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5)

 翌朝。


 ガシャゴトーンという派手な音で目が覚めた。


 時計を見ればAM6:00。起きる時間にはまだ30分もある。


「なんだ?今の音……」


 ぼぉっとした寝起きの頭で、昨夜から元宮君がうちにいることを思い出す。


 ……と、いうことは?


 慌てて部屋から飛び出すと、音の元凶がキッチンでうずくまっていた。


「何事……?」


 カウンターから見下ろした私の声に、パジャマ代わりのTシャツを着た元宮君が、驚いたように立ち上がった。


「あっ!お、おはようございます……」


「あ〜、うん。……おはよう」


 ……なんだか、照れくさい。


 同じように感じたのか、顔を赤くした元宮君と挨拶を交わしつつ、彼の足元を見ると、そこにはスパイスの入った小瓶がたくさん散らばっていた。どうやらスパイス立てごと床へ落としてしまったらしい。


「すみません、起こしてしまって……。あの、先生が寝てる間に、朝食でも用意できたらと思ったんですけど……」


 あぁ……。それで、調味料を取ろうとして、落とした、と。


 申し訳なさそうに頭をかく元宮君に、軽く首を振る。


「そんなこと……」


 気にしなくてもいいのに、と続けようとした言葉が、ある物に目を奪われて、止まった。


 フライパンの中で、黄身の潰れた目玉焼きが……煮えている?


「……ええと、元宮君。これは何だろう?」


「え?ベーコンエッグ、かな……?」


 スパイスを拾い上げた元宮君が、私の指差すものを見て答える。


 ベーコンエッグ……。


 ベーコンエッグが、なんでお湯の中で煮えているんだ?


