② スズメのお宿
*
「きょうか、きょうかきょうかきょうか! 私と言う愛しのフィアンセを放っておいてどこに行っていたの!? さあ、思う存分私を愛でるが良い! 私の体はいつでもきょうかにフルオープンだ!」
「は・な・れ・ろ!」
シカバネ町西区にある葉隠邸の大広間にて、京香はスズメに力強く抱き締められていた。
真っ黒な着物姿のスズメが京香の体温や匂いを堪能する様にその腰辺りへ縋りつく、
スズメの体重は軽いとはいえ、ほぼ全体重で下へと引っ張られた京香の体はずっしりと引き摺られそうである。
――畳に倒れ込んだら何をされるか分からないわね。
ギュッギュッギュ! ギュッギュッギュ! ギュッギュッギュッギュッギュッギュッギュ!
「三々七拍子で抱き着くな!」
「ああ! 何故離れるのだきょうか! 倦怠期か倦怠期なのか!? ああ、愛しのフィアンセはこんなにもお前を愛しているというのに!」
「だ・か・ら! フィアンセじゃないっての!」
「都合の良い女で私は一向に構わないぞ! 幾らでもお金は上げる! さあ、この家に永住しようじゃないか!」
「い・や・よ!」
あ~ん! 何とか立ち上がった京香へ、畳に這いつくばったスズメが手を伸ばした。
ペシッと痛くない程度に手を叩き落とし、その手を握ってスズメの体を京香は起こす。
「おお! きょうかの手は相変わらず気持ち良いなぁ! いつまででも触っていたいくらいだ! ……舐めて良い?」
「デコピンするわよ?」
ペロ。
バチン!
「ぎゃふん!」
げんなりと京香は眉根を揉んだ。毎度のことながら、この寸劇っぽい何かをしなければまともな話ができないのかだろうか。
スズメの手がぎりぎり届かない距離で片膝を付いて座り、彼女と目線の高さを合わせた。
「で、スズメ、わざわざヨダカを使ってまでアタシを呼んだ理由は何? アタシと話したかっただけ?」
「それは七割だな! 残りについては食べながら話そう! 一緒にな!」
パンパン! スズメが二回拍手を打った。すると、大広間のふすまが音も無く開けられ、トコトコトコトコとメイド服の子供もキョンシー達が盆に載せた食事を持って来た。
刺身、ステーキ、フカヒレのスープ、何か黒っぽいキノコ? エトセトラエトセトラ。和洋中折衷、テレビでしか見ない様な料理が配膳されていく。
「……おお」
思わず、京香は声を出した。正直、調理方法すらも見当つかない物が大半であったが、それらが醸し出す匂いは胃を刺激するのに十分過ぎた。
「さあ、召し上がれ! 食べたら私も召し上がれ!」
「はいはい、この料理はありがたくいただくわ。料理だけはね」
「いけず~」
「ふぅ。満足満足。ありがとう。美味しかったわ」
「良かった! きょうかはお疲れの様だったから胃に優しい料理を作ってもらったんだ!」
ポンポンと軽く腹太鼓を打ちながら、京香は満足げに礼を言う。貧乏舌であったが、それでも使われた食材と調理法が全て最高級であることはありありと分かる味だった。
――多分、アタシの給料二か月分はあったわね。
京香がパクパクと口に料理を運んでいる間、スズメはニコニコとその様子を眺め、時に〝あ~ん〟をねだったりするくらいであまり手を付けなかった。
そもそも、この座敷童的な女は小食なのだ。大分回復したとは言え、内臓が致命的に壊れているのだから。
「ふわぁ」
胃が満足すると眠気が主役に踊り出した。
「食後のデザートもある! 食べるか!?」
「んじゃ、それ食べながら話しましょっか。このままじゃ本格的に寝ちゃいそうよ」
「了解!」
パンパン!
