④ 静寂の歓楽街
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午前一時を回ろうとした頃、人恵会病院、605号室。壁際のパイプ椅子に座った恭介は、ベッドに腰かけ文庫本を読んでいたヤマダへ話しかけた。
「清金先輩はちゃんと寝てますかね?」
「キョウカは馬鹿デスが、愚か者じゃありマセン。ちゃんと寝ていマスヨ」
ホムラ、ココミ、ゼバスチャンらキョンシーも605号室に居て、各々が勝手に過ごしている。
恭介は先程の清金の姿を思い出す。
護衛を交代し、セセラギ荘に戻った彼女の雰囲気は恭介でも分かるほど張り詰めていた。
恭介はストレスに対して眠りが浅くなる人間だった。果たして、清金京香はどうなのだろうか。
「清金先輩が仮に倒れでもしたら、僕達じゃ護衛を上手くできませんからね」
「その時はこんな仕事、止めてしまいまショウ。キョウカがやらないのニ、ワタシ達が戦う理由はありまセンカラ」
サラリと吐かれた言葉は恭介には意外だった。
「ヤマダさんはそんなこと気にしない人だと思ってました」
「キョウカは可愛い後輩デスカラ」
「……え?」
恭介がヤマダへ聞き返そうとしたその時、ピピピピピと605号室でアラームが鳴った。
「パトロールの時間デスネ。次はキョウスケの番デスヨ」
「え、あ、はい」
京香と違って今ここには二組のキョンシー使いが居る。片方を部屋の護衛に置き、もう片方をシカバネ町のパトロールに当てても問題が無かった。
立ち上がり、恭介はホムラとココミへ指示を出す。
「ホムラ、ココミ、行くよ」
「うるさいわね。さっきも行ったじゃない。何でわざわざこの寒いのにココミをまた外に連れて行かないといけないの? ああ、ああ、面倒面倒面倒だわ」
「……」
「しょうがないでしょ仕事なんだから、はいはい、行きますよ」
ホムラの戯言を聞き流し、恭介は605号室のドアまで足を進め、「ほら」と短く指示した。
「ちっ」
「……」
左手と右手で指を絡ませてホムラとココミは立ち上がり、ホムラがぶつぶつと文句を言いながら付いて来る。
「それじゃ、ヤマダさん、行ってきます。何かあったら連絡します」
「ご武運を、キョウスケ」
「そういう台詞は本から顔を上げて言ってくださいよ」
「良いシーンなんデス。常識でしょウ?」
――常識とは?
げんなりと首を傾げながら恭介は605号室のドアを閉めた。
隣の604号室、そしてもう一つ隣の603号室へ通り過ぎる直前に眼を向けて、エレベーターへ恭介達は乗り込む。
――何処を回るか。
恭介の頭にあるのは、何処に敵、すなわち穿頭教が隠れているかではない。
――何処なら戦える?
木下恭介は京香やヤマダの様な戦闘屋ではない。優秀なパイロキネシストとテレパシストを連れていたとしても簡単に死ぬ可能性があった。
第六課に来て三か月。偶にある戦闘訓練で清金に恭介が叩き込まれているのは〝生存する〟こと。ホムラとココミというキョンシーを使ってどの様に立ち回れば生き残れるのか。それだけを恭介は学んできた。
ホムラとココミが持つスペック。シカバネ町の地理。自分が出来る立ち回り。それを総合的に考えて恭介はパトロール先を決めた。
「んじゃ、北区に行こう。あそこなら何かあっても逃げ切れるから」
そこは丁度良く、ヤマダとの戦闘で穿頭教が逃げた方向だ。
*
北区の歓楽街を恭介はホムラとココミを連れて歩いていた。
時刻は既に深夜二時に迫ろうとしている。
歓楽街は静けさに包まれていた。シカバネ町でこの時間に営業をしている娯楽施設はほとんど無い。
全ての建物でシャッターは厳重に下ろされ、恭介達の足音だけが響いていた。
――息、白い。
茶色いダッフルコートを目深に被った恭介の鼻の頭がツンと冷たくなった。
そんな恭介の後ろではいつもの左右非対称なワンピースを左右対称に来たホムラとココミが手を繋いだまま付いて来ている。
「ホムラとココミは寒くないの?」
