② 半日入院
*
「……はぁ、仲間同士でわざわざ怪我させてどうするんですか?」
「いやぁ、すまん。手加減できる感じじゃ無くてよ」
三十分後、幸太郎はヴァイオレットクリニックの待合室にて篠原 菫に苦言を呈されていた。
現在、京香は奥の診察室のベッドに寝かされている。菫が言うには痣はしばらく残るが、内臓や骨に異常は無い様だ。数分もすれば眼を覚ますだろう。
「ほら、幸太郎、次はあなたの番です」
「ん?」
「あなたの、診察の、番です。京香の攻撃が当たった箇所を見せなさい」
「俺には要らんよ。見た感じ何処も折れてねえし」
「アルゼンチンバックブリーカーされたいんですか?」
「分かった分かった。降参するって。だから腕を構えんな」
幸太郎は手を上げて降参し、その場で黒コートとワイシャツを脱いだ。
上半身がTシャツ一枚と成り、幸太郎の両腕が空気に晒される。
「ほら、青くなっているじゃないですか」
ほれ見た事か、とでも言う様に菫が大きくため息を吐いた。
外気に晒された幸太郎の両腕には無数の青黒い痣があった。
幸太郎の横に腰かけて、菫がペタペタと斑に染まった腕を触る。
「……京香の痣よりも大分酷い。折れる一歩手前ですよ? 何の攻撃を受けたんですか?」
「砂鉄と鉄球」
「……テンダーシリーズの衝撃を和らげると言う機能は攻撃を受けて良いって意味じゃありません。何度言ったら分かるんですか?」
「でも、ほら俺は別に攻撃受けても平気だし」
ばつが悪そうに言った幸太郎の頭をベシンと菫が叩いた。
「幸太郎、あなたは普通の人よりももっと自分の体を大事にしなければいけないのですよ?」
菫の眼は真剣だ。確かに彼女の言う通り、シカバネ町の手厚い医療技術が無ければ、とっくの昔に幸太郎の体は不可逆的に破壊されていただろう。
「すまん。気を付けるよ」
素直に幸太郎は頭を下げる。その態度に菫はまたため息を吐いてペシンと幸太郎の頭を叩いた。
「……他に攻撃を受けた場所は? 大小問わずに言いなさい」
「頬を掠ったかな?」
「見せなさい」
最後の攻防の際、鉄球が掠った右頬を菫は触る。
「軽く罅が入ってますね」
「え、マジで?」
「マジです。診察に嘘は付きませんとも。腕のこともあるし、良い機会です。今日半日ここで入院していなさい」
困った様に幸太郎は頭を掻いた。ヴァイオレットクリニックにおいて篠原菫の言葉は絶対だ。そういう契約で彼女はハカモリ専属の病院を開いている。
幸太郎と言えど、その契約に従う義務はあった。
「緊急時には出て行くが良いか?」
「ええ、それで良いですよ」
――しょうがない。今日は休みだな。
幸太郎が肩を竦めた直後、目の前の診察室の中で物音がした。どうやら京香が起きたらしい。
「菫、京香には上手く言っておいてくれ」
「はいはい、分かりました。過保護ですね本当に」
幸太郎は入院を隠すつもりであり、そう言うであろうことを菫は分かっていた様だ。
診察室に入ると、京香がベッドに腰かけていた。菫によって服はやや緩められ、ブラウスの隙間から湿布が見えている。
「よ、起きたか」
「うっさい」
幸太郎の顔を見るなり、京香は不貞腐れた顔をし、そっぽを向く。
「ほらほら元気出せ。ちゃんと強くなってたから大丈夫だって」
「でも、先輩には勝てなかったじゃん」
「そりゃ俺は人類最強だからな。人間相手なら負けんさ」
「ちっ。今度は絶対に勝ってやるわ」
舌打ちし、京香が脇に置いてあった黒コートとシャルロットを持って立ち上がる。
「京香、見た限りは大丈夫でしたが、何処かおかしな場所はありますか?」
「無いわ。こいつに殴られた腹が痛いくらい」
菫の言葉に答えながら、黒コートを着こみ、京香が診察室を出て行こうとした。
「……先輩は来ないの?」
しかし、付いてこない幸太郎へ疑問を覚えたのか、幸太郎の方へと向き直った。
「幸太郎は健康診断をし忘れていましてね。この機会にやってやろうと思います」
「そういう事だ」
「んじゃ、アタシはマイケルの所行って来るわ。アタシのPSIの調査したいって連絡が来てんのよね」
「了解」
スタスタと今度こそ京香が診察室を出て行き、幸太郎はその背を見送った後、菫を見る。
「んで、俺が寝るベッドは何処だよ?」
「こっちです。付いて来なさい。打撲と骨折治癒用の湿布も渡しましょう。さっさと寝てくださいな」
