④ 蓮華の日々を胸に抱き
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「……先生」
ピ、ピ、ピ、ピ。規則的な正しい電子音の中、大角は桃島の顔をずっと見つめていた。
自分でも大き過ぎると思う巨体の周りでは、第二課の連中が忙しなく行ったり来たりしており、その度に、桃島の頭と体に取り付けられる電極の数が増えたり減ったりしていた。
「先生、大丈夫だ。絶対に俺が守ってみせるから」
桃島の手を握り、虚ろな眼をした師へ大角は話しかける。
大角の人生初めての記憶は桃島の優しい微笑みだった。多分、お菓子をくれた時だ。当時、今の大角よりもずっと下くらいの年だった桃島、その頭にはまだ穴が空いていなかった。
犬慈、猿寿、雉里、リトルロータスのキョウダイ達。大角を含めた四人は特に桃島に懐いてた。
それは桃島真という男がリトルロータスで育ち、そしてそのままここの院長に成ったこともあるだろう。リトルロータスの子供達は第二次成長期に入る少し前に卒院する。その中で桃島は次期院長へと抜擢されたのだ。
快挙だった。そして、大角達は大いに喜んだ。先生がすごいと認められたのだ。まるで自分のことの様に誇らしく、四人で輪に成って先生を囲み、互いの頭を撫でた。
頭に穴を開け、院長と成った桃島の手腕は素晴らしい物だった。
リトルロータスの孤児達の体調、精神状態を適切に管理し、一線級の素体として養育し、立派な穿頭教徒へと成長させた。
大角達を含めて、桃島の手で育てられた何十人もの子供達は、希望に満ちた眼で頭に穴を開け、そして、その死亡率は僅か三割に留まった。
「先生、先生が治ったら、二人で孤児院でも作らないか? 先生なら絶対良い院長に成るんだ。力仕事は俺に任せてくれ。何でもやるよ」
蓮の華の如き美しい日々を大角は思い返す。
その日々を終わらせたのは他でもない大角だった。
「俺達だけの力で神の力に至れれば良かったんだけどなぁ」
穿頭教の存在理由は、キョンシーに宿る神の力を人の身で宿すこと。
始まりは只の事故だったと大角は聞いている。教団の設立者がある子供の交通事故の現場を目撃した。
凄惨な現場だった。車の何かの部品が子供頭に突き刺さり、大きな穴が空いていた。そして、子供は倒れ、瞬く間に命が終わろうとした。
その時である。子供を取り囲んでいた交通事故のガラクタが俄かに浮かび上がったと言うのだ。つまり、頭に穴が空いたことでテレキネシスを発現したのである。
設立者はその光景に魅入られた。当時、キョンシーに神の力が発現したという報告は数少なく、人間に宿るなど、考えられもしなかったのだ。
もう一度、人の身に神を下ろすのだ。その日から、これだけが設立者の人生目標と成った。
設立者は教団を立ち上げた。そして、設営以来、変わる事の無かった教義の元、教団の内外問わず頭に穴を開けてきた。
しかし、設立者が死に、教団のリーダーが幾度変わっても、どれ程頭に穴を開けても、神の力が穿頭教に宿る事は無かった。
そんな穿頭教へ、とある団体が共同研究を持ち掛けてきた。
今までの穿頭教ならば、この申し出を受けなかった。自分達の崇高な目的が、外の世界からすれば唾棄すべき犯罪思考である事を理解していた。そんな自分達へ接触してくる団体がまともな物である筈が無い。
だが、穿頭教は疲弊していた。信徒の数は未だ増大し、運営資金も余裕があったけれど、掲げてきた願いの成就がいつまでも果たされないこの状況に、痺れを切らしていたのだ。
「先生、体だけがデカいやつでごめんな。俺は結局俺達の穿頭教で何が起きていたのか分かってないんだ」
共同研究先から、数人の研究者と数体のキョンシーが派遣されたと桃島が言っていた。加えて、共同研究が信じられない程上手く行っていると桃島は珍しく興奮していた。
何でも、共同研究先から送られてきた喪服姿のキョンシーが元キョンシー研究者であったらしい。そのキョンシーの知識量は穿頭教の研究員を遥かに超え、あっという間に新しい研究体制を立ち上げたというのだ。
新しい実験の被験者の募集が始まった。
初めは数人、次には十数人、その次には数十人と、立候補者の数は増えて行った。桃島曰く、脳波のパターンが変化し、微弱ながら神の力の残滓を観測できたと言うのだ。
被験者の誰一人として生きて帰って来なかったけれど、生体のまま神の力を宿すという目標へ大きく進んでいるという実感が穿頭教にはあった。
そして、実験回数が十を超えた頃、桃島が立候補し、被験者に選ばれた。
「ケンジ達は喜んでたな。先生が殉教者に成るって。俺も喜んでたな。先生がとうとう神の力を宿せるって」
本当だった。桃島の年を考えると、頭に穴を開けられる回数は後一度あるか無いか。その最後のチャンスを愛しい先生は掴んだのだ。
『それじゃあ、行って来るよ』
何度も見た、穏やかな笑みを浮かべ、桃島は〝処置〟を受け、そして歓声が鳴った。
「先生を祝おうとしたんだ。本当なんだ。ケンジ、エンジュ、チサト、俺、四人で神の力を手に入れたっていう先生をお祝いしようとしたんだ。ケーキだって買ったんだぜ? でっかいやつ」
処置室に入った時、大角は固まってしまった。他の三人がどうだったかは覚えていない。
口から貯まった唾を垂らし、虚ろな目をして、『あー』だか『うー』だか、言っていた人間の姿を、桃島だと認識できてしまった。
そこに居たのは、変わり果てた先生の姿だ。頭が良くなかったけれど、大角は、その桃島の姿が不可逆的な物であるとはっきりと分かってしまった。
「俺はやっぱり落第生だなぁ。神の力が何よりも大事だって、先生から口を酸っぱくして教えてもらったのに」
大角の胸に宿ってしまった思いがあった。それは無視できない程ハッキリとした思いで、すぐに言葉にできてしまう思いだった。
「ああ、先生とまた話してえよぉ。デカく成っちまったけど、また、頭を撫でて貰いてえなぁ」
ピ、ピ、ピ、ピ。人恵会病院の604号室で電子音が鳴る。第二課が動き回る音がする。
液晶画面に表示される数字やグラフが、どの様な意味を持つのかは分からない。
愛しき先生がどの様な状態にあるのか、大角には何も分からなかった。
「大丈夫、大丈夫だ、先生。先生はきっと元通りに成る。そうなりゃ、また、お話しをしてくれるはずだ」
望まれていない。元に戻してくれなど、桃島は願っていない。
大角は止まれなかった。溢れ出す思い出が自分を暴走させている。
自覚はしていたけれど、それは大角の中で言葉に成っていなかった。
大角の穴だらけの頭には、桃島がまた自分に笑いかけてくれるはずだという未来しか無かった。
それを見ることしかできなかったのだ。




