⑮ カアサマ、ネエサマ
まるで大型車の正面衝突を受けたかの様な衝撃が走り、京香の体は後方へと弾き飛ばされ、暴風が瞬時に霧散する。
砂鉄が衝撃を吸収したため、京香の体へ直接的な衝撃が届いた訳ではない。けれど、殺し切れなかった加速度はその意識を一瞬明暗させるには十分だった。
予期しなかった後方への加速に胃は裏返り、喉元まで胃液が上がる。
「京香、大丈夫!?」
充の近くに着地した京香はせり上がる胃液を無理やり抑え、真っ直ぐに前方へと視線を上げた。
――鉄球が奪われた。残り三つ。砂鉄も最初の半分くらい。やばい。
正体不明の衝撃で霧散した鉄球と砂鉄の大部分はクロガネに奪われた。
いよいよ状況は厳しい。先程あと一歩で勝てそうだった状況は見事に裏返った。
しかし、今気にするべきことはそれでは無かった。何が京香を攻撃したのかだ。それをできうる限り早く理解しなければならない。
果たして、その答えは直ぐに現れた。
コツ、コツ、コツ。硬い靴音が響いた。それはクロガネの後方からゆっくりと現れた。
白いキョンシーだった。真っ白なワンピースを着て、真っ白な靴は履いて、真っ白な肌をして、長くて真っ直ぐで真っ白な髪をした、外見的肉体年齢は十二かそこらの少女の姿をしたキョンシーだった。
「カアサマ、カアサマ、お遊びが過ぎます。ボクが止めなければ、その体に傷が付いてしまうところでしたよ?」
そのキョンシーは嘆息交じりに声を出しながらクロガネの横に並び立った。
――カアサマ?
カアサマ、かあさま、母様?
ぞわっと京香の肌が粟立った。このキョンシーは一体なんだ?
「あらあらごめんなさい、そしてありがとう。久しぶりに京香に会えてとても嬉しかったの」
「カアサマの気持ちは分かります。京香ネエサマに出会えて天にも昇るお心持ちなのでしょう。ですが、まずはボク達の任務を果たさなければ」
――ネエサマ?
ネエサマ、ねえさま、姉様。
脳内で警鐘がカンカンカンカンカン! と鳴る。これ以上聞いてはならないという防衛反応だ。
だが、京香は口を開く。耳を塞ぐことは、より大きな後悔に繋がると知っているからだ。
「そこの白いキョンシー、お前は誰だ?」
トレーシーの銃口を向け、京香は問い質す。
ハァ、ハァ、ハァ。無意識に息は乱れていた。
質問に答えたのはクロガネだった。
「ああ、ごめんなさい京香。あなたとの遊びが中断してしまって。そうね、でも、良い機会かもしれないわ。折角、こうして会えたのだもの、紹介するわ」
クスクスクスクス。クロガネは嬉しそうに笑う。やりたかったことがやっとできたかの様に笑う。京香は、清金カナエという母がどういう時こんな反応をするのかを思い出していた。
――ああ、そうだ、母さんはこういう時、
「この子はシロガネ。あなたの新しい家族よ。今度は正真正銘、私のお腹から産んだ子よ。仲良くしてあげてね」
「お見知り置きを京香ネエサマ。ボクはシロガネ。この様な格好をしておりますが、ネエサマの新しい弟に当たります。今後とも良しなに」
ヒュ。京香の喉から変な音が鳴り、彼女の首元から腰に至るまで冷たい何かに撫でられた。
「……………………………か」
声が漏れた。無意識に漏れた言葉だ。
「え? どうしたの京香? ごめんなさい良く聞こえないわ」
「………の前で……と……か」
「え? どうしましょうシロガネ。あなたには聞こえる?」
「カアサマの砂鉄の音が少々邪魔で聞こえませんね」
「あらまあ、どうしましょう? これは必要な装備だし。ごめんなさい、京香、もっと大きな声でお願い!」
京香の頭は真っ黒に成っていた。
「アタシの前で家族と語るか!」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
グルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル!
残った砂鉄と鉄球を従えて、京香は四度目の突撃を行う。とても冷静な判断ではない。後方からは充の制止の声が聞こえる。
でも、駄目だった。もう耐えられない。目の前のキョンシー達の口を引き裂き、その体を砕き、その存在を撲滅せねば耐えられなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
激昂する。京香は自分が何を考えているのかもう理解できなかった。
頭にあるのは眼前のキョンシーを撲滅することだけ。それ以外の何もかもが頭から消え失せていた。
だが、これは一縷の望みしかない突撃。成功率が著しく低い無謀な特攻。
「あら、京香、まだ遊びたいの? でもごめんなさい。そろそろ私達も仕事をしなきゃいけないの」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
クロガネが砂鉄を広げる。その範囲、硬度は先程までよりも広く強く大きい!
「出会った傍からのご無礼をお許しくださいませネエサマ。…………SET」
キイイイイイイイイイイイイイイン!
キイイイイイイイイイイイイイイン!
キイイイイイイイイイイイイイイン!
キイイイイイイイイイイイイイイン!
シロガネの周囲に歪みが出来た。それは空間に出来た穴の様だった。
「放てええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
鉄球と砂鉄を京香は発射する。コンディションを考えるなら、十分過ぎるほどの攻撃。この姿を見て京香が人間であると認識する者は居ないだろうと断言できる程の攻撃。
それらは全て無に帰した。
「ご安心くださいませネエサマ。威力は加減いたします。SHOT」
ギギギイイイイイイイイイイイイン!
ギギギイイイイイイイイイイイイン!
ギギギイイイイイイイイイイイイン!
ギギギイイイイイイイイイイイイン!
シロガネが生み出した空間の穴から不可視の何かが発射された。それは無機質的に鉄球と砂鉄を弾き飛ばし、京香の両肩、鳩尾、腹、を正確に打ち抜いた!
京香の軽い体は宙を舞い、その意識が闇へ落ちる。
「ごめんなさい京香。起きたらまた遊びましょう? だから、ね? 今は眠っていて?」
そして、その体をクロガネの砂利が包み込み、京香の意識は真っ暗な闇へと落ちた。




