⑭ カケル
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「ハハハハハハハハハハハハハ! さらばだ!」
京香を抱え、霊幻は火柱から飛び出した。
炎を浴びたその身体からはシュウウウと煙が上がり、合成皮膚が焼けた臭いが漂っていた。
――身体機能が三十パーセント減少と言った所か。上々!
「京香! 生きているな!」
腕の中の小さな相棒へ霊幻は断言するように問うた。京香の髪は真っ白に成っていた。数秒とは言え強烈な炎に焼かれた事で染髪料が分解されたのだ。
顔を中心として露出していた体の部位に中度の火傷が見られた。
「……だいじょぶ。意外とへいき」
強がりだ。普通なら気絶していてもおかしくない程の大怪我。だが、京香は霊幻の腕の中で頷いた。息はいつもよりも弱々しいが、その眼には意思の色が宿っている。
「さすが、吾輩の相棒だ!」
ハハハハハハハハハハハハハハハハ!
霊幻は笑う。相棒を取り戻せた事、そして相棒にはまだ強い意志が残っていることが嬉しかったのだ。
「清金先輩!」
火柱から飛び出た霊幻と京香へ、恭介が悲鳴の様な声を上げる。
「捕まれ恭介! 逃げるぞ!」
「は!? うわっ!?」
返事を待たず、霊幻は左腕を伸ばし恭介の胴を抱えた。
「ホムラ、ココミを持て!」
「ちっ!」
ホムラがココミを抱きかかえ、霊幻と並走する。
「どこに向かう気なんだ!?」
「西区に居るであろう捜査官の元へだ! 既に本部から増援が来ているだろう! 味方に合流できれば吾輩達の勝ちだ! マイケルへ連絡しろ! 何処に行けばよいのか聞くのだ!」
損傷が酷い霊幻の身体能力ではクロガネと戦っても勝ち目は無い。更に言うなら京香をできる限り早く治療する必要があった。
クロガネや穿頭教徒の撲滅は業腹だが、今回は諦めるしかない。
「ハハハハハハハハハハハハ! 飛ばすぞホムラ、付いてこい!」
「うるさい。近くで大声を出さないで」
霊幻の体は加速する。既に運動能力は限界を超えている。この騒動が終わったら速やかに修理に入らなければならないだろう。
京香達を抱えているから紫電は纏わない。純粋な身体能力に依存した走行。特殊筋遷移がブチブチと引き千切れる音がした。
「よくも、よくもよくもよくもよくもよくも! よくも京香を燃やしたわね! 殺す殺す殺してやる! 私の娘をよくも傷つけたなぁ!」
地獄から出しているかのようなクロガネの声が霊幻の背後から届いた。
ジャリジャリガリガリジャリガリガリガリガリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリジャリジャリジャリジャリガリガリガリガリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ!
砂鉄がコンクリートの道路を削る音がした。
「霊幻、クロガネが来る!」
「分かっている!」
霊幻の首を少しだけ曲げ、後方を確認する。恭介の言う通り、クロガネが自分達を追っていた。
ホムラの炎を浴び、砂鉄の量は半分程度に落ちていたが、それらは今まで最大の勢いでクロガネの周囲を激しく動き回っている。
だが、クロガネは冷静さを失い、PSIの操作性が下がっている様だ。
磁力反発を使って凄まじい速度で飛んでくるが、その方向は怒りに呼応したかのように定まっておらず、霊幻達との距離が縮まる事は無かった。
「ハハハハハハハハハ! 運が良いな! そのまま自分で撲滅してくれればありがたい!」
「言ってる場合か!」
腕の中でスマートフォンに耳を当ててていた恭介が叫ぶ。確かにその通りだ。今はこの幸運を最大限活かさなければならない。
「霊幻、マイケルさんからの連絡だ! マイクモードにする!」
『北西方向に二キロメートル! 長谷川が来てくれた!』
「素晴らしい! 良くぞ連れて来たマイケル! 何を対価にした!?」
『金だよ金! 第五課が使うノーマルキョンシー百体分! フランスでの報酬がこれでパーさ!』
「あぶく銭だ! 捨ててしまえ!」
