⑱ 細い首、小さい肩
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ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
清金の暴走は収まるどころか激しさを増していた。
砂鉄と鉄球と瓦礫と肉片の暴風の直径は既に二十メートルを超えている。アスファルトは全て剥がされ、尚もその勢いを増そうとしていた。
「先輩! 清金先輩! 良いから落ち着いて! もう敵は居ませんっ助けも来ました! だから、マジで落ち着いてください!」
恭介は清金の肩を揺さぶって耳元で叫ぶ。だが、虚ろで白銀に輝く瞳は恭介を映す事は無い。
「こわさいで、こわさないで、こわさないで」
清金が口にするのは先程からこの言葉だけだ。
恭介には今何をすればこの暴走が収まるのか思いつかなかった。
清金が抱き締めるている首だけの霊幻はパクパクと口を動かし、恭介に何かを伝えようとしていた。その眼に宿る意思の色は先程よりもくすんでいる。首しかない状態では脳へ十分な栄養が行っていないのだ。このままでは完全な脳死に到り、霊幻は不可逆的に壊れるだろう。
『キョウスケ、聞こえマスカ? ヤマダです、キョウカの様子ハ? 霊幻はどうなっていマスカ?』
――ヤマダさん!
その時、砂鉄の嵐の向こうからヤマダの声が聞こえた。拡声器か何かを使っているのだろう。ジャリジャリとした騒音の中でも何を言っているのか分かる。
砂鉄と瓦礫の騒音に負けないよう、恭介は喉が痛むほどに大きく叫んだ。
「清金先輩はまだ暴走してます! こっちの言うこと全然聞いてくれません! 霊幻は首だけに成って何か僕へ伝えようとしています! ただこのままだと霊幻の脳が死ぬでしょう!」
果たして声が届いたのか届かなかったのか。恭介はヤマダを信じた。信じるしかなかったと言うのもあるが、ヤマダならばどうにか恭介の声を観測してくれるだろうという信用があったのだ。
『キョウカの眼ハ? どのくらい光っていマスカ? もう眩しいと感じるくらいデスカ?』
すぐに恭介は京香の眼を見つめた。白銀の輝きは確かに先程よりも強くなっている。後少しで眩しささえ覚える程だ。
「そろそろ眩しいって感じるくらいです!」
素直な感想を恭介は叫ぶ。そして返事は直ぐに来た。
『眼の光はバロメーターデス。この出力ならまだマシデス。どうにかしてキョウカを気絶させなサイ。手段は問いまセン。首を絞めてでも止めなサイ』
――これでまだマシなのか!?
恭介は驚愕する。ヤマダは京香のこの状態を知っている様だ。
清金の後ろへ恭介は回り込んだ。当然の躊躇いがあった。女性へ暴力を振るって良いという教育を受けていない。
「先輩、すいません」
キョンシー犯罪対策局実行部で多少の戦闘訓練は受けているが、今しようとすることはそれとは全く違った倫理に反することだ。
清金は今無防備だ。少なくとも恭介にはそう見える。
果たして自分にそれができるのか。それが問題だった。
「失礼します」
恭介は右腕を清金の首に掛け、左手を頭に乗せた。裸締め、別名、チョークスリーパーの体勢。習った内容を思い出す。
――狙うのは頸動脈。体を密着させて腕の筋肉でちゃんと挟む。ちゃんと絞めればすぐにオチる……筈。
ジャリジャリ。清金が纏う砂鉄の黒コートが恭介の体と擦れる音がした。
「こわさないで、おねがい、こわさないで、こわさないで、ねえ、こわさないで」
清金は壊れたラジオの様に同じ言葉を繰り返す。
グググ。恭介は体を逸らし、腕に力を入れ、清金の首を絞めていく。
――ちっさ。
そして初めて恭介は自覚した。最強に見えた清金京香という女。その体躯は決して恵まれた物ではない。キョンシーと戦うのには、小さく、細く、傷だらけの弱々しい物だった。
「こわ、さないで、こ、わさない、で」
首を絞められ、頸動脈が圧迫される。にも関わらず、清金の体が暴れることは無かった。ただ、霊幻を落としてなる物かと腕に込める力を強くするだけだ。
ググググググ。首を絞めている恭介だけが苦悶の表情を浮かべていた。
シカバネ町の医療技術は発達している。ここで自分が多少加減を間違え、清金の喉や骨にダメージを与えてしまったとしても、十中八九治療は可能だ。
けれど、恭介は清金京香の〝弱さ〟を自覚してしまった。そうだ、清金は自分よりも背が低く、体は細く、小さいのだ。
見れば、ホムラの炎で生まれた水ぶくれが痛々しい。
早く、早く、早く。清金の意識を落としたかった。それで終わりにしたかった。
恭介は戦闘員では無い。今の自分の姿勢がどの程度チョークスリーパーとして正しいのかも分からない。
「こ、わ、さな、いで」
清金が掠れる。息ができていないのだ。きっと視界が真っ暗に成っている筈。それでも霊幻の首を離さない。
「っ!」
のけ反り過ぎて、一瞬バランスを崩す。引っ張られた清金が地面へと尻餅ちを付いた。
ジャリジャリジャリジャリジャリ。砂鉄の黒コートが一部弾け、ジャバラと周囲へ散らばる。
緩んだ拘束に、一瞬、清金の体が小さく息を吸った。
「くそっ!」
悪態を付いて恭介は力を入れ直す。中途半端にやっては苦しみが長引くだけだ。
