⑥ クロガネ
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「じゃあ、恭介君。次はこの建物の中にお願い」
深夜三時半。恭介が鼻先の冷たさに麻痺し始めた頃、坂口がココミへの二度目のPSI使用を要請した。
場所は有楽天の南側の一角にある路地裏の奥、そこから見える二階建ての建物だった。
――地形的にダーツバーか?
「さっきはカラオケ店でしたね。この店も怪しいんですか?」
「いんや、良く分からない。ただ、こんな真っ暗な路地裏の奥だよ? 隠れるのにも攫うにもバラすにも格好の場所じゃん。ま、やっといて損はないかなってね」
「なるほど。んじゃ、ココミ、この店を軽くで良いから調べて」
「……」
一先ずの納得を見せ、恭介はココミへ命令した。
「ちっ」
ホムラが舌打ちし、握っていた手を伝ってココミを後ろから抱き締めた。妹が壊れてしまわない様に、砕けてしまっても崩れてしまわない様に、全身を使ってその華奢な体を支える。
「……」
クネクネクネクネ。
ココミの額から数本の糸が生えた。この場ではマイケル特製のコンタクトレンズを付けた恭介だけが見えているテレパシーの力場だ。
「ココミ、ココミ、大丈夫よ、無理をしないで。さっさと終わらせましょう。大丈夫、大丈夫だから」
ホムラが囁く様にココミへと声を掛け続ける。良く見るとその脚がガクガク震えている。脚部の駆動にエラーが起きているのだ。ココミがホムラの日常稼働へフルに使っているテレパシーが一部剥がれたからだろう。
ガクガクガクガク。ホムラの脚の震えは少しずつ大きくなっていく。倒れてしまいそうな体を妹への愛だけで立たせているのだろうか。
クネクネクネクネ。
クネクネクネクネ。
クネクネクネクネ。
ココミの糸は僅かな隙間から前方の家屋の中に入り込み、その内部をまさぐっていく。
ピク、ピク。ココミの手が偶に小刻みに跳ね、その度にホムラの抱く力が強くなっていく。テレパシーの糸は神経を剥き出しにして空気中に晒すに等しい。
それがどんな物か、恭介には分からなかったが、気持ち良い物では無いだろう。
ガクガク、ピクピク、ホムラの震えとココミの痙攣が三分程度続いたその時、
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
突如、恭介達の目の前のダーツバーが炎上した。
これはホムラのパイロキネシスだ!
「はぁ!?」
突然のキョンシーの暴挙に恭介は声を上げて、ホムラへ詰め寄ろうとする。
「下がりなさい!」
しかし、恭介が何か行動する前に、彼はココミを抱いてこちらへと倒れ込む様に跳んだホムラに後方に弾き飛ばされた。
直後である。
ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ!
炎上するダーツバーの二階から、大量の金属を擦り合わせる強烈な音を立てながら、真っ黒な何かが飛び出してきた。
――あれは!?
恭介が行動に移す前に、坂口が即座に対応した。
「ダイゴロウ、迎撃!」
坂口の前方にいた大型のキョンシーは跳び上がり、恭介達へと落ちて来る黒い影へ拳を放った。
拳が当たる直前、黒い影を覆っていた黒い靄が形を円形の盾の様に急激に変える。
ガキィン!
硬い音が響き、黒い影が打ち上がった。
グルグルと黒い影が回転し、恭介達を飛び越えて地面へストンと着地した。
「恭介君、私達の後ろに! サポートよろしく!」
「はい!」
ホムラとココミを立たせ、恭介は黒い影へ振り向く。
そこには居たのは砂鉄を纏い、周囲に鉄球を浮かせた、喪服姿の女性体のキョンシーだった。
「清金、カナエッ」
アネモイとの戦いを繰り広げたモルグ島。そこでの最終盤面に現れたマグネトロキネシスト、そして、清金京香の母親がそこにいた。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ!
