6)
「お疲れ様」
4時限目の授業を終えて戻ってきた図書準備室で、机に突っ伏して沈没している元宮君に、そう言って麦茶を渡す。
「どうだった?初授業は」
「……とっても、勉強になりました」
礼を言いながら受け取ったグラスを一気に空けた彼が、大きなため息とともに、そう言った。
「そうか。それは良かった」
今の気持ちが手に取るようにわかるだけに、つい笑ってしまう。
「授業って、受けてる時は長いと感じてましたけど、いざ教師の立場になってみると、短いですよねぇ……」
「あぁ、うん。確かに。……元宮君の場合、少し詰め込みすぎた感じだったな。欲張りすぎて、時間がなくなったから、後半はひどく急ぎ足だったし。全体的に通してみて、結局何を一番に伝えたかったのか、つかみにくかった」
「……はい。猛反省中です」
元宮君が、小さくなって神妙にうなずく。
「でも、やり方は悪くなかったと思うよ。黒板の書き方も見やすかったし、時折笑いが混じるあたり、生徒達も馴染んでいたんじゃないか?」
「え!本当ですか?」
ぱぁっと元宮君の顔が輝く。
あぁ、かわいいなぁ〜……。
「うん。今日はこの後、もう一つ授業があるだろう?さっきの方法は変えずに、反省点をふまえたものを期待しているからな?」
「はい!がんばります!」
はは。いい返事。
元宮君が、目をキラキラと輝かせながら、やる気いっぱいに立ち上がる。それと同時に、図書準備室の戸が軽いノックと同時に開けられて、弁当を持った麻由が姿を現した。
「やっほ〜」
さっさと入ってきた麻由が、私と元宮君を見比べて、小首を傾げる。
「あ、各務先生、お疲れ様です。……じゃ、先生。俺、飯食ってきますね。午後の授業のことも考えないと」
「あんまり難しいこと考えながら食べると、消化に悪いぞ?」
「はは、気を付けます。じゃ、行ってきまっす!」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃ〜い」
元宮君が軽やかな足取りで準備室を出て行くのを笑顔で見送っていた麻由が、戸が閉まった途端、クルッと振り返った。
「……あやしい」
「あ?」
麻由が妙なニヤニヤ笑いをしながら近づいてきて、いつものソファへ腰掛ける。
そして、隣へ腰掛けた私へ、ズイッと顔を近づけてきた。
「なに、なぁに〜?もしかして、付き合い始めちゃったわけ?」
はぁ!?
「なんでそうなる!?」
「え〜?だって、昨日はちょっとよそよそしかったのに、今日はやけに親しげだもん」
「べ、別に、普通だろう?」
さっきのやりとりを思い出して、首をひねる。
いつもと同じだと思うけれど……?
「え〜、絶対違う。なんて言うの?2人の距離がググッと縮まったような?ほら、元宮君だって、いつもは“僕”って言ってるのに、暁に対して“俺”って言ってたしさ。付き合ってるんじゃないなら、なぁんか、あったでしょ?」
「…………」
……なんでこんなに鋭いんだ?
