3)
「へぇ。元宮ゆっきーってば、結構やるじゃない」
月曜日、昨日起こった出来事の顛末を、昼のランチタイムに麻由に白状させられた。
そして、その感想がこれ。ゆっきーって……。
「お前な、他人事だと思って……」
弁当派の私達は、普段、私が過ごしている図書準備室で一緒にそれを食べていた。
決して広くはない部屋だけれど、元宮君が学食に行っている今、私達以外誰もいないから、何の気兼ねもなく話ができるのがありがたい。
「だって、他人事だもん」
麻由が、手だけで食後の紅茶を催促しながら、ニッコリと笑って言う。
「なんて、友達甲斐のない……」
ため息をつきながら立ち上がって、小さな流し台の横にある棚に手を伸ばす。そこには、私が趣味で用意しているコーヒーやら紅茶やらが並べてある。
麻由がここへ弁当を食べにやってくる目的の一つがこれ。
「ん〜、おいし!やっぱり暁のお茶は最高ね」
「それはどうも」
麻由の褒め言葉に適当に返事を返せば、ジトッと恨みがましい視線が返ってきた。
「あきちんってば、怒ってるのね?あたしがちゃんと連れて帰ってあげなかったから」
「………………そんなわけないだろう?子供じゃあるまいし」
自分がしでかした事は、自分で責任を取らなければと思うし。
例え、麻由がいたから安心して酔っ払ってしまったとか、連れて帰ってくれていたら今回のことは起こらなかったとか思っても、それで麻由に怒ったら、ただの八つ当たりだ。
だから、怒ってはいない。
……少々、恨んではいるけれど。
「今、間があったけど?やっぱり、怒ってるんじゃない。……んもう、悪かったって思ってるのよ?」
「わかってる。別に、麻由のせいじゃない。麻由が、城ケ崎さんのこと、今が正念場だって言っていたのも知っているし」
城ケ崎さんというのが、カラオケに麻由を迎えに来たという青年実業家だ。麻由が狙っている玉の輿の相手。
しかし、その名前に、麻由は嫌そうな顔をして手をヒラヒラと振って見せた。
「あの人とは別れたんだ」
「はぁ!?いつ?」
「暁が元宮君を持ち帰った日」
「…………」
そういう言い方はやめて欲しい……。
「なんでまた?顔良し頭良しで、その上金持ちだって、麻由にしては珍しく本命に近かっただろう?」
驚いて聞けば、麻由の頬がプゥッと膨れた。25歳だというのにそんな仕草が様になるんだから、すごい。
「その言い方って、あたしが男を条件でしか選んでないみたいじゃない」
「違うのか?」
「……違わないけどぉ」
ボソッと肯定した麻由に、思わず笑ってしまう。
麻由は本当にかわいい。女からは羨ましがられ、男からはモテすぎてしまうほどに。
でも、その容姿とは裏腹に、結構言うこともきついし、性格もサバサバしているところがあるから、それが原因で恋人に振られるという経験が何度かあったらしく……。
私が出会った時は、すでに特定の彼氏を作らなくなっていた。
まぁ、その代わり、適当に男をあしらって、さらに、適当に貢がせているけれども。
そんな麻由が、珍しく本命にまでしてもいいかなと思った相手、それが城ケ崎さんだった。
……条件でしか選んでないなんて、冗談に決まっている。
麻由は、口ではそんなことを言っていても、相手に愛情がなければ恋人にはならない。
なれない、と私は思っている。
「……なにか、あったのか?」
紹介されて、一度だけ、その城ヶ崎さんに会ったけれども、さわやか好青年という印象がぴったりはまる感じで、麻由を見る優しい目に嘘はないように思えたし、とても悪い人には思えなかったけれど……?
「う〜ん、なんていうか、独占欲強くって、うざくなってたし。あんまりにも頭にくること言うからさ、キレちゃって……」
「キレた?麻由が?……珍しい」
特定の彼氏を作らず、しかも男達から色々貢がれている麻由が、彼らから恨まれず、修羅場を迎えることもないのは、彼女がそうならないように細心の注意を払っているからだ。
そういうところはかなり徹底している麻由が、城ケ崎さんにキレた?
らしくない。けれど、らしくいられなかったからこそ……。
「大丈夫か?」
「……ぜんっぜん、平気!」
そう言った麻由の瞳が、一瞬揺れたのがわかった。
「そうか」
精一杯強がっている彼女に苦笑する。
「あたしのことはいいの。もう終わったんだから……。ね?」
これ以上聞かないで欲しいと言われているようで、曖昧にうなずく。
もう少し時間が経てば、何かしてあげられるだろうか……?
