① 清金京香の弱み
「……恭介、もう一回言ってみて。アタシが何か聞き間違えたのかもしれないから」
第六課オフィスの一番奥の席。京香はジロリと恭介を睨んでいた。
オフィスには京香と霊幻、そして恭介とホムラとココミしか居なかった。ヤマダとセバスチャンは第二課へのヘルプ、マイケルは海外に学会へ行っているからだ。
「アリシアさんからの依頼です。穿頭教からの脱走犯を僕達第六課で護衛して欲しいそうですよ」
ダン! 京香は無意識に右手で机を叩いていた。指先の毛細血管が破裂し、霜焼けの様な痛みが手の平に広がっていく。
「――」
そんな自分を見る恭介は気まずそうで肩に力が入っていた。
――これじゃパワハラね。
態度を見る限り、彼もこの様な話をしたくないのだろう。
恭介は〝後輩〟で京香は〝先輩〟だった。ならば、態度を考えなければならない。
チラッと京香はオフィスの入口近くを見た。
「ハハハハハハハハハハハ! 京香よ! 早く待機命令を解くのだ! 吾輩は撲滅に行かなければならない!」
バチバチ。僅かに紫電を帯電させながら霊幻がギギギと体をきしませながらこちらを見ている。恭介が話を始める前に霊幻を動かさない様に要求をしたのだ。
「恭介、アタシのキョンシーは犯罪者を撲滅に行きたいらしいわ。アタシもそうよ」
視線を恭介へ戻し、京香はできる限り優しく声を出そうとした。
だが、声はあまりに硬い響きを持ったままだ。これはいけないと思ったけれども、どうしようもなかった。
「……清金先輩、僕個人もあいつらを助ける事には反対です。ただ、第二課からの監督役として言います。この依頼は第六課から第二課への貸しにできます」
「貸し、ね。アリシアがそんな殊勝なことを言うと思えないけどね」
気分を落ち着かせようと天井を仰ぎ、息を吐いた。右手の痛みは僅かな痺れに成っている。
――先輩ならもっと上手くやれるのかなぁ。
無意味でネガティブな考えがシャボン玉の様にプクプクと浮かんだ。
「黙るな京香! 撲滅のために考え続けろ!」
ハハハハハハハハハ! 霊幻の笑い声が部屋に反響する。厳しい言葉だ。このキョンシーは甘えさせてくれない。
考えろ。そうだ、考えなければいけない。第六課の主任なのだから。
京香は視線を前方へ戻し、額を左手で抑えた。
「恭介、そもそもなんでアリシアは穿頭教の奴らを助けてるのよ。善意でそんなことをする女じゃないでしょ?」
「……それを今から話そうとしていました」
「そうなの?」
「はい」
――やっぱりダメダメだなぁ。
「そっかぁ。ごめんね、話してみて」
再度浮上してきそうなネガティブな泡を京香は無視して、恭介へ続きを促した。
「結論から言います。この穿頭教からの逃亡者は、生体のままでPSIに目覚めています」
「………………え?」
頭が真っ白に成った。今の言葉を信じられない。
「ハハハハハ! 恭介、今の言葉は本当か!? 吾輩の相棒以外にPSIに目覚めた人間居ると言うのか!? 何ということだ!」
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
霊幻の声が頭蓋骨の中に響く。
――え? 夢?
そんな戯言を思った。しかし、自分が霊幻の笑い声を聞き間違えるはずが無い。
これは現実で、どこまでも本当のことだった。
生体でPSIに目覚めた人間が自分以外に居る?