菫の背を見ながら幸太郎はヴァイオレットクリニックの奥、入院用の個室ベッドへと向かう。
その道中、菫が問いかけを放った。
「いつに成ったら京香へ、あなたが痛覚を失っていると話すのですか?」
過去、十二歳頃、上森 幸太郎は痛覚を失った。素体狩りに会い、その際に打たれた薬剤によって痛覚が破壊されたのだ。
この事実を幸太郎は京香に話していなかった。
「痛みを感じないのなら、いえ、痛みを感じないからこそ、あなたは周囲に助けてもらわないといけません。あかねやマイケルが知っているのなら京香にも教えて良いじゃないですか」
「まあな。話すべきなんだろうけどよ。意外と難しくてな」
「もう京香はあなたが守るだけの子じゃありませんよ?」
「分かってるさ。踏ん切りが付かないんだよ」
入院個室に着いたあたりで菫は足を止め、幸太郎へと振り向く。
「いつか必ず話しなさい。弱さを隠されているというのはあなたの想像以上に人を傷つけますからね」
「ああ、そうするよ」
*
「やっほー、コウちゃん元気―?」
黒コート姿のあかねがビニール袋片手に現れたのは、湿布を頬を貼った幸太郎が個室のベッドに寝転がって一時間ほど経った、正午近くの時だった。
「どうした? あかねは今日オフだろ」
「お見舞いだよお見舞い―。コウちゃんが入院したって菫から聞いたからねー。昼ご飯とかも買って来たよー」
慣れた様子であかねはベッド脇のパイプ椅子に腰かけ、ビニール袋からカップラーメンやらアイスやらコーラやらを取り出した。
「コウちゃん、豚骨と塩どっちが良い?」
「豚骨」
「おっけー」
ふんふんふふーん。あかねがニコニコと鼻歌を奏でながら部屋に備え付けられたポットから二つのカップラーメンにお湯を注いでいく。
その様子を眺めながら幸太郎は起き上がり、同じく部屋に備え付けられたテレビを付け、リモコンで適当にチャンネルを回した。
土曜日の昼間には特に面白い番組は無い。
――どうしたもんかな?
適当なチャンネルを見ていると、お湯を注ぎ終えたあかねがカップラーメンを両手に戻り、ベッド脇の小テーブルに乗せる。
「どしたのコウちゃん?」
「良い感じの番組探してる」
「ユウパンマンで良いじゃない? この時間なら再放送やってるし、コウちゃん好きでしょ?」
「んじゃそれで」
あかねの言葉に従って幸太郎はテレビ画面をユウパンマンという子供用アニメに合わせた。
丁度再放送が始まったばかりの様で、愛と勇気を歌う正義のヒーローのテーマソングが流れ出す。
「あ、出来た出来た。食べよ」
「ん、ありがとう」
割り箸を受け取り、幸太郎とあかねはカップラーメンをすすり始める。化学調味料がふんだんに使われた人工的な味が幸太郎は結構好きだった。
「そう言えば、コウちゃん聞いてる? ドリーミングビューティーの噂。あおいの方でも聞いてるんだって」
「マジで? あおいちゃんってただの大学生だろ?」
あかねが口に出したのは去年あたりから流行り出した殺人薬物の話題だ。この一年、ドリーミングビューティーは急速に裏社会で普及している。
不知火 あおいとはあかねの妹であり、京香とは中学高校と同級生だった少女の事である。彼女は今シカバネ町のとある大学に通っている。そんな表社会の少女にもドリーミングビューティーの名前が伝わっているのだ。
「あおいの大学でちょっと話題に成ってるんだって。〝飲めば一瞬で天国へ、夢見心地な快感をあなたに〟ってキャッチフレーズで流通してるらしいよ? 行方不明者も出始めたみたい」
「ドリーミングビューティーにそんな効能あったか? あれはただの殺人薬物だろ?」
「成分変えた別のだろうねー」
ズズ―。幸太郎達は麺を啜り、ユウパンマンの映像を横目に会話する。
「あおいちゃんは大丈夫なのか?」
「平気平気、私の妹だからね。危険なことにはわざわざ近づかないって」
「なら良いや」
あおいはあかねの大切な妹であり、幸太郎にとっても妹分だ。彼女に被害が無いのであれば、急いで強く動く理由も無い。
「一応、早く帰るように、暗かったり人気のない所には行かない様に言ってるけどね」
「あおいちゃんは素直だからな。京香とは大違いだぜ」
「あ、そういえば、今日、あおいと京香ちゃん一緒に昼ごはん食べる予定らしいよ。今頃会ってるじゃない?」
「へー」




