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① 餌の少女

「んん、いったぁ」


 ズキズキとした頭痛で不知火あおいは眼を覚ました。


「嬢ちゃん、眼が覚めた様だね」


 不快な覚醒の直後。あおいの視界に見慣れぬ老婆の顔が入ってきた。どうやら自分は寝かされていて、この老婆は立っている様だ。


――ついさっきまで大学からの帰り道だったはず。


 ズキズキとした後頭部の痛み。何かに殴られた、僅かな記憶を遡りながら、あおいは口を開く。


「……誰? ここは何処?」


「おやまあ、誘拐されたってのに冷静だねぇ」


「生憎と荒事には普通の人より慣れてるんだよ」


「肝が据わった子は好きだよ私は」


 カッカッカ。老婆の笑いと共にその足元から硬い音が鳴る。


 老婆の両脚はコンパスの様な赤い義足だった。


「おっと、質問に答えないとね。私はカーレン。ここはシカバネ町のとある倉庫。嬢ちゃん、あんたを誘拐させてもらったのさ」


 あおいは起き上がろうとしなかった。腕と脚が縄で縛られていると分かっていたからだ。


 カーレンと名乗った老婆の言う通り、ここは確かに倉庫の様だ。電灯が少なく薄暗い。赤錆色のコンテナが幾つもあり、それらに囲まれた地べたに自分は寝かされているらしい。


「へぇ、誘拐。何で私を? 言っておくけど、私の素体ランクはE-。いくらシカバネ町換算でもリスクとリターンが見合わないよ」


「体目当てならとっくにバラしているさ」


 それはそうだろう。分かっていてあおいは言ったのだ。


「それじゃあ何が目的なの? こんな一般人を捕まえてさ」


 あおいはとても堂々としていた。今の自分は俎板の鯉だ。できることはパクパクと口を動かすだけ。


 だが、彼女は決して元から肝が強い訳では無い。歩んできた経験が諦観にも似た度胸を育たせていたのだ。


「確かに嬢ちゃんはただの一般人さ。でも、嬢ちゃんの周りはそうじゃないだろう?」


「……京香目当てか」


「その通りさ。縛られた嬢ちゃんの写真は清金京香にもう送ってある。清金京香にとって嬢ちゃんは親友なんだろう? きっと助けに来るはずさ」


「きっとじゃない。絶対に来るよ。京香は来ちゃう」


 苦い思いがあおいの胸中で滲み出る。今、あおいと京香は絶交状態だ。あかねの葬式で京香に吐いた理不尽な言葉。吐いてしまったアレをあおいは撤回できないでいる。


 故に、だからこそ、京香と言う女はあおいを助けに来てしまうのだ。


 京香は情が深いと、あおいは長い付き合いの中で良く知っていた。


 少女であった頃、あおいと京香は同じ中学高校で青春を過ごし、何度もキョンシー犯罪に巻き込まれた経験がある。それは京香を狙ったものであったり全く無関係であったり様々だ。


 友人と呼べる関係に成ってから、騒動の中で京香は常にあおいを守ろうと躍起に成って動き続けた。PSIを使えるという秘密もさらけ出し、キョンシーの矢面に立ち、怪我を負いながら、あおいだけは無傷で帰そうとしてくれていたのだ。


 だから、京香が絶対に自分を助けに来るとあおいは確信していた。


――今の京香は追い詰められてる。幸太郎さんにも連絡はしないかも。


 追い詰めた要因の一端はあおいにもあった。


「でも、嬢ちゃんには悪いことをしたね」


「悪いことって? 誘拐したこと?」


「それもあるけど、不知火あかねは()()()()()()からね」


 一瞬、あおいの頭が真っ青に成った。


――そうだ。赤い義足の老婆。幸太郎さんから聞いていた。


 この老婆が、姉の、不知火あかねの仇なのだ。


「お前か」


 眼を見開き、肩が震える。けれども、あおいは叫ばなかった。


 その様子にカーレンはやや落胆した態度を見せた。


「やっぱり嬢ちゃんもシカバネ町の人間だね。身内が死んだってのに薄い反応だ。不知火姉妹はとても仲が良いって聞いてたけど、それは間違いだったのかねぇ」


「お望みならこの縄を解いて。今すぐにその枯れた首を折ってあげるから」


 あおいはカーレンを睨みつける。その顔の皺一本に至るまで記憶に刻み付ける気だった。


「おおっと、嬢ちゃんはちゃんと怒っていたみたいだ。ごめんね、素直に謝るよ。このシカバネ町の住民の考えが私はどうにも好かなくて。身内が死んだってのにヘラヘラしてるやつばかりじゃないか。嫌だ嫌だ。なんだい、命を大事にしろってんだ」


 カッカッカ。カーレンが嬉しそうな笑い声を上げる。


 その笑い声を頭上で浴びせられながら、あおいは相反する二つの自分に気付いた。


 一つは怒りに支配されそうな妹としての自分と、もう一つは死に鈍感に成ったシカバネ町の住民としての自分。


――ああ、そうか。これがシカバネ町なんだ。


 生者の価値が暴落したこの世界でも、一般的に生は死よりも価値を持つ。けれど、シカバネ町の住民の感覚ではその価値観が逆転することが良くあった。


 他人事の様に聞いていたそれが自分の中にもあったのだとあおいは初めて気付いたのだ。


 親しい人間の死に対して、ひたすら悲しみと怒りと寂しさに支配されると思っていただけに、自身の感情に不純物が混ざっている事実はあおいの胸に氷の針の様に突き刺さった。


 人知れずショックをあおいが受けていた時、ピピピピピピとアラーム音が鳴った。


 あおいの物ではない。目の前のカーレンから音が鳴っていた。


 カーレンが懐に手を入れてスマートフォンを取り出し、耳に当てた。


「……ああ、了解だ。さっさと戻りなよ。え、追われてるって? そいつの座標は何処だい? 狙撃してやるよ」


 スマートフォン越しにカーレンが二三のやり取りをし、スマートフォンへと画面を向け、何やらを確認し、そのままコンテナの向こうへ声を掛けた。


「アカズキン、来な。仕事だよ」


 現れたのはオオカミの顔をした赤いフードを被った異形のキョンシー。異常に大きく膨らんだ腹が苦しそうだった。


 そして、カーレンは懐から取り出したのはダイヤル付きの武骨なゴーグルを装着する。


――あのゴーグルは……。


 あおいにはそのゴーグルに見覚えがあった。


「さて、嬢ちゃん、私は急用だ。少しここを抜けるよ」


 カッカッカ。笑いながらカーレンがアカズキンと呼ばれたキョンシーを連れて倉庫から出て行った。

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