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③ 全部が終わったら







「……あ、むり、きもちわるい」


 更に時間が経ち、当然の様に京香が潰れた。





 主役が潰れ、今日のパーティーはお開きとなり、幸太郎とあかねはパーティーの後片付けをしていた。京香はソファの上でうーんうーんと唸りながら寝ており、それ以外の面々はビルの地下一階にある仮眠室へと既に向かっていた。


「京香酔って騒いで吐いて寝るタイプだったな」


「本人は幸せだろうね~」


「いや、めっちゃ顔顰めて唸ってるぜ?」


「何事も経験経験。吐いて飲んで人は大人になるのです」


 あかねと軽口を叩きながら幸太郎は部屋の片づけをする。


 残ったケータリングを冷蔵庫に入れ、出たゴミをビニール袋に詰め、机の位置を軽く戻したり、そんな作業は思ったよりもすぐに終わった。


「ふー」


 パンパン。手を軽く叩く。残りの作業は明日で良いだろう。


 後はこのまま京香を女性用仮眠室で寝かせ、幸太郎は男性用仮眠室で寝るだけだった。


 のだが、幸太郎は第六課のオフィスを正確にはソファで寝かされた京香を見たまま動きを止めた。


「コウちゃん?」


 あかねは既に下に行く準備をしていて、幸太郎へと眉を上げる。


「……二十歳に成ったんだなぁ」


 万感を込めた言葉であった。この様な声色が自分の喉から出てくるなんて幸太郎には思いもしなかった。


「……うん。そうだよ。京香ちゃんは二十歳に成ったんだよ」


 ああ、確かにそうだ。京香の顔は二十歳の女性の顔だった。決して拾った頃の、十四の頃の、少女の頃の顔ではない。


 時間が経っていたのだ。少女が大人に成るまでの。あっという間だったけれど決して短くはない時間が。


 幸太郎はやっとそれを自覚したのだ。もう京香は子供ではなくて、子供の様に扱って良い相手では無いのだ。


「……多分、俺が感じているのは寂しさなんだろうな」


 きっと自分は寂しいのだ。心配で心配で、ずっと面倒を見てきた京香の手を離さなければいけないという事実が。


「どの口がって話だよな。こいつの家族を撲滅したのは俺なのに」


 京香の家族を、清金カナエが作り上げたキョンシーの世界を撲滅したのは他ならない幸太郎だった。そんな自分が京香を手放したくないなんて感情を持つのは烏滸がましい。


「……寂しい、だけ? 本当に、コウちゃん?」


 あかねが幸太郎へと問い掛けた。この幼馴染の言葉はいつだって自分に対して真っ直ぐに放たれている。


「それは……」


「京香ちゃんが二十歳に成ったことに、成れたことに、コウちゃんは本当に寂しいってだけの感情を持っているの?」


 問いかけをしてもあかねは答えを言わない。それは臆病さに裏打ちされた真摯さ故であった。


「ねえ、コウちゃん。多分だけど、今、ここでちゃんと考えないといけない事だよ?」


 幸太郎の直感もその通りだと告げていた。


 京香との日々を思い返す。


 贖罪と義務感に彩られた日常。守るもの、守るべきものを持った時間は、生き方へ多大な影響を与えた。もしも、もしも仮に京香を拾っていなかったら、幸太郎の世界はモノクロームのままであっただろう。


