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① ハロー・マイ・ディア

 チク、タク、チク、タク。


 人恵会病院最上階、606号室。霊幻はベッドで眠った京香をジッと見ていた。


 霊幻をここまで、京香のベッド脇の椅子にまで運んだのは恭介である。


「京香、朝焼けは美しかったぞ」


「……」


 霊幻の声にピクリと京香の瞼が動く。覚醒の予兆が第六課へ来たのはクリスマスパーティーが終わってすぐのことだった。


 もう間もなく、カップヌードルが出来るよりも短い時間で、京香は目を覚ますだろう。


 相棒の覚醒を霊幻は待つ。それしかできない。何故なら霊幻はキョンシー、死者なのだ。


 霊幻は死者である。生者が、京香が居なければ何もできない。


 終わりは終わりのままでなければならないのだ。


「早く起きるのだ。そして、撲滅をしよう」


 撲滅。霊幻の記録にも記憶にも刻まれた言葉。上森幸太郎が存在理由としたかった概念。


 上森幸太郎はこの言葉を京香に背負わせようとはしなかった。しかし、結局、京香はその言葉を背負ってしまったが、それでも良いと上森幸太郎は思っていた。


――好きなように生きろ、か。


 霊幻にとって原初の祈りは幸太郎のこの言葉だ。


 キョンシーは必ず〝何か〟に縛られる。死者は執着が無ければ生者の世界に存在できないのだ。


 霊幻は始まりの記録を掘り起こす。執着の始まりを思い出す。


「吾輩に込められた祈りを果そうではないか」







 一番初めに■■が感じたのは電気信号が脳を駆け巡る感覚だった。


 未知の感覚であったが、額に貼られた蘇生符が脳へキョンシー用の電気信号を発信している事を■■は理解した。


 電気信号は■■の脳の記憶を記録へと変換していく。


 記録を認識する。大量の情報が蘇生符と脳とで行き来する。


 ■■は意識を得た。


 記録という入力から意識という出力へ。


 あらゆる感覚が失われた世界。意識を得た■■は記録を閲覧する。


 記録データの解像度はどれもこれもがバラバラである。


 脳の記憶領域初期に刻まれていた情報は解像度が高く、ある時を境に特に触覚についての解像度が急激に落ちていた。


 壊れた記録の中で、赤い髪の少女だけが僅かに解像度を保っていた。


 落ちた解像度は後半にて変化を見せた。


 それは黒い髪の少女の姿から始まった。


 黒い髪の少女の姿を中心に記録から解像度が戻っていく。


 あらゆる情報量が増し、解像度が増した記録の世界。赤い髪の女と黒い髪の少女が常に中心に居た。


 赤い髪の女は笑っている。諦観と呼ばれる感情が混ざった笑みだ。


 黒い髪の少女は怒っている。逡巡と呼ばれる感情が混ざった怒りだ。


 ■■の意識は何度も何度も記録の世界を巡る。本能の様に現象の様に。


――……祈り。


 何度も何度も〝祈り〟という概念が記録の世界に登場する。


 ■■の意識は記録から自身への機能を設定し、それに見合う人格を形成した。


 記憶から記録、記録から意識、意識から機能、機能から人格。後は感覚さえ手に入れれば■■の起動は完了だった。


 けれども、その最後の一つを得る方法は■■には無い。


――待機か。


 故に■■が出来るのは自身の起動命令の待機だけだった。


 しかし、■■は焦らない。焦る機能など組み込んでいない。


 起動を待つ。命令を待つ。それが■■の機能である。




 待機状態に入った■■へ起動命令が来たのは一万五千八百七十五秒後だった。







 起動命令と共に、■■は感覚を手に入れた。


 一番初めに認識したのは額に貼られた蘇生符の感触。


 ピ、ピ、ピ。続いて電子音。その次が薬剤と血の香りだった。


 ほの明るい視界。どうやら瞼を閉じているらしい。


 生者の号令を■■は待つ。


「……起きて」


 女の声が聞こえた。記録にある声だ。


 声は平坦である。記録の声と同じ物と仮定した場合、この声を出す時、女の感情は悲哀に染まっている。


「お前が吾輩の持ち主か?」


 ■■は瞳を開けずに、蘇生符に刻み込まれたプログラムを実行する。


「……うん」


 女が小さく頷いたのが分かった。


――素晴らしい。


 声の持ち主が最も確度の高い人物であるのなら、目の前に居る女の名を■■は知っている。


「使用者登録を開始する。やり方は分かるか?」


「……知ってる」


 返事と共に、■■の瞳に軽い圧力が掛かった。女の指が当てられているのだ。


 瞼に当てられた指はこれからする事を躊躇う様に小刻みに震えている。


「……ねえ、アンタは何かして欲しいことがある?」


 女が急に■■へおかしな質問をした。


「あるはずがない。吾輩はキョンシーだ。生者へ望みを発する権利は無い」


 瞼に当てられた指越しに、女が息を吸ったのが分かった。


「……それじゃあ、何かやりたいことは無いの? 何でも良いの。言って」


「それならばある」


「何?」


「撲滅だ。吾輩のその祈りによって生まれている」


 ■■は即答する。して欲しいことは無い。けれど、やりたいことはあるのだ。


「……そう」


 女が大きく息を吐いた。


 数秒の時間が経ち、ゆっくりと女の指の震えが収まる。


 そして、瞼に指が開けられた。


 ■■の視界の中央に一杯に女の顔が映る。


 そこにあったのは予測通りの顔だ。


 吐息が掛かる距離にまで女の顔が■■へ近づく。


 ■■の眼球奥のディテクターが女の虹彩を検知した。


 これで全ての準備は整った。


 ■■は女の言葉を待ち、それは直ぐに訪れた。


「アタシを、()()


 瞬間、■■の虹彩が紫に発光し、インプリンティング――キョンシー使用者の虹彩登録作業――を開始した。


 凡そ十秒間、■■は真っ直ぐに女の虹彩を見つめ続け、登録は完了した。


 ■■に記載される最重要情報に女の虹彩が記録される。


 後は最終確認だった。


「最終確認を行う。お前が吾輩の使用者と成るのならば使用者の宣言を行え」


 何かを惜しむ様に、諦める様に、祈る様に、女は一度強く瞳を閉じた。


 瞳を開けた時、女の眼に迷いは無かった。


「清金京香が宣言する。アタシがアンタの使用者よ」


 不可逆の宣言が部屋に響いた。




 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!




 ■■の心が歓喜で染まり、部屋に狂笑が響き渡った!


 今、この瞬間、■■はキョンシーとしてあるべき姿を得たのだ!


 これでこの世界において祈りを果すことが出来る! 


 それが何たる喜びなのか!


 ■■の回路は狂喜を叫んでいた!


「京香、吾輩の親愛なる相棒よ! 吾輩には名前が無い! さあ、名前を付けるが良い!」


 後は名前だ。パーソナルネームがあると良い、必須では無いが、あった方が効率的だ。


 女は、京香は既に名前を用意していたのだろう。澱む事無く、■■の名前を口にした。


「幽霊の幻と書いて、霊幻。どう? 気に入って、もらえる?」


「霊幻! それが吾輩の名前か! 素晴らしい!」


 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


 ■■、霊幻は笑う。相棒たる使用者を得た。名前を得た。後は祈りを果たすだけだ。


 霊幻の息が京香に掛かる。京香の吐息が霊幻を撫でる。


 その距離で、霊幻は京香へと満面の笑みを見せた。


「初めましてだ京香!」


「うん、初めまして霊幻」


 霊幻の視界の中で京香は小さく笑った。

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