運ばれてきたデザートは打って変わってコンビニで買えるようなプリンだった。
「せっかくだ。私も食べる! きょうかが来てくれて調子が良いからな!」
子供メイドキョンシーから受け取ったスプーンを受け取り、京香とスズメはプリンを食べ始めた。
プルンプルン。
「で、スズメ、何でアタシを呼んだの?」
カラメルのほろ苦さを味わいながら京香は本題を切り出し、あむあむとプリンを食べていたスズメが穏やかに笑った。
「ねえ、きょうか、今回の仕事は止めよう。穿頭教を守るなんてきょうかには似合わないよ」
「……そういう話か」
スズメが自分に向ける有り触れんばかりの〝大好き〟を京香は自覚している。それと同時に彼女が自分の過去を思う存分調べ尽くしたことも知っていた。
自分のことが大好きで、その過去を知っている人間が、穿頭教を守ることに成った自分へどんな言葉を吐くだろう。
「素体狩りはきょうかが一番大嫌いで許せない行為だろう? しかも、あの桃島、PSIを使える穿頭教徒が居るってことはきょうかの心を傷つけてしまうぞ? さあ、私と一緒にグダグダとここで過ごそうじゃないか」
ポンポンとスズメが畳を叩く。葉隠邸が京香は好きだった。転がった時のい草の香り、涼しげな風通し。幼い時の様な穏やかな時間がこの屋敷には流れていた。
プリンを更に一口。京香はスズメを真似して微笑んだ。
「大丈夫よスズメ、たった一週間くらいなんだから」
「大丈夫じゃないぞ。良いか、きょうか。愛しのフィアンセの私には良く分かっている。きょうかのメンタルは人より強いわけじゃない。ずっと張り詰めたままだろう? この機会にハカモリなんて止めちゃって私とハネムーンに行こうじゃないか」
スズメがキラキラ眼を輝かせて京香へと提案する。彼女の中ではめくるめくハネムーンの映像が駆け巡っているのだろう。
――外に出れないのにね。
大人の前に出られない葉隠スズメにとってハネムーンなど夢のまた夢だ。だが、この女は自分では絶対に叶えられない物を空想するのが好きなことも京香は知っていた。
「だ・か・ら、フィアンセじゃないって。スズメ、あんたが何を言っても今回の仕事は続けるし、アタシは第六課の主任を止める気は無いわ」
「どうやっても?」
「どうやっても」
「いけずぅ」
プクッとスズメが頬を膨らませ、プリンの残りを一口に食べ終えた。
「心配してくれて嬉しかったわ。ありがとうね」
「……しょうがない。私はできたフィアンセだからな。きょうかの自由意思を尊重するのだ」
やれやれとスズメは首を振って、パンパンと手を叩いた。
子供メイドのキョンシー達が部屋に入ってきて、食事を片付ける。その内の一体の手にはタオルや下着の替えなどのセットがあった。
「一緒にお風呂に入ろう、きょうか。そして、今日はここに泊まってくれ。これくらいのフィアンセの我儘は聞いてくれてもいいだろう?」
「フィアンセじゃないからね? まあ、良いわ。お言葉に甘える。実はさっきから瞼の重さが限界なのよね」
「やった! 洗いっこしよう!」
座ったまま小躍りするスズメに京香は苦笑し、ある事実を思い出した。
「あ、でも着替えが無いわ」
徹夜したのだ。できれば、綺麗な格好で眠りたい。
どうした物かという京香の悩みは一秒と経たずに解決した。
スズメがフフンと鼻を鳴らし、その薄い胸を張る。
「大丈夫! 京香の服は下着からウェディングドレスや白無垢まで全部取り揃えてるから!」
「……え、初耳なんだけど」
「安心してくれ! サイズもオーダーメイドで完璧だから!」
スズメが用意した下着は何から何まで完璧にサイズが合っており、彼女が自慢げに見せたウェディングドレスと白無垢は京香を模したと思われるマネキンに着せられていた。