答えずにいたら、ズズズッと更に麻由の顔が近づく。
「わぁ!麻由!近い!」
キスしそうなくらいに近づかれて、慌ててそのかわいい顔を両手で挟んで、ベリッと遠ざけた。
「やんっ、ひどぉい」
「なにが、ひどいんだ。もう少しで当たりそうなところだったぞ」
「あたし、暁とだったら……きゃっ」
そう言って両手で頬を押さえる麻由。
「……阿呆。バカやってると、茶、入れてやらないからな」
「え!うそうそ、ごめんなさぁい!」
まったく。そっちの趣味がなくても、あんなかわいい顔を近づけられたら抱きしめたく…………やばい。このままじゃ変態になるな、私。
「ねぇ、それで?それで?一体何があったのよ?」
麻由が小さなかわいい弁当を広げながら、期待に目を輝かせて私を見つめる。
私は、しぶしぶながらも、元宮君が転がり込んできたことを話した。
「それって、それって〜!ど・う・せ・い、っていうやつじゃな〜い!」
「違う!ど・う・きょ、だ。しかも期間限定のな」
きゃあ〜とか言いながら、例によって他人事を楽しんでいる麻由に、訂正しておく。
同棲だと、なんだか恋人同士みたいじゃないか……。
「ま、どっちでもいいけど。……でも、よくオッケーしたわね?あれだけ他人を家に入れるのを嫌がる人が」
麻由がニヤニヤニヤ〜と、かわいい顔台無しの笑みを浮かべる。
「べ、別に。困っている元宮君を放ってはおけないし、部屋も余っているわけだし……。なにより、元宮君は既に私の家に一度、その……泊まって、いろいろと見られてしまっていたわけだし……」
私のあの少女趣味な部屋だって、彼は見ているのだから、今さら隠すものもないというか……。
モゴモゴと言った私に、ピンと来るものを感じたのか、麻由がにまぁっと笑う。
「そっか。そうよねぇ。元宮君って、あの部屋を見ても引かなかったもんねぇ〜?」
「う……あ……。い、いや、でも、引いたかもしれないぞ?鼻で笑われたし……」
確かに、元宮君は私の部屋へ足を踏み入れたことを話した時に、フッって笑ったんだ。それを思い出すと、胸が痛むけれど……。
「でも、その後も暁のこと、好きって言ってくれてるもんね?」
「…………うん」
顔が、カァッと熱くなる。
過去に何人かと付き合ったことがあるけれど、その誰とも、私は長続きしなかった。
その原因が、あの部屋、というか、私のかわいいもの好きな性格で……。
外見や言葉遣いが男らしい私は、性格もそうだと思われがちだった。
そして、相手が勘違いしたまま付き合って、でも、自分のことを知って欲しくて、あの部屋を見せると……思いっきり引かれるのだ。
『暁には、似合わない』
面と向かってそう言われたことすら、ある。
けれど、元宮君は、あの部屋を見て、しかもその部屋で一緒に寝て、それでも私を好きだと言ってくれた。
そのことが、本当はとてもうれしかった。
今朝、『好きになって下さいね』と笑った彼の顔を思い出して、顔が更に熱くなる。
「い、一緒に暮らしてみれば、お互いに内面がわかってくるだろう?だから、私のことをもっと知っても、それでももし好きでいてくれたら……すごく、うれしい、というか。や、あのっ、それなら、私も元宮君のことを知りたいなって……」
「よしよし。わかったってば。……んもぉ〜、暁、かわいいっ!」
おそらく顔を真っ赤にしている私の頭を撫でた麻由が、ガバッと抱きついてきた。
「ちょ、麻由!?」
「いいから、いいから。……あたし、うれしいんだもん。暁、初めて会った頃にはもう、恋に臆病になってるみたいで、そういう色恋沙汰を避けてたじゃない?それが、少しでも興味を持てる人が現れたんだもん。これが喜ばずにいられますかっての!」
麻由が私を離して、ニコニコと笑う。
確かに、もう、自分をまるごと愛してくれる相手なんて、いないと思っていたから……。
「でも、元宮君が本当はあの部屋のこととか、どう思ってるか聞いてないし、一目ぼれだったってことは、こんな私だけど、外見とかから入ったわけだから、もし、年上の大人の女、みたいなのを彼が求めているのなら……私は、違うし。やっぱり幻滅されるんじゃないかな?そうなったら……」
怖い……。
恋をすること、その楽しさを知っている。だからこそ、その後に待ち受けるものが、怖い。
それを考えると、どうしても臆病になる。踏み込めなくなる。
「だ〜いじょうぶ!」
麻由がどぉんと胸を叩いてみせる。
任せておけ、と。
「もし、元宮君が暁を泣かせるような事したらぁ……」
「?」
「……思い知らせてやるから」
ニヤッ……。
「…………」
……あぁ、絶対にこいつだけは敵に回さないように気をつけよう。