 痛みと共に忘れていた色彩を京香との生活で取り戻していた。


 過ごせば過ごすほど、幸太郎は京香を守らなければならないと思った。


 キョンシーによって成り立ったこの世界の何もかもが清金京香に牙を剥いていた。


 京香は罪なき少女だった。彼女自身が清算するべき悪事を働いたことは無い。ただ、生まれと脳が特殊なだけだ。


 そんな罪なき少女の脳を、心臓を、子宮を本気で奪おうとする組織がいくつもいくつも現れた。その度に幸太郎は京香を守るため奔走し続けたのだ。


 そんな京香が二十歳に、酒を飲める様な年に、そこまで生きてくれた事に上森幸太郎は寂しい以外のどんな感情を持つと言うのだろう。


「……ああ、そうか、嬉しいんだ」


 ストンと胸に落ちた。胸の中で絡み合って渦巻いていた感情が知恵の輪の様に解かれた感覚。


 ずっと傍に居た少女が一人で歩いていくのが寂しい。


 ずっと傍に居た少女が一人で歩いていくのが嬉しい。


 矛盾なく存在した別々の感情。それは胸と喉の間でくすぐったさと成って現れる。


 ポスッ。


 その時、幸太郎の背中をあかねが抱き締めた。


 急なことで、珍しいことで、幸太郎は驚いた。


 自分とは違う、柔らかな感触。


「あかね、どうした?」


 あかねは人に踏み込まない女だ。臆病で、真摯で、そういう生き方をしてきた女なのだ。


 けれども、あかねは決して幸太郎の傍から離れようとしなかった。


 幸太郎が家族を失った時も、痛みを失った時も、ハカモリに入った時も、第六課を立ち上げた時も。


 何度、自分から離れる様に言っても、あかねは曖昧に笑い、強固な意志を持ってその要求を拒絶してきたのだ。


 それが何故か分からぬほど、幸太郎は鈍感ではない。


 幸太郎はあかねへと向こうとした。けれど、ギュウと強く抱き締めてきた彼女の腕がそれを拒否していた。


 あかねがこうして明確に行動するのは本当に珍しかった。


「あはは、ちょっと私も酔ってるみたいだね」


「今日は楽しかったからな。俺も酔ったよ」


「そっか、酔ってるなら、しょうがないよね」


 戯言だ。幸太郎もあかねも互いの酔い潰れた姿を知っている。


「コウちゃん、私ね、いっちばん最初の頃は、京香ちゃんがコウちゃんと暮らすの嫌だったんだぁ。実は今でもちょっと嫌」


 フフッとあかねは笑う。冗談ではないだろう。この幼馴染は表に出さないだけで色んな不満を溜め込む性質(たち)だと幸太郎は知っていた。


「でもね、でもね、京香ちゃんにとっても感謝してるの。京香ちゃんはコウちゃんに踏み込んでくれた。コウちゃんを世界に帰してくれた。私には絶対にできなかったことだから、すっごく嫉妬しているけど」


 ギュウ。あかねの幸太郎を抱く力が強くなっていく。彼女の柔らかい部分が幸太郎の筋張った硬い部分へと食い込んでいった。


「コウちゃんがまた笑ってくれるように成った。コウちゃんがまた鼻歌を歌ってくれるように成った。コウちゃんがまた冗談を言ってくれるように成った。コウちゃんがまたお菓子を食べてくれるように成った」


 あかねの声が震えていく。溜め込んでいた感情が爆発しようとしていたのだ。


「それがどんなに嬉しいのか、コウちゃんに分かるかな?」


 言葉を、回答を、あかねは求めている。臆病な彼女がこの言葉を言うのにどれだけの決心が必要だったのか。


 僅かに腰に回された腕が震えている。それに幸太郎は眼を細めた。


「……分からねえな。分かるなんて口が裂けても言えねえよ、()()()()()


「ッ」


 あかねが息を呑んだ。分からないと言ったからではない。幸太郎が〝あーちゃん〟と口にしたからだ。


 それは遠い昔の記憶にしかない。幸太郎だけが使っていたあかねへの特別な呼び方だった。


 僅かに緩んだ腕。その間に幸太郎はあかねの方へと向き、そのまま、感情に任せてその華奢な体を抱き締めた。


「あ」


 短くあかねが声を漏らし、少しだけ体を強張らせ、すぐに力を抜いた。


 あかねは腕を幸太郎の背中と腰に回し、顔を胸板へと押し付ける。


「コウちゃんの匂いがする。ちょっとお酒臭いけど」


「お互い様だろ」


 幸太郎はあかねを抱き締めたまま何と言おうか少しだけ考えた。


「あーちゃんがどれだけ俺のことを考えてくれていたのか、分かるなんて俺の口からは言えない。あーちゃんが俺にしてくれた全部をそんな簡単な言葉で片付けられないんだ」


 上森幸太郎と幼馴染でさえなければ、あかねにはもっと穏やかな未来が広がっていたはずだ。それを全部捨ててまで立っているのが今のあかねが居る場所なのだ。


 頼んだわけでは無い。望んだわけでは無い。けれど、理由と原因は幸太郎にあったのだ。


 家族を失い、痛みを失い、幸太郎が選んだのは〝撲滅〟だった。


 そして、平穏を捨てた幸太郎に、あかねは付いて来てしまったのだ。それはどこまでも自己満足で自己責任だった。


 自己満足で始めた行動の裁定を本人以外が下してはならない。不知火あかねはそれを望まない女だと幸太郎は知っていた。


 彼女の行動を、彼女の在り方を、一片たりとも自分が歪めてはならない。


 それでも幸太郎はこの臆病な幼馴染に言いたい言葉があった。


「あーちゃん、ありがとう。俺の傍に居てくれて。俺の隣で歩いてくれて。あーちゃんが居たから俺は生きてこれた。あーちゃんが居たから、まだ俺は大丈夫だって思えた日もあったんだ。だから、お願いだ。自分が何もできなかったみたいな言い方をしないでくれ」


