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⑩ スズメの祈り




***




「霊幻様、残念でございますが、お遊びはここまでです」


 ヨダカが霊幻へ白刃を晒して十五分。その提案は突然だった。


 霊幻達が居たリビングには元の面影は残っていなかった。柱は砕け、机は切り裂かれ、床の板は全て剥がれている。まるで爆発が通過したかの様な有様だった。


「もう良いのか」


 そして、様相を変えたのはヨダカもだった。限界時間を超えて連続使用したサーマルキネシスによって上昇した体温に合成皮膚が耐え切れずに溶け、肌の半分から金属パーツが露出している。更に霊幻の剛撃を受けた左脇腹は抉れていた。


 対して、霊幻の身体に損壊はほとんど無かった。愛用の絶縁マントの裾が一部切り裂かれただけで、撲滅活動において何の支障も無い。


 シュウウウウウウウウウウウウウウウ。


 ヨダカの熱は最高潮に達し、赤くなった大太刀の刃だけでは無く、最も体温が高いであろう両手はほとんど溶けている。


「霊幻様、付き合っていただき誠に感謝いたします。ワタクシの火照りも収まりました」


 霊幻へと構えていた大太刀を下ろし、ヨダカの蘇生符の輝きが消える。サーマルキネシスの発動を止めたのだ。


「それは良い事だ。ならば、吾輩はもう行くぞ」


 ヨダカに戦う意思が無いのなら、今このキョンシーを撲滅する理由が無い。霊幻はすぐさま思考回路を切り替えた。今、するべき事は京香を救い出す事だ。


「霊幻様、ワタクシの話を聞いてくださいませ。敵の居場所について心当たりがございます」


「ほう? それは何処からの情報だ? これ以上お前達に騙されるのはかなわんぞ?」


 ジロリと自分を見る霊幻へ、ヨダカが恭しく頭を下げた。


「返す言葉もございません。ワタクシの様なキョンシーの言葉など、霊幻様のお耳に通す価値もございません。ですが、主からの通信が届いております。どうかお聞きくださいませ」


 そう言ってヨダカは左耳元を右人差し指で押した。


 ジジっと言う音が鳴り、そこに内部スピーカーが起動する。


『……霊幻、そこに、居るの?』


「おお、スズメか! 久しぶりにお前の声を聞いたぞ!」


『ひっ』


 スズメが息を吞むような悲鳴を上げる。怯えが露わに見える声だ。


「要件があるのなら早く言え。吾輩は忙しいのだ!」


『は……はぁ……』


 スズメの息が乱れる音がだけがスピーカーから聞こえる。いつもの彼女ならば、とうに倒れ、通信を切っているだろう。


 今のスズメを支えている物。それは精神力に他ならない。脳特殊開発研究所の被害者の中で今もこうして意識を保っているのは葉隠スズメだけだ。


「どうした? 何か吾輩に言うことがあるのだろう? 早く言うのだ。生者の言葉だ、吾輩はある程度待とう。だが、忘れるな。どの様な事情があれど、お前は一度吾輩達を裏切っているのだ。後、三秒待つ。それが過ぎたらさよならだ」


 一、二、さ――


『――敵は大通りから、西区に、向かってる。木下が、運転する車に乗った、桃島を追ってる。近くに、クロガネと、京香が居るっ』


 息も絶え絶えに声をスズメは絞り出した。今にも死んでしまうのではないかと言うほどの必死の声。


 霊幻は生者を信じるキョンシーだ。


 バチバチバチバチ。


 霊幻の四肢に力が入り、その体に紫電が纏われる。


 場所は分かった。ならば、全速力で行くだけだ。


『お願いっ。霊幻、京香を、助けてっ』


 スズメの言葉は祈りに満ちている。


 そして、霊幻はキョンシー、死者だ。死者は生者の祈りの為に存在する。


 ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!


「ああ、任せるが良い!」


 霊幻は駆け出し、狭い屋内から出た。


 そして、すぐさまバッチィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!