「ほらココミ見て見て。昼間はあんなにキラキラガヤガヤしてたここが今はこんなにも静かだわ。まるでわたしとあなただけの世界みたい。素晴らしいわ。あなたと二人きりで過ごす夜のデート。ああ、なんて甘美な響きなのかしら。良いわ良いわ最高だわ! さあ、ココミ! この町を駆け出してしまいましょう!」
「……」
「待てい」
どうやら特に防寒着を渡さなくても平気の様である。
キョンシーの肌は人間と比べて温度に対してとても強い。わざわざ気にする必要も無かったと恭介はダッフルコートのフード越しに頭を掻いた。
「静かだな。誰にも会わないと良いけど」
最低限のパトロールさえこなせば充分である。北区を適当にグルッと一周したら人恵会病院に帰る予定だった。
テクテクテクテク。
五分ほど更に歩いていくと、本屋、玩具屋、カラオケ。ほとんどの店が締め切った中、この時間でも明かりが付いている店舗があった。
「わー、すっごいピンク」
そこにあったのは性風俗店だ。どうやら性処理用のキョンシーを扱っている店舗らしく、店頭には局部だけを隠した破廉恥な格好の女性体キョンシーが看板を持っていた。
――すっげえ恰好。
人間が真冬にこんな格好していれば凍死待ったなしだろう。
男の性でつい見てしまった恭介をロックオンしたのか、破廉恥キョンシーが大股で近づいてきた。
「ハイ、ソコのオニイサン。コンナ時間に出歩くのは危険ヨ。一緒にこの店でグッチョグッチョ朝までドエロイ事をしヨう」
――え、言っちゃ悪いけどこんな仕事に自律型使ってんの?
恭介が破廉恥キョンシーのオーバースペックに驚愕していると、ホムラの冷え切った声が聞こえた。
「あら、あらあらあらあら、ココミ、この男はケダモノらしくもここで淫獣に成る気の様よ。嫌ね嫌ね嫌ね。自分の性欲も管理できないスカスカの猿だったようだわ。ねえ、どうしましょう? この場で燃やしてしまおうかしら?」
「……」
「待て待て待って。いや、しない、しないよ!」
自分のキョンシーから向けられる絶対零度の視線に恭介は慌てて首を振った。つい見てしまっただけなのだ。恭介はネクロフィリアでは無かったが、真冬にマイクロビキニライクなドエロイ恰好をしている人型が居たら見てしまうものだろう。
しかし、恭介の弁明もむなしく、ホムラはその視線の温度をますます下げ、スススとココミと共に持ち主から距離を取った。
「黙りなさい、このドスケベ男。見ないで寄らないで息を吹きかけないで、汚濁した液体に脳を支配された性欲モンスターが。今日は帰って来ないで、ココミが穢れちゃうわ」
「ひどいね!? そこまで言われることを僕はしたかな!?」
ワーギャー! ホムラの汚物を見る視線は一切無くならず、恭介はあきらめた様に肩を落とした。
――まあ、良いや。ホムラにどう思われても。
気まずさを振り払う様に恭介は自分を見つめたままの破廉恥キョンシーへ話しかけた。
「あの」
「お、ドエロイことスル気になったカ?」
「違う違う。聞きたいことがあるんだ」
「コッチノ個体情報を知りたいのカ。名前はミンミン。ドエロイ人、ミンミンはスリーサイズなら可変デキル。ペッタンコでもダイナマイトでもドンと来いヨ」
「最近、この辺りに不審な奴ら来てない? フードとかで頭を隠してる一団で、一昨日、北区に逃げてきている筈なんだ」
破廉恥キョンシー、ミンミンの戯言に付き合わず、恭介は質問した。
シカバネ町において夜中外を出歩く人間や営業する店舗はほとんど無い。
その中で生風俗店は例外で、一種の避難所としても扱われている。
そんな眠らない店で働くキョンシーならば何か情報を持っているかもしれない。
ミンミンは考え込む様に腕組みし、何処とは言わないが、体のパーツが一部プルンと揺れた
「一昨日、北区に逃げてキタって連中の話は聞いてるヨ。どこに逃げてるかまではミンミンは知らないヨ。ごめんね、ドエロイオニイサン」
「そっか。ありがとう。でもその呼び方マジで止めて」
――結局ホムラとココミから冷たい視線を浴びただけか。
肩を落とし、少しして、しょうがないと恭介はミンミンから離れようとした。
その時である。
「あー! 京香の所の恭介くんじゃん!」
聞き覚えはあるが、聞き慣れていない声が背後から届いた。