喪服姿のキョンシーを螺旋状に砂鉄が周回している。
――清金先輩と同じ。
アクティブマグネットを発動した清金と似通ったPSIの使い方だ。
「チュウスケ、コウメ、ダイゴロウをサポートして」
坂口の指示に、中型と小型のキョンシーがダイゴロウの左右へと足を進めた。
――まずい、まずいまずいまずい。今、ここにある戦力じゃ勝ち目がない。
ホムラとココミの一歩後ろで恭介は冷や汗をかいた。このキョンシーのマグネトロキネシスの推定出力はB。京香よりも上だ。
ポケットからスマートフォンを取り出し、恭介は清金を呼ばんと耳に当てた。
――清金先輩が来るまで粘れるか。
しかし、その瞬間である。
ヒュン!
何か風切り音の様な物が恭介の耳元を過ぎ去り、右手に持っていた。スマートフォンが紛失した。
「!?」
背後を振り向くと、そこには残骸と化したスマートフォンがあった。
――何が起きた!?
手ごたえからして、何か固く重い物がスマートフォンを撃ち飛ばしたのだろう。だが、その具体的な内容は恭介には分からなかった。
背後にあるダーツバーを包む炎が、ゆらゆらと恭介達を照らす。その中で前方の敵キョンシーがピストルの形にした手を向けていた。
何かを――おそらく自身の周囲に漂わせていた金属を――こちらへ飛ばしたのだ。巨大な炎があるとはいえ薄暗い路地裏では、黒い金属片を正確に視認できない。
清金を呼ぶ手段が断たれた。
「電話を壊してしまってごめんなさい。でも、あなたも悪いのよ? 誰か戦闘員を呼ぼうとしたんでしょう? 私は戦う気が無いのだから、今は安心して。さあ、お話をしましょう」
黒衣のヴェールの向こう、キョンシーの口が動く。その声は快活として穏やかで、この場において異質だった。
――自律型のキョンシーだ。しかも、戦う気が無い?
いや、信じられる言葉ではない。恭介は坂口と眼で合図する。そして、周囲へ意識を向けながら口を開いた。
「清金カナエ、何が目的だ」
「うん? それは私の俗名ね。今の私はキョンシーなの。個体名のクロガネって呼んで欲しいわ」
どうやら、このキョンシー、クロガネは生前の記憶を保持しているタイプらしい。
ヴェールに包まれ、クロガネがどんな表情をしているのか恭介には分からない。
「……分かった。クロガネ、何でシカバネ町に居る? 目的は何だ?」
「ありがとう、素直な人は好きよ。あなたはモルグ島でも会った、木下恭介くんだったわね。あの時は聞けなかったのだけれど、京香とはどう言ったお知り合いなのかしら?」
「清金京香は僕の先輩だ。質問に答えろ。何をしにこの町に来た?」
恭介の心臓はバクバクバクバク鳴っていた。今、自分は獅子の顎の中で踊っている。気まぐれに噛み殺されてもおかしくはない。
しかし、声を出さなければならなかった。現状、木下恭介に求められる技能はそれだけなのだから。
「緊張しているみたいね。私は只の付き添いよ」
「付き添い?」
「ええ、恭介くん、あなたにここで出会えたのは幸運だったわ。付いて来てもらえるかしら?」
クロガネの砂鉄がクイクイと路地裏の出口へと伸ばされる。
「連れて行きたいのなら無理やり連れて行ったらどうだ?」
「それでも構わないけれど、そこのココミさんをあまり傷つけるなって高原さんに言われているのよねぇ。できれば、従って欲しいわ。安心して、話が終わったら、今日は全員解放してあげる」
「……本当か?」
「ええ、キョンシーの私が人間のあなたへ誓うわ」
キョンシーは人間に対して嘘を吐くのが不得手だ。思考回路の根幹に生者への奉仕が刻み込まれている。故に、たとえ、敵組織であったとしても、自律型のキョンシーは生者を騙す様な言葉を吐けない。
恭介は目配せし、坂口が頷いた。
「分かった。僕達を連れて行け」
「あなたは話の分かる人ね」
フフフ。黒のヴェールの向こうでクロガネの含み笑いが、炎に照らされた路地裏へと響いた。




