⑰ リサイクル
***
「ヤマダさん、脆弱な人間の身でよくぞここまで僕と付き合ってくださいました。感謝いたします」
「突然ですネ」
ヤマダの言う通り、シロガネが唐突にPSIの発動を止めた。
この場において誰一人として怪我や損傷を追っていなかった。ひたすら弾幕の様な攻撃をしてきたシロガネは言わずもがな、ラプラスの瞳を装着したヤマダと彼女を抱えるセバスチャンも同様だ。
シロガネの攻撃を全てヤマダとセバスは避け、そして捌き切ったのである。
「カアサマ達の戦闘が終わった様です。どうやら、目的は失敗したようですが。なので、ボクもこれで離脱します」
ヒュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
風が吹き、シロガネの体が浮く。フワリと上がるワンピースの裾を可愛らしくこの真っ白なキョンシーが抑えた。
ヤマダは視線を上部に移す。そこにはクロガネ、セリア・マリエーヌ、アネモイ、未知のキョンシー、そして、充が居た。
「ヤマダ、京香が暴走したから、どうにか止めておいてぇ」
「それでは、ヤマダさん、また会いましょう。その時はネエサマも一緒に」
ヤマダの返事も聞かず、ミチル達はアネモイの風に乗ってヤマダの視界から消えて行った。
「……危なかったデスネ」
――ギリギリ。
ヤマダの肌は貧血で真っ青だった。何度もセバスチャンへ血を補充したのだ。
これ以上血を失えば思考に支障が来たし、シロガネの攻撃に捕まっていただろう。
警戒は解かず、ヤマダは充の捨て台詞について考えた。
――京香の暴走。……まさか。
もう休んでしまいたかった。だが、もしも京香が本当に暴走していたのなら、もう一仕事しなければならない。
スマートフォンを小物カバンから取り出し、マイケルへと連絡する。
耳に通話口を当てた瞬間、マイケルの声が響いた。
『おいヤマダやべえ! 京香が〝また〟暴走した!』
「……場所ハ?」
ピコン。すぐさま送られたマイケルからの地図情報。それを見た瞬間、ヤマダはセバスへ命令する。
「セバス、ワタシ達の後輩が苦しんでマス。止めに行きまショウ」
「仰せのままに」
***
「よーし。いや、結局目的は何にも達成していないから何にも良くは無いんだけど、みんな回収できたね」
アネモイの風に乗り、ヤマダから逃げてすぐ。カケルはアハハと笑いながら地上を見た。
地上から二百メートルの位置にカケル達は飛んでいる。今すぐにでもシカバネ町から逃げるべきだったが、一つ探し物があったのだ。
「恭介くんに今度教えるって言っちゃったしねぇ。探さなきゃなぁ」
カケルは約束を守る信条を掲げていた。
「た、し、か、さっき逃げてた方向的にー」
記憶をカケルは掘り返す。シカバネ町の地理は充の時に頭に叩き込んでいる。
そう長い時間は経っていない。
シカバネ町の地理に詳しくない逃亡者がどういう場所に逃げ込むのか。十年以上の時間、充だったカケルには容易く予想が付いた。
「あ、ビンゴビンゴ、セリア、あっちに降りて」
カケルが指差したのは京香が暴走している場所から五百メートル程度離れた路地。そこを走る一つの影だ。
「カケル、ころすの、ですか?」
「もう使わないなら有効活用しないとねぇ」
カケルは何かが欠落した笑みを浮かべて、眼下を走る人影を見下ろした。
***
「先生、こっちだ! こっちに行けば逃げ切れるはずだ!」
大角は桃島を抱えてシカバネ町を駆ける。恭介達が右に曲がった十字路を真っ直ぐに進んでいた。
運が良かった。後方から飛んできたクロガネは大角を無視して恭介達を追ったのだ。
ケンジ達は関口という男が足止めをしている。今、自分達への追跡者は居ない。
チャンスだった。
頭の中に具体的なプランがある訳では無い。ガムシャラに西区を目指し走っていた。
「車でも見つけるからよ! この町から逃げよう! 大丈夫だ! 俺がぜってーに先生を助けるから!」
大角は血眼に成っ体良く奪える車を探した。邪魔をするなら殺すという意思すらその眼からは感じられる。
だが、幾ら走っても大角の眼に車は見つからなかった。大角は知らなかったが、穿頭教のテロ行為に対してシカバネ町には交通規制が引かれているのだ。
「くそ! 何でだよ!? 一台くらい置いてねえのかよ!?」
大角は憤る。折角チャンスが巡ってきたというのに、それを活かす手段が無い。
まるで、世界が自分達を救う気が無いと言っているかのようだ。
そして、それは正しくそうだった。
この世界で大角が救われる事を望む人間は只の一人も居ないのだ。それだけの罪を大角は犯してきた。
因果応報。自業自得。それすら大角は理解していない。
大角にとって自分達がしてきた行為は神の力を宿すという崇高な目的のために正当化されている。外の人間達が如何に否定しようとも、それは理解の足りない神を信じぬ愚か者の戯言なのだ。
そう、大角達はリトルロータスで教育されてきた。
だから、純粋に大角は桃島を助けようとする。自分が最も愛している先生、同じ理想を見てきた同志なのだから。
神を否定するのはいつだって愛なのだ。桃島への愛が大角に神を、穿頭教を裏切らせたのだ。
走る、走る、走る。とっくに肺と脚は悲鳴を上げている。それらを全部無視して、大角は人一人を抱えているとはとうてい信じられない速度でシカバネ町の西区を目指す。
西区、生体置き場。何度も大角も来た。素体を盗むためにだ。
だから、西区の地形は知っている。どこに車が置かれているのかもだ。
「西区まで頑張ってくれ先生! 大丈夫だ! あそこまで行けば車なんてすぐに確保できる」
指紋認証されているのなら持ち主の指を千切ればすぐに解決だ。
問題ない。これで自分達は逃げ切れるのだ。
そうは成らななかった。
「はいはいはい、ちょっと待ってねぇ」
ビュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
空から風が落ちてきた。
「!?」
旋風は大角の前方十メートルに落ち、そこには人間とキョンシーの一団が浮いていた。
一団の中には先程大角達を追っていたクロガネというキョンシーがぐったりと四肢を投げ出し、真っ白なキョンシーに抱えられていた。
その中で真ん中に居た女の容姿に大角は固まった。
女の前頭部には五つの穴が耳から耳へアーチ状に開いている。その手術痕は穿頭教の物だ。
――誰だ!?