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
砂鉄の嵐の音がする。それがいつ自分を襲うのかも分からない。何をどう見ても恭介は清金を殺そうとしている様にしか見えないのだ。
しかし、砂鉄が恭介を襲う事は無かった。黒コートを模した砂鉄がジクジクと恭介の体を擦るくらいで、細切れに成って嵐に飲み込まれた第五課のキョンシーへの攻撃の様な危害が恭介へ加えられることは無い。
その理由を恭介は分からない。気にする余裕も無い。
「――ッ!」
必死の形相で恭介は清金の首を絞める。折れてしまいそうなほど細くて柔らかい首だ。
「こわさ、ないで。こ、わ、さな、いで。こわ――」
苦しいのだろう。地面へ投げ出された清金の足はビクビクと動いてる。
それでも、清金は腕を霊幻の首から離す事は無かった。
グググググググググ。無我夢中で恭介は腕に力を入れる。
ジャリジャリジャリジジジジジジジジジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジリジャリジャリジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジジジジジジジジジャリジャリジャリ!
砂鉄の嵐にノイズの様な揺らぎが混じってきた。清金の意識の明暗に呼応しているのかもしれない。
――後少し、後少しだ!
グググググググググググ。恭介は歯を食いしばる。
暴力の行使はこれほどまでに心をかき乱すのか。明確に恭介は理解した。
清金は何が見えているのだろう。白銀に輝く虚ろな瞳。意思を感じるの首だけの霊幻を抱える腕だけ。後はダランと力が抜けている。
――この人は一体何なんだ?
初めて恭介は清金京香という人間に興味を持った。
ジジジジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジャリジャリジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジャリジャリジジジジジジジジジジジジ!
まるで電源が落ちる直前のブラウン管テレビ画面の様に、砂鉄と鉄球と瓦礫と肉片、その嵐のノイズが酷くなっていく。
グググググググググググググググ!
恭介は腕の力をより一層強くする。
「せん、ぱいを、こわ、さな、いで」
その言葉が最後だった。
恭介達を包んでいた赤黒い暴風が弾けた!
ジャバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアジャリジャリジャリアアアアアアアアアグチャグチャグチャグチャグチャグチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアガガガガガガガガガアアアアアアアアアアアアアアアアベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャベチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
砂鉄と鉄球と瓦礫と肉片。それらが絡み合いながら地面へとぶちまけられる。
同時に恭介は感じた。清金の全身から意思が、力が抜けている
固く強く抱き締めていた霊幻の首はダランと落ちた清金の腕に収まっていた。
――終わった?
恭介はまだ実感を持てない。
「キョウスケ、エクセレント、もう大丈夫です。キョウカを離しなサイ」
駆け足で近づいて来たヤマダからの言葉を聞いて初めて、清金の首に掛けていた腕を外すことができた。
恭介の腕が外され、清金が霊幻を包む様にダランと俯く。
――震えてる。
右腕が、今の今までか弱い首を絞めていた腕が震えている。足もそうだった。
故に、恭介は立ち上がるのではなく、背後へと倒れ込んだ。
ドサ! アスファルトにほとんど受け身も取らず倒れ込み、腰や肩の骨が強く痛む。
けれど、それを気にする事ができないほどの凄まじい疲労感が恭介を襲う。
人員が招集されたのだろう。慌ただしく、第三課と第五課の人員とキョンシー達が恭介達の周りを駆け回っている。
あっと言う間に清金と霊幻が担架に乗せられ運ばれていく。それにヤマダとセバスチャンも付き添いに行った。
事後処理の第三課が出てきたという事は、今回の騒動の終焉を意味していた。
仰向けで空を見上げ、恭介は気付いた。
空は茜色を失い、夜の時間に入ろうとしていた。
――大角達は何処に行った?
夜空に変わりゆく空の一等星を見て、依頼者達の行方を思った。
途中で恭介達から逃げる様に走り去った大角と桃島。彼らは一体どうなったのだろうか。
――気にしてもしょうがないか。
もう自分にはどうしようも無い事だ。
トントントン。ホムラとココミの顔が恭介の視界に入った。
ホムラからの質問は酷く短かった。
二つの隻眼が恭介を見下ろす。
「生きてる?」
「……」
短い問いだった。問いには熱も色も無い。
それに恭介は大きく脱力した。
「生きてるよ」
ふぅ。肺に貯まった息を吐く。
そして、少しの時間何も考えずに空を見上げた。