しばらく、多分数十秒、息を吸うことを京香は忘れた。
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
体が酸素を求め、それが無意識下から浮上するまで肺に笑い声が響き続ける。
そして、息苦しさを自覚してやっと横隔膜が下がった後、京香は色が抜けた声を出していた。
「恭介、それは、本当なのね?」
「僕はその男がテレキネシスを使う姿を見ました」
*
「ごめん。ちょっと外の空気を吸って来るわ。ここで待っていて」
それだけ言い残して京香は第六課のオフィスを出た。
つかつかとエレベーターへ入り、速やかにキョンシー犯罪対策局実行部のビルから出る。
めっきりと冷えた十二月の空気がまつ毛から降り、鼻の奥をツンとさせた。
ビルの外壁を伝って歩き、ぽつんと人目から外れたスペースにたどり着く。
ここは京香の先輩が偶にサボりに来ていたスペースだった。
「…………ふぅ」
ビルの外壁に背を預け、深くため息を吐いた。
――あ、コートとシャルロット忘れた。
京香はブラウスの上にセーター一枚しか着ていなかった。砂鉄入りのあの重苦しいコートは椅子に掛けたままで、武器の入ったシャルロットも机の上に置いたままだ。
これは失態だった。
今、清金京香という人間はとても無防備だ。攻撃手段も自衛手段もほとんど持ち合わせていない。仮にキョンシーに襲われたら抵抗もできず死んでしまう可能性すらある。
背中を外壁から離そうかと思い、やっぱり良いやと思って体から力を抜いた。
ずるずると腰を地べたに下ろし、京香は膝を抱える。
その肩は小さく、旋毛からは染め切れていない白髪が見えていた。
「……PSIに目覚めた、生体」
それは世界において清金京香だけが今まで発現していた特異性だ。理由は京香にも分からない。だが、自分と言う人間のアイデンティティにこの特異性は深く関わっていた。
昔、京香が母と父と、そして家族と暮らしていた幼い時、まだ髪が黒髪であった頃、京香は母にこんなことを言われた。
『京香、あなたのPSIは愛の力なの。私とお父さんの、他のキョンシー達の目一杯の愛があなたへその力を与えたのよ』
意味が良く分からなかった。だけれど、母があんまりに幸せそうに微笑むものだから、京香は自分がPSIを使えることが嬉しくてしょうがなかった。
確かにPSIを使えることによって京香は世界にあらゆる機関から狙われる立場にある。それについて面倒だと思った回数は数知れない。
しかし、それと同時に家族からの愛が自分へ唯一無二の力を与えたという事実はある種の拠り所に成っていた。
恭介が持って来た情報はそんな京香の唯一性を揺らがせる物だ。
穿頭教ではなく、例えば、恭介やヤマダやマイケルや、そんな人間がPSIを発現したのならここまでダメージを受けなかっただろう。
愛の奇跡が彼ら彼女らに与えられるのなら、納得はできた。
だが、穿頭教という、最も忌み嫌う素体狩りを行う大組織の人間がこの奇跡を手に入れたという情報を京香は受け入れたくなかったのだ。
しかも、その穿頭教の信者を護衛しろと言われてしまった。
恭介の言う通り、第六課がこの依頼を断る理由は無い。アリシアが動いているのだから断れる理由も消されているだろう。
京香の脳裏に〝先輩〟の姿が過る。あの人ならばどうするだろうか。今の自分の様に部屋から逃げる事はしなかったに違いない。
「あの女は、本当に卑怯ね」
京香はぼやく。今回の依頼と情報、持って来るのはアリシア・ヒルベスタでも良かった。そちらの方が正確だし、より綿密なやり取りができただろう。
だが、あの褐色の美女は恭介を仲介に置いた。その理由は単純だった。
「……〝後輩〟を使ってくるかぁ」
当初の想像以上に木下恭介は清金京香の弱みに成った。
それを自覚していたけれど、自重することは難しかった。
ギュッと膝を抱える力を京香は強くする。
頭の中では未だドロドロとした感情が渦巻いて、思考なんて冷静に出来なかったが、それでも京香はどの様に動くかを決めなければいけなかった。
「アタシは、第六課の主任なんだから」
できることは限られて、選択肢はほとんど無い。
ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。
霊幻の笑い声が耳の奥で残響する。その中で京香は考え続けた。
そして、寒さに体が耐え切れなくなった頃、京香はゆっくりと立ち上がった。