大角は頭が悪かったが、仲間意識は人一倍だ。穿頭教の中で同世代の同志の顔は大抵把握している。けれど、この女の顔には見覚えが無かった。
トン。女とその横に居た瓦礫を周囲に浮かせていたキョンシーが地上へと降りる。
「やあやあ、大角、久しぶり。私の事覚えてるぅ?」
ヒラヒラとその女は手を振った。口調とは裏腹にその顔には郷愁の念など欠片も存在していなかった。
「誰だお前は!? お前なんて知らねえよ!」
「酷いなぁ。とても酷いなぁ。リトルロータスの同期なのに。まあ、私は〝早咲き組〟だったんだけどねぇ」
――早咲き組。
リトルロータス時代、そう呼ばれて何人かの同期が突然居なくなった事を大角は覚えている。
確か、桃島が選ばれ、幼少期の内に穿頭処置を受けに行った集団だった。
けれど、彼ら彼女らへの穿頭処置は全て失敗し、皆死んだと大角は聞かされていた。
あの時の桃島の顔を良く大角は覚えている。頭にいくつもの穴が開けて帰ってきた死体の生徒達へ涙を流していたのだ。
大角は思い返す。早咲き組で散っていた仲間達の顔を。
そして、その中で、目の前の女に一番近い者の名前を口にした。
「カケル、か?」
「ああ、正解正解大正解! いやぁ、あれから大変だったんだよ? ほとんど死んでた、いや、死んでたのかな? そんな私を拾ってくれた人達が居てさ。その人達とずっと一緒に居たんだぁ」
アハハ、アハハ、ヒラヒラヒラヒラ。女は、カケルはゾッとする様な乾いた声で笑う。その眼に大角は覚えがあった。
捕まえた素体を見る時の自分達、穿頭教徒が良くする眼だ。
そんな眼を今自分達は向けられている。
「君達を有効活用にしに来たよぉ。ガリレオ」
その瞬間、カケルの隣のキョンシーの周囲の瓦礫が回転し、ハンマー投げの様に高速で大角へと撃ち出された。
人間の頭ほどの大きさの瓦礫。撃ち出された速度は大角が回避できる様な物では無かった。
瓦礫は大角のトマトの様に潰す筈だった。
しかし、そうはならなかった。
キイイイイいいいイイイいいいイン!
大角の前方に不可視の盾が生まれ、それが瓦礫を防いだのだ。
テレキネシス特有の空間を軋ませる音が鳴る。
そして、大角は気付いた。
虚ろだったはずの桃島の眼が少しだけ見開かれ、カケル達へと向けられている。
「先生!」
桃島は神の力で大角を守ったのだ。
これはつまり、大角が指示を出さず、桃島が自発的な行動を見せた事を意味する。
こんなことは初めてだった。
――まさか、意思が戻ったのか!?
「へぇ、へえへえへえ! データよりも遥かに出力が高いね! しかも、主をちゃんと守る機能まであるなんてねぇ! 聞いてたよりもちゃんとしたキョンシーだねぇ!」
カケルが手をパチパチ叩いた。僅かな興味が桃島へ向く。
そして、額の穴へ手を置いて、少しだけ首を傾げた。
「うーん、でも、要らないや。十分にデータは取れてるだろうし」
その眼に温度は無い。熱さも冷たさもどちらも無く、路傍の石を見るかのように大角と桃島を視界に入れている。
「セリア、良い機会だね」
後ろ上方向へ振り向き、ブロンド髪の女を見上げた。
セリアと呼ばれたブロンドの女はビクッと肩を震わせ、レインコートを着た土気色のキョンシーを抱く力を強くしたのだが大角にも分かった
大角は桃島を抱えてUターンする様に元来た道を戻った。カケルが自分達から目を逸らしている。今の内に逃げるべきだった。
「いいきかい、とは?」
「アネモイにやってもらおう。ガリレオじゃ少し手こずりそうだから。そろそろキョンシーで殺すことに慣れないと。新人研修みたいな物だねぇ」
「それ、は」
「え、だめ? 今回、アネモイも使って良いって聞いてたんだけど? あ、セリアが難しいならアネモイの所有権を私にも渡してよ。私が命令してあげるから」
「いえ、いえ、だめ、です。……わかり、ました。わたしが、やります」
離れているはずなのに、カケル達が何を言っているのか、大角には良く分かった。
――走れ走れ走れ!
「先生! 大丈夫だ! 大丈夫なんだ! 俺が先生を死なせないから!」
キイイイイイイイいいいいいいイン!
キイイいいいイイイイいいいイイン!
キイイイイいいいいいいイイイイン!
桃島が神の力を発動し、テレキネシスの防護壁で大角と自分達を包んだ。
二十メートル、三十メートル、四十メートル。残ったスタミナを全部消費して大角は逃げる。
百メートル先にある十字路あそこを曲がり、一先ず身を隠すのだ。
だが、曲がり角は遠かった。
ビュ――
――足元から風の音が聞こえた。
そして、それが大角の最後だった。