「それよりも、暁は、自分のこと考えなきゃ。元宮君のこと、どうするの?」
「どうって聞かれても……」
困ってしまう。
彼の気持ちは、ありがたいと思うけれども……。
「だめなの?彼じゃ」
「だめ、というわけじゃ……」
「じゃあ、好き?」
「好きか嫌いかと言われればそれは、好きだと……」
「それなら、付き合っちゃえば?」
「う〜ん……」
「できないなら振っちゃえば?」
「う〜…………」
「ああ、もうっ!じれったいわねぇ、暁は」
「……ごめん」
思わず謝ると、麻由が呆れたように、盛大なため息をつく。
「まったく。元宮君も大変ね、これが相手じゃ」
うぅ……。
本当に。一体、彼は私のどこが良かったというんだろうか?
小さくため息をついた私を見た麻由が、突然、驚くことを言う。
「でもさぁ、実はあたし、元宮君が暁を好きなんだってこと、気づいてたんだよね」
「えぇ!?」
なんでだ?当の私はまったく気付かなかったのに!
「鈍い暁には、わからなかっただろうけど」
「…………」
ひどい。
「元宮君さぁ、しょっちゅう暁のこと目で追ってたもん。暁に笑いかけられると、本当に嬉しそうにするし、ああ、惚れてるんだなぁって」
……し、知らなかった。
ショックを受けている私を無視して、麻由が、小悪魔的な笑みを浮かべる。
なんか、嫌な予感。
「そ・れ・で。カラオケの後、結局二人で帰ることになったじゃない?もしかしたら、こういうこともあるかもって、実は思ったりしたんだけどぉ。…………あたし、元宮君ならいいかなぁって」
「おい……」
「だってぇ、元宮君、本気で暁のこと好きみたいだし。顔はかわいいけど、中身はしっかりしてそうだから、反対に、外見の割りに中身は鈍くて、ぼけた暁には合うかもしれないって思って。ほら、暁にしたって元宮君の容姿はストライクゾーンでしょ?もしかしたら、かなりはまるんじゃないかな〜ってね」
「こら……」
「でも、一応、忠告だけはしてあげたのよ?気をつけてねって。……まぁ、暁のあ〜んなかわいい顔みたら、理性なんてあっという間に飛んでくとは思ったけど」
そこまで言って、麻由がイッシッシと笑う。
こ、こいつはぁ!
「まぁ〜ゆぅ〜!!お前、私の気持ちは無視かっ!」
「あら、いけなかった?」
ぬるくなった紅茶を飲みつつ、しれっと微笑む麻由に、ガックリと体の力が抜ける。
……私、本当にこんなのが親友でいいのか?
そんなことを考えていたら、麻由が急にまじめな顔になって、こっちを向く。
「でもね、暁。あたし、確かにこうなること予想はしたけど、元宮君を自分の家に上げたのも、成り行きとはいえあの部屋へ入れたのも、暁なんだからね?めったに人を家に入れない暁が、酔っていたとはいえ、元宮君を自分から入れたんだからね?そこのところ、わかってる?」
……そう言われれば、確かにそうだけど。
あの家は、私にとって特別な思い入れのあるものだから、基本的に、自分の信頼した人しか入れない。
自分の部屋に関しては、もっとだ。
だから、麻由の言いたいことはわかる。
私が、根本で元宮君に心を許しているんじゃないか、と。
「……でも、かなり酔っていたんだぞ?」
「そうだけど。なんとなく、暁にとってそこは大事だと思うの。うまく言えないけど。ん〜……麻由さまの、勘!」
なんだか、とても説得力のある勘だな……。
「それに、あたし、暁と元宮君って、結構お似合いだと思うし」
「そ、そうかな?」
「うん。飼い主とペット、みたいな?」
………………。
本当に、友達やめようかなぁ。
結局、その日の午後も、元宮君は普段どおりのまじめな実習生で、なんの問題もなく一日が終わった。
梅雨入り宣言が出され、それに合わせたように降り始めた、しとしと雨の中。心身ともに異様に疲れた体を引きずるように買い物を済ませて、自宅マンションまで帰る。
昨日あんなことがあったのに、今日の元宮君の様子はあまりにも自然で、なんだか少し腹が立ってしまった。こっちは、内心の動揺を悟られないように必死で、おかげでいらぬ疲労まで増えた気がするというのに……。
はぁ〜とため息をつきながら、キュインと軽い音がして開いた自動ドアをくぐって、いつものように暗証番号を打ち込もうと機械へ近づいた時、後ろの自動ドアが再び開いた音がして、何気に振り返った。
そして、そこに立っていた人物の姿に、驚く。
「……元宮君!?」
学校で別れた時と同じスーツを着て、大きなスポーツバッグを抱えた元宮君が、いた。
しかも、びしょ濡れで。
「先生……」
心底困ったようにこっちを見つめる元宮君に、慌てて近寄る。
「ど、どうしたんだ、一体!」
上から下までびしょ濡れじゃないか……。
鞄からハンカチを取り出そうとしたら、その手をすがるように掴まれた。
「先生!俺を……泊めて下さい!!」
「えぇ!?」
……まだ、一日は終わっていないらしかった。