① あんたの所為じゃない
午前零時を回った。斎場。
「いやあああああああああああああ! お姉ちゃん! お姉ちゃああああああん!」
幸太郎の耳にあおいの悲鳴が響く。
棺桶に不知火あおいが縋り付いた。
気丈に喪主を務めあげていた彼女だったが、終わりの時にその感情は限界を迎えた。
あかねとあおい、そして幸太郎は古くに親をキョンシー犯罪で亡くしている。
シカバネ町においてそれは珍しい事では無い。
親を亡くし、運良く生き残った子供達は巨大保護施設〝ヒガンバナ〟に入るのだ。
ヒガンバナでの穏やかな日々は幸太郎とあかねが高校を卒業し、キョンシー犯罪対策局に就職するまで続いた。
あかねとあおいはただ二人残された姉妹としてずっと支え合って生きてきたのである。
その片割れを失った痛み。不知火あおいはとうとうこれで天涯孤独と成ったのだ。
棺にしがみ付いたあおいを参列者達は止める事が出来ない。
第六課の他に、桑原を始めとしたあかねの古巣である第一課、そして、幸太郎達の同期である第四課主任に先日就任したばかりの関口湊斗が来ていた。
白樺の棺に収められた不知火あかねを囲む様にそれぞれが沈痛な表情を浮かべている。
きっと自分の表情もそうなのだと、幸太郎は分かっていた。表情が上手く動かない。筋繊維が固まってしまったように一挙一足全ての動作が遅れている。
「それでは運ばせていただきます」
棺からあおいが解体屋に引き剥がされる。
「やだ、いやだやめて! お姉ちゃんを連れていかないで! 連れていかないでええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
シカバネ町において葬式のゴールは火葬ではない。
住民達の最後は須らく解体だ。
不知火あかねの素体ランクはD+。このランクならばパーツ毎に分解だろう。
「やだやだやぁだ! お姉ちゃんバラバラにしないで! お願いお願いお願い! お願いだからぁ!」
あおいの願いは聞き届けられない。キョンシーのために死体は新鮮な内に解体するべきなのだ。葬式をわざわざ開いただけでも破格なのである。
――。
一瞬、幸太郎は無意識にその棺を追いかけようと足を出した。
不知火あかねは今から解体される。今日の朝にでも全国へ出荷されるだろう。
そうなれば、もう二度と不知火あかねの姿を見ることが出来なくなる。
幸太郎の脳裏に、あかねとの日々が駆け巡った。
ヒガンバナであかねと出会った日。あかねと駆け抜けた青春の日々。キョンシー犯罪対策局へ入った日。初めて死にかけ、病室で見たあかねの泣きはらした顔。酒を共に飲んだ日。京香を拾った時のあかねの強張った顔。
色々な顔が脳裏に過る。どこまでも強く網膜を焼いていたのはあの微笑みだった。
しょうがないなぁ、とでも言う様なあの微笑み。
何かを諦めている様で諦め切れていないあの微笑み。
キスをして目が潤んだあの微笑み。
鮮烈な思い出の中の笑みが幸太郎の足を止めた。
ガラガラガラ。キャスターに乗せられて不知火あかねの死体が解体場に向かっていく。
無慈悲に無感情に、あかねはキョンシーのパーツへと解体されに行くのだ。
「やぁだああああああああああああああああああああああ! お姉ちゃあああああああああああああああああああん!」
*
葬式は終わり、ぞろぞろと参列者は帰って行った。
最後に部屋に残ったのは、幸太郎、京香、そして床にへたり込んだあおいの三人だけだった。
ライデンは斎場の入口で待機させてあった。
三人が斎場に残ったのは偶然ではない。あかねと最も関係が深かったのは幸太郎達だ。
斎場の誰もが口を閉じていた。幸太郎と京香は顔を強張らせ、あおいは一人だけ呆けた表情をしていた。
幸太郎は上手く言葉で思考できないでいた。言葉にしてしまうと上手く動けなくなるからと、体が拒否反応を起こしているのだろう。
自分の横隔膜が上下に動いている感覚が妙に強かった。
五分か、一時間か、時間の長短は崩れていて、どれだけそうしていたのか分からなくなった頃、幸太郎は自分がいつの間にか息を止めていたことに気付いた。
肺は生きるためにその役割を果たしてしまう。
スウ。幸太郎が息を吸う音が斎場に響いた。
過冷却状態の水は僅かな刺激で氷へと相転移する。
それと同じように静まり返っていた斎場で鳴った幸太郎の呼吸音は均衡を崩すのには充分な刺激だった。
誰もがきっかけを求めていたのだろう。
能動的であるか受動的であるかの違いはあっても、動き出すのには充分なきっかけだった。
「……あおいちゃん。対策局の宿舎に行こう。これからのことを決めなきゃいけない」
時刻は深夜であり、この時間にあおいを一人で帰す訳にはいかない。
不知火あかねの死はもうシカバネ町全体へ知れ渡っているだろう。共に暮らしていたあおいは既に危険な状態であった。
幸太郎の言葉にあおいが虚ろな瞳を見上げた。
瞳に力は無く、青い髪は心なしかくすんでいた。
幸太郎は思い出す。あかねは自分の髪をいつも鮮やかな真紅に染めていて、あおいの青髪はそれを真似た物だ。
立つのを手伝おうと幸太郎は手を伸ばし、あおいがその手を力無く取った。
力を入れて立ち上がらせても、あおいの眼は虚ろなままだ。
その虚ろな瞳が、幸太郎のすぐ横で顔を伏せたまま立っていた京香へと向けられた。
「ねえ、京香、何でお姉ちゃんは死んじゃったの?」
「あおいちゃん、それは」
「ねえ、何で?」
幸太郎が止めようとするが、あおいがそれを聞き入れる様子は無い。
一歩二歩三歩。小さな歩幅であおいが歩み寄り、京香が小さく後ずさりした。
「それ、は」
「ねえ、教えてよ。お姉ちゃんと一緒に居たんでしょ?」
あおいの手が京香の肩を掴む。力は弱いけれど、それを京香が振り払う様子は無かった。
「あかね、さんは、アタシを守ろうと、して」
京香の声はたどたどしいが、事実を告げていた。確かに不知火あかねは清金京香を守るためにあの場に残ったのだ。
「敵は、アタシを狙ってて。強くて。あかねさんは、逃げろって、言って。アタシは嫌だって言って、でも眠らされて、逃げちゃって」
支離滅裂なぶつ切りの言葉。そうなるのも無理はない。京香も冷静に話せる状態に無かった。
「じゃあ、じゃあ、あんたの所為じゃない」
ピシリ。京香がひび割れたと幸太郎は分かった。
「……うん、全部、全部、アタシの、所為」
それきり何の言葉も交わされず、幸太郎達は対策局の宿舎へと向かった。