 体に貯めた電気エネルギーを開放し、スズメが示した地点へと跳んで行った。




***




「……ヨダカ、霊幻は、行って、くれた?」


『はい。霊幻様は確かに京香様の元へと向かわれました』


「そっか」


 PC画面から聞こえるヨダカの声に、ガクン! 体から完全に力が抜け、スズメは畳へと倒れた。


「はぁ、は、はぁ」


 キュウウウウウウウウウウウウウウウ! 胸が痛い。肺が痛い。パクパクと口を動かして、スズメはゆっくりと息を吸おうとした。


 手足の感覚が無くなっている。きっと今とても指先は冷たいに違いない。


――怖い怖い怖い怖い怖かった怖かった怖かった怖かった怖かった怖かった怖い怖い怖い怖い。


 もしも体が壊れていなかったのなら、スズメは蹲り震えていた。


 スズメの耳に霊幻の声が、大人の声がリフレインする。大人は怖い。大人が自分の体を切り刻み、電極を刺し、どうしようもない所まで壊したのだ。


 霊幻が自分を壊す意思が無いとスズメは分かっている。だが、子供と京香、それ以外の何物もスズメの世界に存在しては成らなかったのだ。


 何とか仰向けになって、弱々しい手で胸を押さえる。肺が変な風に痙攣し、上手く息を吸えないでいた。


 視界の中でメイドのキョンシー達が右に左に動く。倒れてしまった自分を介抱しようしているのだろう。


――大丈夫。


 思うだけで、壊れてしまったポンコツの体は声を出すことすらできなかった。


 本当ならオクトパスを被り、京香を助けるためにまだ頑張らなければいけない。


 京香の場所を突き止め、それを霊幻に伝えた。これ以上をもう自分にはできないと分かっていたとしても、何かできることを探さなければならないのだ。


――今なら霊幻が間に合うはず。


 あの女に裏切りを脅迫された後、スズメはひたすらにその脅迫を破れる機会を待った。


 オクトパスを被り、工場地帯の屋根の上に居る京香を見つめながら、敵が京香を傷つけられないギリギリのタイミングを探していた。


 そして、たった今それは訪れた。白と黒のキョンシーは別行動を取り、黒のキョンシーが京香を背中に拘束したまま、木下恭介の運転する車両への追走を開始したのだ。


 既に木下の運転する車両には関口湊斗とコチョウが到着している。戦いながら京香をわざわざ傷つけるのは難しいはずだ。


『スズメ様。ワタクシもすぐに戻ります。それまでどうか耐えてくださいませ』


 画面の向こうでヨダカの声がする。ヨダカの今の位置から葉隠邸まで三分と掛からない。


 スズメがヨダカの顔を肉眼で見た事があるのはたった一回。京香が立ち会った所有者登録の時だ。あの時の自分の状態は今よりもひどく、半狂乱に成る体を京香に押さえつけてもらって無理やりヨダカの所有者に成ったのだ。


 京香が自分のために色んなことをしてくれた。


 地獄から救ってくれた。話し相手に成ってくれた。遊び相手に成ってくれた。仕事を与えてくれた。この世界に居て良いと言ってくれた。


――きょうか、きょうか、きょうか。どうか無事でいて。綺麗なままでいて。壊れないままでいて。きょうかだけは美しいままでいて。


 スズメは祈る。もう自分に出来ることは無い。体は指先だってまともに動かなくて、頭はずっと熱を持っている。血が逆さまに流れてるみたいに痛いし気持ち悪い。


――何で私はこんなに壊されちゃったの。


 スズメの両目から涙がジワリと流れた。こういう時に踏ん張れないポンコツな体が、悔しくて悲しくて辛かった。


 ヒュウウウウウウウウウ。


 僅かな風が吹き、スズメの前髪を揺らした。


 そして、音も無く、スズメが気づいたら目の前に女とキョンシーが居た。


 先程来た女とは別の、ブロンドヘアの外国の女とレインコートを着た土気色のキョンシーだ。


 ヒュ。息が止まった。だが、それ以上スズメの体が逃走の体勢を取る事は無かった。体は既に動けない程披露している。


 だからだろう。過呼吸に成ることも無く、スズメは目の前に浮かんだ一組のキョンシー使いとキョンシーを見たまま、何処か冷静に頭が動いていた。


 何をされたのかは分からない。だが、スズメの周りに居た子メイドキョンシー達は皆、見えない力で畳へ押さえ付けられていた。


 ヒュウうウウウウウウウウウウウウウウ。風がスズメの頬を撫でる。


――死んだ、かな。


 ヨダカが来るまで後二分以上の時間がある。


「あなたを、ころすように、いわれて、きました」


 発音はおかしくないが、どこかたどたどしい日本語で、ブロンドヘアの女がスズメへ話しかけてきた。


――だめ、かぁ。


 スズメは何か抵抗する方法が無いか探した。だが、壊れて上手く動けない体で何ができると言うのだろうか。


「なぜ、きょうはくを、きかなかった、のですか?」


「ちゃんと、聞いたよ」


 詰まった息でスズメは一応の反論を言う。スズメが受けた脅迫は二点。


 一つは、桃島の隠れ場所を後で来る使いの者に教えること。こちらは問題なく使いのキョンシーへ座標データを渡した。


 もう一つは、第六課の最強キョンシー霊幻をできる限り桃島から引き離すこと。こちらはヨダカのスペックでは十分過ぎるほどに霊幻を足止めしたはずである。


 そんなスズメの言葉を脳内で訳す様にブロンドの女は数秒程度沈黙した。


「……あなたに、きょうはくを、むしした、いしは、ないのですね?」


「最低、限は、従った、よ」


 諦めたくは無い。だが、諦めるしか無い状況でスズメは笑おうとした。


 だが、大人が目の前に居る。体は強張り、表情を作ることすらできない。


――死ぬ時の顔も、決められないの?


 せめて痛み無く死ねたらと、スズメは思った。


 その諦観とは裏腹に、スズメが死ななかった。


 スズメの言葉を聞いたブロンドの女は安堵を滲ませた息を吐いた。


「……よかった。きょうはくを、きいて、いたなら、ころしません」


――え?


 どういうことなのか、スズメは聞こうとした。


 ヒュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ。


 風が吹き、一瞬、スズメは眼を閉じた。


 そして、眼を開いた時には、目の前に居た筈のブロンドの女とレインコートのキョンシーは居なくなっていた。

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