
「アレックスの機械化が進んでいるのと、トオルが壊れかけてるのもそのヘマが原因?」
「いや、あいつらの劣化は単純な経年劣化だ。トオルは後二年保つか保たないか、だな」
幸太郎が死んでからの五年間。隆一にも色々なことがあったのだろう。
「持って来たぞ!」
「ん、ありがと」
京香は霊幻から受け取ったペットボトルを開け、口に付けた。口内の水分が復活し、カロリーバーを更に食べ進める。
「霊幻、お前の耐用寿命は後どれくらいだ?」
「ッ」
ナイフを首筋に突き立てる様に隆一の言葉は突然だった。
「……急にどうしたの?」
「俺達の情報網を舐めるな。霊幻の稼働限界が近付いているんだろう?」
「……」
京香は意識して、霊幻の稼働限界を意識しない様にしていた。それを否応なしに隆一は掘り起こされ、上手く返事ができなかった。
「吾輩の耐用寿命か……。どう長く見積もっても二年以内だ。マイケルの予測によれば、だがな」
「使用状況でも変わるのか」
「吾輩達はエンバルディアとの戦いを控えている。毎日の様にPSIの全力発動を繰り返し続ければ、三か月と保つまい」
「お前のPSIはエレクトロキネシスだものな」
ふぅっと隆一が息を吐いて、京香の顔を真正面から見た。
「この先のことを考えているのか?」
「……ええ」
「本当にか?」
「何が言いたいのよ?」
京香の眼が剣呑に細まる。良くないと分かっていたが、止めることができなかった。
「お前は霊幻に依存している。幸太郎が死んでから、ずっとだ」
「あんたに、何が分かるのよ?」
刺々しい語気だ。一歩間違えば叫び出してしまいそうな程の荒波が京香の中で巻き起こる。
「お前は霊幻が壊れてしまうことから目を逸らしているだろう?」
図星を付かれ、京香は息が止まった。
そうだ。霊幻が稼働限界を迎えると告げられたクリスマス以来、京香は一度としてその話題を口に出さなかった。今までの様に霊幻と過ごし、今までの様に仕事をし、今までの様な日常をなぞっていた。
「……そんなこと、ない」
真っ赤な嘘であることは明白だった。だが、これ以上の議論を拒絶する響きが声には含まれ、隆一がしまった、と言った顔をした。
「すまん。言うタイミングじゃなかったな。忘れてくれ」
ばつが悪そうに隆一が頭を下げる。この様な彼の姿を見るのは初めてだった。
さっさとこの場から京香は離れたかった。だが、カロリーバーはまだ半分程度残っている。そのまま上に行くのはそれこそばつが悪かった。
京香はカロリーバーの食事を再開する。空気が重く、カロリーバーの味がしなかった。
モグ、モグ。カロリーバーが残り四分の一に成ったところで、隆一が再び話しかけてきた。
「……色々なことがあったな」
「そっちがまさか探偵事務所を立ち上げてたなんて。教えてくれれば良かったのに」
「事情があってな」
第六課に居た頃の隆一の役目は諜報員だ。今はヤマダがその役目の一部を引き継いでいるが、様々な情報を彼経由で手に入れ、幸太郎は戦いに行っていた。
「今になってアタシ達の前に現れたのには何か理由でもあるわけ?」
水瀬の言いぐさからして、隆一とあおいがずっと前からハカモリに協力していたのは明白だ。だが、京香を初めとして第六課のメンバーは誰一人としてその事実を知らなかった。
隆一とあおいが京香達に関わりたくないというロジックは悲しいが理解できる。京香達に、第六課に関わるということは上森幸太郎と不知火あかねを思い出すことに他ならない。
京香は毎日毎分毎秒、幸太郎とあかねのことを思い出し、その度に胸が少し苦しくなる。こんな物、感じずに済むのなら越したことは無いのだ。
だが、今になって隆一とあおいは京香達に関わった。それも自主的にだ。
京香のジッとした視線が隆一を見る。彼は事情を明かすことにしたのだろう。フゥッと息を吐いて胸を擦り、隆一が口を開いた。
「……俺は幸太郎が死んでからずっと、あいつとあかねを殺したメルヘンカンパニーの存在を追っていた。ストレイン探偵事務所での業務の片手間だがな」
京香は今の今まで自分が勘違いしていたことに気付いた。隆一とあおいはただの一度も幸太郎とあかねの事を忘れたわけでは無かったのだ。
「……見つかったの?」
京香は幸太郎の血の匂いと暖かさを思い出し、殺意が胸の内から膨れ上がった。
メルヘンカンパニー。幸太郎とあかねを殺した組織。京香はずっとその存在を探していたが、見つけることはできなかった。
「ねえ、隆一さん、メルヘンカンパニーが、見つかったの? ねえ?」
「ああ」
京香の手に持っていたカロリーバーが砕けた。
「教えて」
「駄目だ」
「吐かせるわよ? アタシも拷問が上手く成ったんだから」
ほとんど考えずに京香は喋っていた。今ここで恩のある男へカワソギを押し当ててでも情報を吐かせるという意思が声には現れている。
「……メルヘンカンパニーはキョンシーとキョンシー使いの非合法派遣会社だ。メルヘンカンパニーを潰したからと言ってあいつらの復讐には成らん」
「じゃあ、あいつは? カーレンって名乗ったあの女は何処に居るの?」
食って掛かりそうな勢いで京香は立ち上がり隆一の襟首を掴んだ。
一切の態度を変えず、隆一は淡々と京香へ告げた。
「それが本題だ。俺とあおいがわざわざこのコウセン町に来ている理由でもある」
「――」
すぐに京香は理解した。
「カーレンを始めとしたメルヘンカンパニーの傭兵達の一部はエンバルディアへと鞍替えした様だ」
「……そう。あいつは、あいつらはエンバルディアに居るんだ」
隆一の襟首から手を離し、京香はわなわなと手を震わせた。
復讐を望んだ相手の居場所が分かった。しかもそれは京香が撲滅しなければならない対象と共に居る。
忘れぬ怒りで体を震わせる京香へ隆一が決意の籠った声で話しかけた。
「俺は老いた。昔の様には戦えない。だが、まだ出来ることがある」
「……」
見開いた眼で京香は隆一を見る。
ソファに座ったままの細くなった体の男。昔の様な頑強さは見る影も無い。
「エンバルディアを潰すぞ」
けれど、眼だけは昔の様に、それ以上にギラギラと輝いていた。




