4)
とりあえず、びしょ濡れの元宮君を放っておくわけにもいかず、急いで私の部屋へ連れて上がり、昨日同様シャワーを使わせた。
一体、何事なんだ……?
彼が抱きかかえるようにしていた大きなスポーツバッグは、あまり濡れていなかったけれど、中に何が入っているのか、パンパンに膨らんでいて、かなり重そうだった。少なくとも、一泊分の荷物というわけではなさそうだ。
とりあえず、元宮君がシャワーから出てくるタイミングを見計らって、暖かいロイヤルミルクティーを作っておく。
タオルを首にひっかけたまま出てきた彼を、ダイニングテーブルの、昨日と同じ場所に座らせて、それを渡した。
「おいしい……。ありがとうございます」
元宮君が微笑んだのを見て、私も反対側に腰を下ろす。
「寒くないか?大分濡れてしまったようだけど……」
彼の着ていたスーツは、雨を含んでジットリと重かったため、マンションの隣にあるクリーニング屋へさっき出してきた。スーツがあれだけ濡れれば、元宮君もかなり寒かったはずだ。
「はい、大丈夫です。突然押しかけた上に、クリーニングまで出してもらって……。すみません」
メガネを外して、Tシャツとジーンズへ着替えた元宮君は、スーツを着ている時より、やっぱり若く見える。でも、この格好の方が、彼にはよく似合っていると思った。
頭を下げる元宮君に、首を振る。
「それはかまわないけれど……」
突然押しかけられたことよりも、さっきの元宮君の言葉が気にかかっていた。
『泊めて下さい』 とかなんとか、言われた気が……。
「……一体、何があったんだ?」
そう聞くと、元宮君は、本当に困ったように眉根を寄せて、前髪をかきあげた。
「実は……。俺の住んでるアパートで今日の昼間、火事があったらしくて……」
か、火事!?
「えぇ!?それは大変じゃないか!」
「はい……。でも、発見が早かったので、実際に燃えたのは、一階の火元になった部屋の半分と、その上の部屋が少しだけ、でしたけど。誰も怪我とかしなかったみたいだし」
それは、まぁ、不幸中の幸いというやつか……。
人が亡くなるような大火事ではなかったということに、少しホッとする。
「俺、ケータイの電源切ってたんで、何度か連絡が入ってたみたいですけど、知らなくて。帰ってみて、びっくりして……」
そりゃあ、驚くだろう。朝と景色が変わっていたわけだから……。
学校内で、携帯電話はマナーモードにしておくのが決まりだ。でも、元宮君は、気が散るからと、電源を切っていたらしい。
「俺の部屋は、2階の燃えた部屋の隣なんですけど、幸いにも、少し煤がついてたのと、多少水かぶってたのとくらいで、大きな被害はなかったんです。ただ、そこで寝るのは難しいなってくらいにはひどくて……。大家さんも、もう古いアパートで、近々建て替えようと思ってたからって、近いうちに出ていって欲しいって言うし……」
「それは、ひどい話だな」
火事という災難にあった住人にその態度はいかがなものかと、大家の態度に思わず眉をひそめてしまう。
「まぁ、大家さんの気持ちもわからなくはないですけどね。あそこは本当に古くて、家賃も破格の安さだったから、うちの学生で金のない奴が3人ほど暮らしていただけですし。俺らが全員卒業したら取り壊しが決まっていたのも本当だし、補修するよりは、建て替えた方が早いようなボロアパートなんで……」
元宮君が、そう言って苦笑する。
よっぽど古いアパートらしい。
「まぁ、そういうわけで、幸いに衣類の入っている押入れなんかは無事だったんで、必要なものだけとりあえずバッグに詰めて、俺は今夜からの寝床を探さないといけなくなったんですけど……」
元宮君がそこで言葉を切って、こっちを見つめる。
その目が、泊めてくれと訴えていて、頭を抱えたくなった。
「……なぜ、私なんだ?友達とか、他にいるだろう?」
「親しい友人は、教師目指してる奴がほとんどで、皆、実習のために実家へ帰ってしまってるんです。かといって、井上とかの実習仲間は地元組なんで、親のところから通ってるから頼みにくいし……」
確かに……確かに、そうかもしれないけれども!