霊幻は前方を見る。約一キロ先の角を右折すれば、そこには長谷川が率いる数十体のキョンシーが整列し、霊幻達を待っているのだ。
そして、ついでに霊幻は発見する。前方五百メートルの位置に桃島を抱えた大角の姿があった。
京香さえ無事であるのなら、霊幻は紫電で大角達を撲滅しただろう。今回、京香が傷つけられた原因は、そもそもこの不届き者達がシカバネ町へ来たからだ。
機能としての自分が大角達を撲滅するべきだと主張していた。
「ハハハハハハハハハハハハハ!」
三秒程度の僅かな時間。あっと言う間に霊幻は大角達のすぐ後ろまで追い付いた。
狂笑が聞こえ、大角が必死に足を上げている。だが、まともに意識の無い肉人形を抱えて走るのは、いくら大角ほどの体格を持っていたとしても至難の技だ。
「は、は、はぁ!」
大角の息が切れる音がする。撲滅するべき人間も息して無駄に酸素を消費するのだ。
霊幻の大切な相棒は今息も絶え絶えだと言うのに、息をするべきでない人間がのうのうと息をしている。何ともこの世は理不尽に満ちていた。
それらを全て飲み込んで霊幻は走る。速やかにこの男達を追い抜き、意識から消すのだ。
どうせ、何をしようともこの男達に未来は無い。遠くない未来で必ずこれらは撲滅されるのだ。
恭介も何も言わなかった。彼は何故か大角達を助けようと行動していたが、ことここに至っては自分に言えることは何も無いと悟っているのだ。
無感動に無機質にキョンシー的に、霊幻達は大角達のすぐ横を通り過ぎた。
「――」
その時、大角が感じた感情が何だったのか。それは分からないし、霊幻には興味が無い。
「曲がるぞ!」
ホムラへの合図として霊幻は約三百メートル先の十字路を指した。あそこを右に曲がれば、長谷川が待っている筈だ。
「京香! 後少しだ! 意識を保て」
「うん」
胸の中で京香が小さく頷く。今、霊幻の相棒は意思の力だけで意識を保っている。本当はこうして揺らすのも良くないのだ。
生者とはどうしてこれほどまでに壊れやすいのだろうか。
「京香ぁ! 私の娘を返せええええええええええええええええええええええええええ!」
ビュン! 明後日の方向に鉄球が放たれ、ビルの窓を破壊する。ジャリジャリジャリジャリ! 暴走する怨嗟が霊幻達を追い続けていた。
走る走る走る。筋遷移を何本も断絶させながら、マントを揺らして霊幻は笑った。
ハハハハハハハハハハハハハハ!
そして、霊幻達は十字路に到達する。
右折し、長谷川の元へ向かおうとした正にその瞬間だった。
霊幻は強烈なPSI反応を感知した!
「避けろ!」
「!」
霊幻の警告に反応できたのはホムラだけだった。
直後。巨大な鉄筋コンクリートブロックが霊幻達前方へ着弾する!
ドガッシャアアアアアアアアアアアアアアアアン!
割れたアスファルトが榴弾の様に霊幻達を襲った。
ホムラは即座にココミを抱え転がる様に地面に倒れた。対して霊幻は、京香と恭介に当たらぬ様、咄嗟に飛んでくるアスファルトの塊へと背を向け、それを一新に受けた。
いくつものアスファルトが霊幻の背を打ち、その骨格を破壊する。肩は砕け、抉れた腹の肉近くは機械と合成肉のミンチに成った。
敵襲だ。では一体誰が?
「やっほー、京香、霊幻」
その時、聞き覚えのある声が霊幻の耳に届いた。
前方二十メートル。十字路の先。
そこに居たのはひらひらと手を振るう女と大小様々な瓦礫を周囲に漂わせた血に塗れたキョンシーだった。
ここに居る筈の無い女だった。
なぜなら、ほぼ確実と言って良い精度で死んでいると予想されていた女だったからだ。
その女の髪はバァっと広がっていた。ヘアバンドに普段は押さえ付けられていた髪が自由に成っているのだ。
霊幻は気付いた。女の頭、ずっとヘアバンドで隠されていた場所に、五つの穴が空いている。
声を出したのは京香だった。女の姿を見て目を見開き、肩を強張らせながら、掠れるような声で前方の女の名前を呼んだ。
「……みち、る?」
そこに居たのはまさしく坂口 充。京香の友と呼べる女の姿だった。
「ミチルの時は色々とお世話に成ったね。私の名前はカケル。よろしくねぇ」