 告げたい言葉は感謝と否定。


 確かにあかねの言う通り、幸太郎の世界に色を取り戻したのは京香だろう。けれど、幸太郎を世界に繋ぎ止め続けたのはあかねなのだ。


 そんな誰よりも感謝している彼女に、まるで自分には何もできなかったかのような顔を、幸太郎はして欲しくなかった。


 幸太郎は自分が壊れていることを自覚している。痛みを失ったという話ではない。生者としての在り方の話だ。


 既に上森幸太郎は生者として欠陥品。いつどこでどのように死んでもおかしくない。


「あーちゃんがはずっと俺のことを普通の人間だって言ってくれた。扱ってくれた。俺はそれが嬉しかった」


「……本当? コウちゃんは私が居て良かった?」


「当たり前だ。あーちゃんは俺にとって――」


――最高の幼馴染だ。


 ()()続けようとして、()()言いたくないことに幸太郎ははたと気付いた。


 違うのだ。きっと自分が、上森幸太郎が不知火あかねに言いたい言葉はそうでは無いのだ。


「コウちゃん?」


 突如として黙った幸太郎にあかねが胸板から顔を上げた。


 幸太郎の眼とあかねの眼が合った。


――。




「愛してる」




 つまるところ伝えたい言葉はこれだった。


 意識して今まで言わないでいた、言いたくて、求められていた、たった一言。




「――」




 あかねが小さく息を呑んだ。


――もう誤魔化せないな。


 幸太郎の言葉は確かに彼女の耳に届き、もはや引き返すことは不可能だ。


 きっと、アルコールと感傷に酔ったのだ。


 ポタリ、ポタリ、ポタタタタタタタタタ。あかねの眼から透明な液体が溢れ出す。きっと、彼女がずっと我慢してきた物だ。


 幸太郎は更に強く、あかねの体を抱き締める。痛いかもしれない、苦しいかもしれない。それでも、そうしたいと思ったのだ。


 背中に回されたあかねの腕もまた強く幸太郎を抱き返した。


「私も、私も、愛して、る。愛してるの。ずっとずっと大好きだったの。コウちゃんが大好きで、愛してるの」


「うん」


 押し付けられたあかねの眼から幸太郎のワイシャツへ熱が染み出していく。


「愛してる、大好き、本当なの、誰より、何より、愛してるの」


「うん」


 一体どれだけ我慢してきた涙なのか。その涙は途切れることが無かった。


 抱き合う力は強くなっていく。


「もっと、もっと強く抱き締めて、痛くして、お願いコウちゃん」


「うん」


 二つの影は溶け合い、


 ワイシャツは熱を持って、


 愛してる、


 大好き、


 そんな言葉が静かな部屋に響く。




「「ん」」


 キスをしたのはどちらからというでは無かった。




 酒臭くて、混ざり合った唾液の味がする。


 いっそ二人の境界が無くなってしまえば良いのにと幸太郎は思い、それはきっと、あかねもだった。







「……そろそろ下に行かなきゃ、だね」


「……そうだな」


 どれくらいの時間こうしていたのか。離された唇から銀の糸が引く。


 溶け合った熱を名残惜しそうに、幸太郎とあかねは互いの腕を解いた。


――結構すごいことをした気がする。


「さ、さあ! 京香を下に運ぼうぜ!」


「う、うん! そうだね! そうしよ!」


 今自分の顔はあかねと同じように真っ赤に成っているだろう。そんな気恥ずかしさを誤魔化す様にちょっと大きな声を出して、幸太郎は背後のソファで未だに寝ている京香を背負った。


 京香を背負い、第六課のオフィスを出て、エレベーターに乗り、地下一階に到着する。その間、幸太郎達は顔を真っ赤にしたまま無言だった。


 テクテクテク。地下一階の仮眠室はエレベーターから一番離れた角にある。すぐ近くと言う訳では無いが、歩くのに時間は掛からない。


 すぐに幸太郎達は仮眠室の前に到着した。


「さ、コウちゃん、京香ちゃんを渡して。寝かせておくから」


 少しは気持ちが落ち着いたのか、頬を赤くしたあかねが幸太郎へと両手を差し出す。


「……」


 今、あかねへ京香を渡せば、今日のことは終わりだ。そのまま明日へただ進んでいくだけだ。


――何か、しなけりゃいけねえこと、言わなきゃいけねえことは無いか?


 幸太郎は考える。喉の奥まで出ているのだ。


「コウちゃん? 大丈夫?」


 京香を渡さず、考え込む幸太郎へあかねが少し心配そうに顔を覗き込ませた。


――あ。


 その表情を見て、幸太郎は自分が何を言うべきなのか理解する。


 告白をした。


 受け入れられた。


 ならば、その次は?


「あーちゃん、全部が終わったら、〝いっしょ〟になろう」


 再びあかねが息を呑む。先程で出終わった筈の涙が再び、溢れ出した。


 返事を幸太郎は待つ。真っ直ぐにあかねを見つめて。


「………………………………はい」


 生涯、いや、死んでも、上森幸太郎はあかねの幸せなそうな泣き笑いを忘れないだろう。

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