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⑤ 幼き大男




***




「清金先輩、着替えの服とかです」


「ん、ありがと」


 二日後の午後三時半。恭介は人恵会病院の605号室にて着替え等が入った紙袋を清金へ渡していた。


 常日頃から優花への見舞いに来ていた恭介が人恵会病院を訪れるのは何ら不自然でない。


 そうなると恭介が護衛の清金へのサポーター役に成るのは必然だった。


「清金先輩、眼の血走り具合がえげつないですよ?」


「ほとんど眠れないからね。しょうがないのよ」


 ふわぁああ。大欠伸をしながら清金が右手をヒラヒラと振る。普段通りの飄々とした動きだが、動きには精細さが欠けていた。


「そんな調子で戦えるんですか?」


「できるできる。その時にはスイッチが入るから」


 ハハハ。焦点が微妙に合っていない瞳で、京香は乾いた笑いを見せる。


「ハハハハハハハハ! 任せろ恭介! 吾輩の相棒ならば十全に撲滅を完遂するだろう!」


 ドンと任せろとでも言う様に、霊幻が自身の厚い胸板を叩いた。


「霊幻、声のボリューム落として。頭に響くわ」


「おっと、すまんな」


 文句を言っているが、清金の表情は僅かに明るくなる。恭介にはやかましいとか感じられない笑い声も、持ち主にはまた違って感じられるのだろうか。


――ま、大丈夫か。


「僕は戻りますね。明日には、隠れ場所を移動ですから、清金先輩も休める筈ですよ」


「りょーかい。んじゃ、また明日ね」




 605号室を出て、恭介は優花への見舞いをすることにした。


「ホムラ、ココミ、優花に見舞いをしてくるよ」


「え? まだここに居るの? さっさと帰らせなさいよ。おシャ魔女ドミソを見たいんだから」


「……」


「再放送だし、しかも録画してあるでしょ。我慢して」


 文句を聞き流し、恭介は足を進める。舌打ちをしてホムラとココミは付いてきた。


 電子音と物音がする604号室を過ぎ、外にホムラとココミを待たせ、603号室へ恭介は入った。


「優花、兄ちゃんが来たよ」


 いつもの様に声を掛け、恭介は木下優花の病室に入る。


 そこには前に来た時と何ら変わらず、沈黙と停滞を貫いた妹の姿があった。


 グジュ、ブチュ。ピ、ピ、ピ、ピ。脳再生用の薬品や補肉材がその大穴から注ぎ込まれる音。体の状態を測る電子音。四肢を捥がれた妹の姿。


 聞き慣れて、見慣れてしまった光景。無理に意識しなければ、恭介の心にざわめきも立たなかった。


 感慨も無く、恭介はパイプ椅子に座り、優花の顔を眺めた。


「……少しだけ顔色が良くなったかな?」


 明かりの加減の問題かもしれない。事実として優花の脳はまだまだ快方に向かっていないのだ。


 自分がそれを喜んでいるのか、恭介には分かっていなかった。


 優花の頭の大穴には何本ものチューブが差し込まれている。故に、幼い頃の様に頭を撫でてやるということはできない。


 恭介はひんやりとした頬へ手を当て、小さく左右に撫でた。


 反応も反射も無い。僅かな期待は今日も裏切られるのだ。


 寂しさに近い感情を持って優花の頬を撫でていると外で足音がした。ドカドカという荒っぽい足音だ。


 そして、603号室の扉が無遠慮に開けられた。


「おお、恭介! ここに居たのか!」


 大角が、穿頭教からの逃亡者が、キョウスケへとニカッと笑っていた。


――。


 一瞬、珍しく恭介は言葉を失い、


「部屋を出たらお前のキョンシーが居たからな! 居ると思ったんだ!」


 大角が一歩二歩三歩。優花の病室にずかずかと入り込んでくる。


――ああ、怒らなきゃ。


 遅れて恭介は理解した。


「出て行け」


「ん? どうした、恭介? そこの女は――」


「出て行け、大角。次は無い。勅令を使ってでもお前を殺す」


 自分の口からこういう言葉が出るとは恭介は思わなかった。


「あ、ああ、すまん。入っちゃいけなかったのか。すぐに出る」


 何かまずいことをしてしまった。大角は悟ったのだろう。恭介の視線を受けてすぐに603号室を出た。


「……優花、今日はこれで帰るよ」


 最後に妹の頬をもう一度撫で、恭介は大角を追った。







 603号室を出て、恭介はこちらへ気まずそうに眼を向ける大角、そして、壁際に背を預けていたホムラとココミへ目を向けた。


「ねえ、ココミ、今日はどんな物を食べたい? 前にビーストロガノフというのを食べたわね。ストロガノフって何なのかしら? 何というか強そうな名前ね。悪の大魔王に居そう」


