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① 先輩と呼びなさい

 桜の花が散り、若葉が茂る四月の頃だった。


「おーい、起きろー」


 コンコンコンコン。


 育友荘403号室。左手にフライパンを持った上森幸太郎は〝KYOKA〟と書かれたコルク板が掛けられた寝室のドアを右手でノックしていた。


 このドアの向こうには同居人である清金京香が眠っているのだ。


 京香は幸太郎にとって守護対象であり、足枷であり、未だ名称が定まらない不思議な間柄だった。


「起きろー。今日はお前の初出勤の日だろー」


 コンコンコンコン。


 幸太郎はノックを続ける。共に暮らして早四年。京香がとても朝に弱いと知っているからだ。


 コンコンコンコン。


 コンコンコンコン。


 コンコンコンコン。





 モゾモゾモゾモゾ。


 十数度のノックの後、幸太郎の耳に部屋の中で身じろぎする音が届いた。


 やっと目が覚めて動き出した様だ。


「早く来いよー」


 言い残し、幸太郎はリビングに戻る。タイミング良くチンとトースターが音を鳴らし、二枚の食パンが飛び出していた。


「パンに、目玉焼き、んで、カップスープっと」


 軽快に幸太郎は朝食を白いセラミックテーブルへ朝食を並べていく。


 二人分の牛乳を注いだあたりで、のそのそと京香がリビングへ現れた。


 黒髪には寝癖が付き、変な外はねが出来ていた。


「おはよう京香。顔洗って来い。寝癖も直せよ」


「ん」


 京香の頭がまだ万全に動いていないのが幸太郎には良く分かった。


 慣れた調子で幸太郎は洗面所を指差す。少ししてバシャバシャと京香が顔を洗う音が聞こえた。


「良し、完璧」


 トーストに目玉焼き、カップスープに牛乳。かなりご機嫌な朝食が並び、幸太郎は満足そうに首を振った。


「おはよ。何で胸張ってんの?」


「おお、京香。見てくれ、この素晴らしい朝食を。割とマジで社会人の理想的な朝食だと俺は思うわけだよ」


「はいはい。ライデンは?」


 京香は幸太郎を褒める事もせず、慣れた調子で自分の椅子へと座り、そして自分の隣の席に座るべきキョンシーの姿が無い事に幸太郎へ問い掛けた。


「おっといけねえいけねえ。ライデン、お前もこっちに座れ!」


 その言葉に京香が先程まで寝ていた向かいの部屋、すなわちキョンシー待機用スペースからガタンと音がする。幸太郎のキョンシー、ライデンが起動したのだ。


 他律型キョンシーであるライデンは唯一の主である幸太郎の命令にのみ従って行動する。


 やや大きい足音を立てて、大柄なキョンシー、ライデンがリビングへ現れ、京香の隣の席へ腰かけた。


「ライデン、今日の神水だ。ちゃんと飲めよ」


「……」


 ライデンはコクリと無機質に頷いて、テーブルに置かれたガラスボトルを開けてキョンシー専用のエネルギー飲料水、神水を口に含んだ。


「アンタも座りなさいよ」


「はいよ」


 京香の対面に幸太郎は座り、そして手を合わせた。


「「いただきます」」


 幸太郎と京香の声がハモる。彼らがこうして朝食を一緒に取る様に成るのに二年近くの時間が掛かった。


 二年間で様々な苦労、様々な衝突、様々な和解があり、それら全てを礎にしたこの朝食の席は奇跡に近い産物である。


 その事実を幸太郎はわざわざ指摘しない。指摘する事で京香が気にしてしまうと分かっているからだ。


 モグモグ。ゴクゴク。


 朝食を食べながら、幸太郎は京香へと口を開いた。


「で、京香、お前、本当に第六課に入りたいの?」


「悪い?」


「いや、危険だぜ? ぶっちゃけた話、オススメはできねえな。まあ、お前の立場を考えると第六課だろうと何処だろうとあんまり関係ねえかも知れねえけど」


「その話は前にしたでしょ。わざわざあの喧嘩を蒸し返すの?」


「お前はあの騒動を喧嘩で済ませるか」


 やれやれと幸太郎は苦笑する。


 先日、高校卒業を控えた京香が幸太郎へ、卒業後、第六課で働きたいと口にしたのだ。


 当たり前だが、幸太郎は初め反対した。


 確かに、幸太郎は京香へ戦い方を教えていた。だが、それは世界で唯一の生体サイキッカーというスペシャリティを持った京香の身の安全を少しでも確保するための護身術である。決して死地の現場へ送り込むための訓練では無い。