「次の部屋がみつかるまで、とりあえずホテルに泊まるとか……」
「俺、この教育実習をしっかりとやりたいんです!だから、実習の間に部屋を探しに行くとか、そういう時間がもったいないし、そんな時間があったらたくさん指導案を作って、先生に見てもらいたいし。そうなると、実習中ずっとホテルなんて泊まってたら、金も……」
元宮君がそこで口ごもった。
「そうは言ってもなぁ…………」
確かに、このマンションの部屋は、一人で住むには広い3LDKで、本来なら私の給料では払うのが難しい程のマンションだし、部屋も、もちろん余っている。
だから、元宮君の気持ちはわかる。わかるけれども……。
恋人でもない男を、しかも自分のことを好きだと言っている男を、一緒に住まわせていいものか……?
「先生!俺、お金、ホテルに泊まれるほどはないけど、でも、自分の分はきちんと払います!足りないようだったら、後でバイトでも何でもしてきちんと払いますから、だから、お願いします!それに……先生を襲ったりしません!誓いますっ!」
選手が宣誓をするように手を上げた元宮君は、真剣そのものだ。
……宣誓の内容は、どうかと思うけれども。
「ご両親には連絡したのか?このことは」
いくら遠くに住んでいるとしても、子供が火事で焼け出されたと知れば、駆けつけてくるのが親というものだろう。そして、親が来れば、部屋を探してもらうことだってできるだろうし、見つかるまで、一緒にホテルに泊まることも……。22歳とはいえ、まだ学生だ。それくらいの甘えは許されるはず。
そう思ったから、何気に口に出した言葉だったけれど、それに対して元宮君の表情が急に曇った。
「……親は、いません。俺が高3の時に事故で死にました。他にも家族はいません」
しまった……!
「あ……ごめん!つらい事を聞いてしまった」
知らなかったとはいえ、嫌なことを思い出させてしまった。
慌てて謝ったら、元宮君が軽く首を振って、ニコッと笑う。
「いえ……。気にしないで下さい。まぁ、そういうわけなので、俺が頼れるところって限られてて。友人以外でって考えると……」
元宮君は、そう言って困ったようにチラッと私へ視線を投げかけてくる。
う……。
「でも、だからってな……」
やっぱり短い期間とはいえ、男女が2人で暮らすのは……。
「どうしてもダメですか?俺のこと、信用、してもらえませんか……?」
こっちを覗き込む元宮君の姿は、とても不安げで頼りなげで……。
……や、やばい。かわいい。
「いや、そんなことはないけれど、ただ、なんというか……」
ダメだ。あの顔を見たらダメだ。
「無理を言ってるのはわかってます。俺の中に、これを機会に先生ともっと近付けたらっていう気持ちがあるのも確かです。そういうの、先生には、迷惑かもしれませんけど……」
だんだん小さくなっていく声に、慌てて首を振った。
「べ、別に、迷惑なわけじゃ……!」
気持ちはうれしいと思ってるし!
元宮君の顔が、パァッと輝いた。
「本当ですか!?」
「う、うん」
「じゃあ、お世話になっても!?」
「えぇ!?それとこれとは……」
「ダメ、ですか……?」
「う……」
そ、その顔は反則……!
「どうしても?」
ああっ、そんな捨てられた子犬のような顔をするなよ……!
「ダメ、ですか……」
しゅんっとうなだれた元宮君の姿に、とうとう、ぐったりと脱力した。
あぁ、もう…………完敗。
「……実習が終わるまでだぞ?」
気づいた時には、口が動いていた。
「ぃやったぁ!!」
こうして、私たちの期間限定共同生活が、始まった。
……だって、あんなかわいい顔をされて、ダメって言えるわけないじゃないか(泣)