「……」


 二体は恭介が出てきたことを意に介していない様だ。


「何で大角をこの部屋に入れた?」


 口から漏れ出た文句は、今までに無い程冷たい響きを持っていた。


――いっそ契約を破棄してしまおうか。


 理性的でない選択肢が頭に過る。今、自分は怒りに身を任せるべきなのか、恭介は決めあぐねていた。


 ピタリとホムラとココミは会話を止め、恭介へと眼を向けた。


「そんな命令は受けていないもの」


 そうか、と恭介は顔を顰めた。当たり前だった。ホムラとココミというキョンシーが自分に対して気遣う理由も、それを求める道理も無かった。


 単純に自分の指示ミスであり、この二体を責めるのは筋違いなのだ。


――しょうがない。


 これ以上の文句は飲み込んで、恭介は眼鏡を上げた後、大角へと顔を向けた。


「ごめんな。何か、入っちゃいけなかったみたいだ。悪気は無かったんだ」


「……悪気って問題じゃないけど、まあ良い。何の用だ?」


「いや、用があったわけじゃない。会えたら会おうと思っただけだ」


――そんな理由で、


 大角は深く物事を考える男ではないのだろう。幼いと言っても良い。悪く言うのなら頭が足りていないのだ。


「そっか。用が無いなら僕達は帰るよ」


 これ以上話したくない。恭介はホムラとココミを連れてこの場から去ろうとした。


 もしも、大角が少しでも見た目相応に大人であったのなら、この大男は恭介を引き留めずに見送っただろう。


 しかし、大角は子供だった。自分が何かをやらかしてしまった時に、わざわざ言わなくても良いのに、何か言葉を考え無しに探してしまう。


 そんな男だからだろう。大角が恭介を引き留めた。


「あの女の頭は穿頭教(俺達)がやったやつか?」


――……わざとやってるのか?


 そう疑いたくなる程に、大角の言葉は恭介の精神を逆撫でする物だった。


 恭介は意識して自身の感情を無視した。油粘土の様に心がグニグニと鈍化する。


 一度、空気を吸い、恭介は体も大角へ向けた。


「あの子は、七年前に攫われた僕の妹だ。三年前に救出された。脳特殊開発研究所って聞き覚えないか?」


 恭介は優花を攫ったという組織の名前を出した。


 脳特殊開発研究所。超能力の開花を目的としたこの組織は、長い間、シカバネ町で素体狩りを行っており、三年前に行われた大規模掃討作戦によって壊滅した。


「脳特殊開発研究所? 待ってくれ、聞いたことがあるぞ。あー、三年前に俺達の中から研究員達が派遣してた組織だ。全員、お前らに殺されちまったが」


 大角がニットキャップを撫でる。そして、確信を持った様に頷いた。


「それじゃあ、やっぱり、あの女の頭の穴は俺達があけた物なんだな」


「……どうしてそう思う?」


「俺達は何度も頭に穴をあけてきたんだ。見間違える筈が無い。あの穴は俺達があけた物だ。あんな大穴は普通あけないけどよ」


 ふー。恭介は息を吐いた。脳特殊開発研究所に穿頭教が関わっていた事は知っている。


 今、この大男は、自分達が木下恭介の愛しむべき妹を凌辱し破壊したことを声高に宣言したのだ。


 報復をするべきだと恭介の中の〝兄〟が言っていた。


 今、恭介のすぐ近くにはホムラが居る、このキョンシーへ命令すれば、大角一人くらいすぐに殺せるだろう。


 情報を集めろと恭介の中の〝理性〟が言っていた。


 そして、恭介は理性的な男だった。


「大角、妹には脳がほとんど残っていない。それも穿頭教の仕業なのか?」


「はぁ? 俺達は頭に穴を開けるだけだ。攫った人間とは言えわざわざ脳を取るなんてことはしない。だってよ、脳が無かったら神の力が使えねえじゃねえか」


「そうか。それだけ聞けたら充分だ。僕達は今度こそ戻るよ。お前も元の病室に戻れ」


 話は終わった。恭介は顎で大角へ指示する。


「おお、明日は次の隠れ家への移動だな! 恭介、色々とありがとうな! 後少し、俺達を助けてくれ!」


 大角は豪快に笑い、604号室へ戻った。


「はあぁぁぁ」


 その様を見届け、恭介は深く長くため息を吐く。


――切り替えろ切り替えろ。まずは目先の仕事からだ。


 だが、結局、恭介が気持ちを切り替えるのに二分ほどの時間が掛かった。

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