 戦わず、安全に、穏やかに過ごせ。それらを大分オブラートにして幸太郎は京香に告げたのだ。


 そんな幸太郎の言い分を聞いて、京香はキレた。シカバネ町に初めて来た時を彷彿とさせる苛烈な怒りを見せた。


 京香の喚き散らし、怒り散らし、暴れ散らした。幸太郎の同僚、不知火あかね宅へ家出するまでに発展したこの騒動は、最終的に幸太郎が説得される形で決着が付いた。


 京香曰く『何処に居ようとアタシが危険なのは変わらない。なら、第六課に身を寄せて悪名でも何でも持っていた方が周囲への牽制に成ってマシでしょ? というか、アタシに大学に行くとか普通の企業に就職するとか、そんな平穏な未来があると思ってるの?』


 困ったことに幸太郎にはそれを反論できる札を持っていなかった。


 京香の言う通り、清金京香という少女にまともな未来は広がっていない。幸太郎の目の届かない様な平穏な世界に身を寄せたら、その瞬間少女の体は簒奪者共に奪われ、バラされ、犯されるだろう。


 この四年間強、幸太郎は京香を守ることが出来た。ならば、これからも近くに居た方がマシであるのは確かだった。


 幸いにして、幸太郎の眼から見ても京香の戦闘能力は第六課においても遜色が無い。それに第六課のメンバー全員とも既に顔見知りである。


 確かに、清金京香を第六課の新人としてスカウトするのは合理的であった。


「今更決まったことにグチグチ言わないでよ」


「でも、俺はお前の保護役だからなぁ。心配しないのは無理だって」


「……それが嫌なのよ」


 ぼそりと京香は呟いて、幸太郎からそっぽを向いた。


――やべ、言い過ぎたか。


 幸太郎は苦笑する。へそを曲げた京香は頑なだ。これ以上この話題を続けては前の大喧嘩の二の舞である。


 自分も保護役としてまだまだだな、と幸太郎は反省し、頭を切り替えた。


 確かにやることは決まっているのだ。既に一度幸太郎は京香の言い分に折れている。それを反故にするのはおかしいし、非生産的だ。


 京香は既にトーストを食べ終わっており、今は牛乳を口にしている。


 それを見ながら、幸太郎は大きく口を開けて、残ったトーストを入れ、カップスープと牛乳で流し込んだ。


 口元に着いた白い髭を卓上のティッシュで拭き、降参した様に幸太郎は肩を竦める。


 そして、幸太郎は考えた。これから先、京香は自分の部下に成る。


 果たして、自分はちゃんと京香を第六課の主任として導けるだろうか。


 少なくとも今のままでは難しい。幸太郎にとって京香は庇護の対象であり、仕事を共にする同志では無い。


 自分にも意識の切り替えが必要だった。


――何か、良い感じのアイデアとか無いか?


 少し考えて、幸太郎は一つ思いつく。


「京香、これから第六課の新人に成るお前に一つ言うことがある」


「………………何?」


 突発的なアイデアだが、幸太郎は自分でも上手いアイデアだと思った。


 幸太郎だけでなく、京香の意識の切り替えにも使えるだろう。


「仕事中は俺のことを〝先輩〟って呼びな」


「……それでアンタがアタシにグチグチ文句を言わないならね」


「努力はするさ」


「……分かったわ、先輩。……これで良い?」


「上々。良いな、その響き」


 ハハハ。幸太郎は笑う。


 先輩。思ったよりもとても良い言葉だった。


 僅かで、けれど確かな線が引かれるこの言葉はとても良かった。

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