③ 恨んで、憎んで、怒って
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キョンシー犯罪対策局ビル、地下一階の男女共用仮眠室に幸太郎と京香、そしてライデンは居た。この仮眠室は要人を匿う区画にも成っている。幸太郎はこの部屋へ京香を半ば強引に押し込めたのだ。
京香はかなりの抵抗を見せたが、PSIもまともに使えない彼女が幸太郎の腕力に敵うはずが無かった。
共用仮眠室の市場の奥のベッドにて京香は無理やり寝かされている。現時点で拘束はしていなかったが、もしも激しく暴れるようなら幸太郎は縄で縛ることも検討していた。
『つまり、しばらくその仮眠室で清金京香四級捜査官を匿うという事だな?』
「はい。そんな感じでお願いします。俺達は基本的にこの部屋に居るんで」
『良いだろう。では、上森幸太郎一級捜査官、何があっても清金京香を死守しろ。これはお前が決めたことで、お前が始めたことだ。お前にはその責務がある。こちらもできる限りの支援はしてやろう』
「……はい。感謝します」
ピッ。
水瀬との諸々のやり取りを終え、幸太郎は京香のすぐ向かいのベッドに腰かけた。
ふーっと深く息を吐く。酷い疲労を幸太郎は実感していた。
そんな幸太郎へずっと黙っていた京香が縋りついて頭を下げた。
「先輩、お願いだから敵を探しに行かせて」
「駄目だ」
それを幸太郎は一蹴する。今の京香はあまりにも脆弱だった。PSIがまともに使えなくなっている事がバレたのならすぐにでも敵は突撃し、この生体を奪っていくだろう。
「なら、先輩だけでも良いから探しに行って」
「無理だ」
これも幸太郎は一蹴する。ハカモリには裏切り者が入り込んでいる。京香を守るのに最も妥当性が高いのは幸太郎が護衛に付くことだ。
「なんで? 大丈夫、先輩があかねさんの仇を探しに行くなら、アタシは絶対に言うことを聞いてここに居るから。このビルから出ないから。だから、先輩は行ってよ」
「それとこれとは別の話だ」
「ッッッッ!」
京香の手が幸太郎の胸ぐらを掴んだ!
「行ってよ! 先輩はそうしたいんでしょ!?」
「――」
京香は激昂する。黒髪はわなわなと揺れ、感情を制御できないでいた。
「先輩は、アンタはっあの日アカネさんと話してたじゃん! 一緒になろうって! アタシとのことが全部終わったら、あかねさんと一緒になろうって! 聞いたことも無い声でそう言ってたじゃない!」
「――」
――そうか。聞いていたのか。
あの日のことを、京香にすぐ後ろで聞かれていたと知り、それがどれほど彼女を傷付けたのかと幸太郎は思考が飛びそうなる。
なおも京香は詰め寄った。
「ねえ、なんでアタシなんて守ろうとうすんのよ!? アタシは、アタシが居たからあかねさんは死んだのよ!? なら、アンタはアタシを恨んで、憎んで、怒ってよぉ!」
声はとても悲痛だった。京香は罰を求めているのだ。
自身をどうしても京香は許せないのだろう。だが、不知火あおい以外の誰一人として、京香の事を責めなかった。それがあまりにも彼女にとって苦しいのだ。
「違う。それは間違っている、京香」
けれど、彼女が責められる謂れは何一つとして存在していないのだ。
「京香、お前があかねを殺したのか?」
「そうでしょ!? アタシの所為であかねさんは死んだんだよ!」
「違う!」
幸太郎は京香の頬を掴み、鼻先が付くほど顔を近づけた。
「絶対に間違えるな! あかねの死はお前の所為じゃない!」
幸太郎は声を荒げた。
あかねの死に悲しむのは良い。苦しむのも結構。悔やむのも当たり前だ。
だが、自責の念を取り違えてはならない。
「お前に悪意はあったのか? お前に害意はあったのか? 少しでもあかねを死なそうと行動したのか?」
「ちが、う。そんなこと、してない」
「なら、お前は何も悪くねえ。悪いのはメルヘンカンパニーだ。あかねの死に責任を持つべきなのは俺だ」
責められるべきなのは幸太郎だった。何故、もっと手厚い護衛を京香に付けておかなかったのか。結果論だが、第一課や第五課から人手を借りてくるべきだったのだ。
それらの判断ミスの責は第六課主任である上森幸太郎にのみ発生する。
「でも、それでも、アタシがもっと強ければあかねさんは死ななかったんでしょ?」
至近距離で京香は言う。
確かに事実だ。もしも、京香が何物にも負けぬほど強く、最強の存在であったのなら、敵はそもそも襲ってきたりはしない。
だが、それも詭弁だった。
幸太郎は知っている。京香は自罰的なのだ。
故に分かっていた。今、自分がどう言葉を尽くしても、彼女の中で論理はこねくり回され、清金京香が悪いという結論に成ってしまうのだ。
京香が頭を振り乱し、頬を掴んでいた幸太郎の手を振り払った。
「アンタに守られるだけの、弱いアタシだからあかねさんは死んだんだ! アタシが弱かったのが全部悪いんだ! アタシが、アタシが居たのが全部の間違いだったんだ!」
「――!」
パン! 気付いたら幸太郎は京香の頬を叩いていた。
決して強い威力ではない。訓練ではこれ以上に強烈な攻撃を京香へ浴びせている。
けれども、訓練以外の場で京香へ手を上げたのはこれが初めてだった。
「二度と、二度とその言葉を使うな。お前が居たのが間違いだったはずが無い」
自分がどんな表情をしているのか、幸太郎には分からない。
しかし、京香から見える、顔の強張り、吞まれた息、僅かに広がる瞳孔。それらから今自分がよほど酷い表情をしているのは確かだった。
――やっち、まった。
失敗を幸太郎は悟る。今、自分は言葉を尽くすべきだったのだ。どれほど言ってはいけない言葉を京香が吐いたとしても、言葉を尽くす場面で、言葉しか尽くしてはならない場面で、それ以外の物を行使しては成らないのだ。
暴力に訴えてしまった。これ以上、この場で言葉を尽くすのは不可能だった。
「……」
「……」
幸太郎と京香の間に気まずい沈黙が流れる。暴力を行使した幸太郎に何か言う資格は無く、暴力を行使された京香に何か気に掛ける義務が無かった。
故に、この話はここで終了である。
本当はもっと話すべきこと、伝えるべきこと、共有するべきことがたくさんあった。それが具体的にどういう物なのかは幸太郎にも分かっていなかったけれど、それも含めて分からないなりに京香と話すべきだったのだ。
でも、これで話は打ち切りだ。
重い唇を開き、幸太郎は京香へペットボトルの水を渡す。
「叩いて、いや、殴ってごめん。水飲んで寝るぞ」
「……」
幸太郎は京香が受け取るまで、ずっとペットボトルを差し出し続けた。