「……ベーコンエッグというのは、焼くものじゃなかったかな?」


「えっと……。確か、水を入れるといいとかってどこかで聞いた気がしたんで、やってみたんですけど」


 ……ああ、なるほど。


「入れても入れなくてもいいけど、入れるなら、少しでいいんだけどね」


 見る限り、コップ1杯近く入っていそうだ。


「え!?あ……そうだったんですか。どおりで、おかしいなぁと……」


 恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めた元宮君に、堪えきれずにクスクスと笑ってしまった。


 そのまま、キッチンへ入ってフライパンの火を止める。


「すみません……。それ、どうしましょう?」


 元宮君の指差すフライパンから、いったん卵たちを救出して、フライパンのお湯を捨てる。


「ん?せっかく元宮君が作ってくれたんだ。食べるよ」


「えぇ!?でも……」


 お湯を捨てたフライパンに油を引いて、もう一度ベーコンエッグを戻す。まぁ、卵だし、食べられないことはないはずだ。


 何よりも、朝食を用意しようとしてくれたその気持ちが嬉しいし……。


「元宮君が料理下手だったとは、意外だな。なんでも器用にこなしそうだと思っていたから。まさか、ベーコンエッグが作れないなんて……」


 学校にいても、彼が不器用なところを見せることはなかったから、その意外な発見が少し楽しかった。


 昨日の夜は、彼が部屋を整えて荷物を片付けたりしている間に、私が作ったし。


「そんなに嬉しそうに言わなくても……。俺、そんなに器用な人間じゃないですよ。料理もダメだし、掃除も苦手。割とズボラな方だと思います」


 冷蔵庫からレタスときゅうり、キャベツにトマトを取り出して、そのうちレタスを彼に渡す。


「これをきれいに洗って、適当に手でちぎってそこの器に盛って。それくらいはできるだろう?」


「はぁい」


「……でも、料理ができないとなると、普段はどうしていたんだ?」


「もっぱら学食とコンビニ弁当と定食屋。あとはカップ麺とか……」


 レタスを洗っている元宮君の横で、キャベツを刻んでいく。


 その手元を、元宮君が『おお〜』と言いながら見つめていた。


 そういえば、昼は学食で高校生に混ざって食べていたんだったな。


「そんな生活をしていたら体を壊すぞ?お金だってバカにならないだろうし」


「まぁ、確かに。わかってはいるんですけどね、こればっかりは……」


 その答えに、きゅうりを切り始めた手を止めて、う〜ん、と考える。


「せっかくだしな……。私でよければ、ここにいる間に、少し教えてあげようか?」


 幸いに、料理は好きだし。


 その提案に、元宮君がレタスを盛り付ける手を止めて、目を輝かせた。


「いいんですか!?」


「うん。まぁ、基本的なことぐらいしか教えてあげられないとは思うけど、それでよければ……」


「ぜひ!」


 やった!と小さくガッツポーズをする元宮君をかわいいと思いつつ、きゅうりを刻む。


 そうか。これからしばらく毎日この顔を寝起きに拝めるのか。


 ……悪くないかも。





 トーストにサラダ、昨夜作ったスープとウインナー、そしてベーコンエッグらしきもの。


 それらを昨日と同じ場所で向き合って食べる。


 昨日は気まずくて仕方なかった朝食も、今日は不思議と穏やかな気持ちで食べられた。


「今日から授業だな。緊張する?」


 教育実習生は、初めの数日間を教師の授業を見たり手伝ったりして過ごし、その後初めて自分だけで授業を行う。元宮君は、今日がその授業デビューだった。


 ウッと詰まった元宮君に、軽く睨まれる。


「あ〜、もう……。言わないでくださいよ。それじゃなくても緊張してるのに……」


「はは。ごめん。今日は、うちと麻由のクラスだったよな?」


「はい」


 うなずいたその瞳は、緊張半分、やる気半分で輝いている。


 なんだか、懐かしいなぁ。自分の教育実習を思い出す。


 私も、こんな顔をしていただろうか?


「指導案は、あれでいくんだろう?」


 今日の授業の進め方を書いた学習指導案を、昨日、元宮君から見せてもらっていた。


「はい。……でも、先生、何にも言ってくれなかったし」


 元宮君のジトッと睨んだ顔に、小さく笑う。


 確かに見せてもらったけれども、あえて、何もコメントしなかったのだ。


「明日からの分は、きちんと言わせてもらうよ。“初めて”は一度しかないし、今日学ぶことはとても多いと思うから……。私が、ここはこうした方がいいと言うのは簡単だけれど、それじゃあ元宮君のためにならないんじゃないかと思うんだ。元宮君が必死に考えて作ったなら、後でしまったなと思うことがあった時に、すぐに身につくだろうし」


「はい」


 私の言葉に、素直にうなずく元宮君がかわいい。


「大丈夫。十中八九、指導案どおりに進まないから」


「……そんな太鼓判いりません」


 元宮君が、ガックリとうなだれたのを見て、クスクスと笑ってしまう。


 ……楽しいな。


 元宮君が作ってくれたベーコンエッグは、ベーコンの味もなくなっていたし、おいしいとは言いにくいけれど、目の前に座った彼との他愛のない会話が楽しくて、こういうのもいいな、とか思ってしまう。


「……なんかいいですね、こういうの」


「え?」


 自分の心を読まれたのかと思って驚いて顔を上げると、元宮君が柔らかく笑っていた。


 その笑顔がなんだかとても大人っぽく見えて、急にドキリとさせられてしまう。


「俺、高3の時に親が死んでから、ずっと一人だったから……。こういう風に楽しい気持ちで誰かと一緒に朝飯食べることなかったし。先生の顔見てたら、なんか、いいなぁって」


「で、でも、彼女とかいただろう?元宮君はモテそうだし……」


 同じことを考えていたということが気恥ずかしくて、ごまかすようにサラダを口に運ぶ。


「そういう存在がいなかったわけじゃなかったけど、こんな風に朝飯食うことってなかったし、あんまり長続きもしなかったっていうか……。それに、俺、モテませんし」


「またまた。元宮君がモテないわけないじゃないか」


 こんなにかわいいのに!


「モテませんって。なにを根拠に……。むしろ、自分よりかわいい男なんてイヤ、とか言われて、振られちゃったりするくらいですよ?」


 元宮君がそう言って肩をすくめる。


 えぇ〜?そんなものなのかなぁ……?


 改めて目の前の元宮君をジィッと見つめてみる。


 うん。やっぱり、元宮君は超絶にかわいい。まつげはファサっと音がしそうなほど長いし、その下の目はくりくりだし。


 でも、だからこそ……。


「私なら、元宮君みたいなかわいい彼氏なら、『いいだろ〜、かわいいだろ〜、私のなんだぞ〜』って、自慢したくなるけどなぁ……?」


 こんなにかわいいのに。私なら絶対そうするのに。


 そう思って首を傾げたら、元宮君が一瞬キョトンとして、それから、何を思ったか突然吹き出すと、声を上げて笑い始めた。


「?」


 そんなに変なことを言ったかな……?


「先生」


 ようやく笑いをおさめた元宮君が、心底嬉しそうに笑みを浮かべる。


「うん?」


「大好きです!」


 なんの脈絡もない唐突な言葉に、思わず手にした皿を落とすところだった。


 慌てて皿を支えて元宮君を見れば、一人でうなずきながら、ニコニコと微笑んでいる。


「な、なんだぁ?」


「俺、やっぱり先生がいいです。先生が好きです。どんどん好きになる」


「や、あの……」


 ちょ、ちょっと、待て!


 あまりに好きを連呼されて、顔が、カァッと熱くなる。


「先生。短い間とはいえ、せっかく一緒に暮らすんだし……」


「はい?」


「俺のこと、好きになって下さいね」


 ニコッと笑った小悪魔に、今度こそ私は皿を落とした。


 あぁ〜、お気に入りの皿だったのに……。



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