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15)

 どうしよう……。


「暁さぁん!そろそろ出かけようよ〜!」


 リビングからは幸紀君の呼ぶ声が聞こえる。


 出かけようと言っていた時間が過ぎ始めていることには気づいていた。


 準備もできているのだけど。


 ……どうしても鏡の前から動けない。


「暁さん?」


 コンコンッと戸の叩かれる音が聞こえて、ようやく、ノロノロと鏡の前から移動した。


 一つ息を吐き出して、ゆっくりと戸を開ける。


「…………」


 ちょうど目の前にいた幸紀君が、一歩下がった。


 そして、出てきた私の格好を見て、驚いたように目を丸くしたまま、固まる。


「や、やっぱり、変、かな?変、だよな、うん。私も変だと思うんだ。……き、着替えなおしてくるっ!」


 クルッと回れ右して、再び戸を開けようと手を伸ばすと、その手がパシッと幸紀君に掴まれてしまった。そのままグイッと戸の前から引っ張られる。


「スカートだ……。暁さんが、スカート穿いてる」


 幸紀君が、しみじみと人の足元を見ながら言う。


 ……もう、だから嫌だと言ったじゃないか!麻由の阿呆!


 私は、普段からパンツスーツを愛用していて、スカートを穿くことなんてほとんどないし、枚数だって持っていない。だから、当然今日だっていつものようにスカートなんて穿くつもりはなかった。


 それなのに、昨日麻由に今日のことを相談したら、『絶対、スカート!』と強く言われて、しかも、もし穿かなかったことがバレたら、何されるかわからないから、仕方なく……。


 さんざん悩んで、膝丈のスカートに、七分袖のシャツ、あとは首元にチョーカーを巻いただけのシンプルな形にはしたけれども……。


 大体、スカートは好きだけど、似合わないし、かわいい格好でこの話し方だと更に浮くから、苦手なのに。


「やっぱり着替えて……」


「いいっ!」


「へ?」


 激しく後悔している私をさえぎって、幸紀君が私の手をギュッと握る。


「すっごくかわいい、暁さん!あ〜、もう、絶対そんな格好してくれないと思ってたから、不意打ちだよ!」


「……変、じゃない?」


「ぜんっぜん!それどころか……。うわ〜、もう、どうしよう!すっごいくうれしいんだけど!……ねぇ、暁さん?このかわいい格好、俺のためってうぬぼれてもいい?」


 カァッと顔に血が上る。


 そ、そうか、幸紀君のため?そう、なるのかな……?そういえば、昔の恋人の前でもスカートなんて穿いたことなかったな……。


 幸紀君はといえば、白が基調の長袖シャツに細身のブラックジーンズだ。


 シャツの間から見える、シルバーのクロスに男を感じさせられて、思わず目を逸らしてしまう。


「じゃ、行こっか」


 笑顔でそう言った幸紀君に手をつながれたまま、“幸紀君誕生日デート”が、始まった。





 幸紀君の運転する私の愛車で(誕生日のお祝いだから私が運転するというのに、断られた)連れてこられたのは、水族館だった。


「来たことある?」


 幸紀君の問いに首を振る。


 数年前にできてからずっと来てみたいとは思っていたものの、なかなか来る機会がなかった。


 土曜日ということと、梅雨の晴れ間も重なって、家族連れにカップルにと、結構賑わっている。


 入り口付近が混雑していて、人ごみに押されそうになる度に幸紀君が助けてくれた。


「暁さんは、ここでちょっと待ってて」


「え?」


 入り口に入ったところで、幸紀君はそう言ってつないでいた手を離すと、私をひとり残して、さらに人が固まっているところへとスタスタと行ってしまう。


 いきなり一人にさせられて、近くの柱へもたれかかったまま、所在無げに待っていると、しばらくして幸紀君が入館券を2枚手にして戻ってきた。


「はい、どうぞ」


「え!?なんで?私が払うよ。幸紀君の誕生日なのに……」


 手渡された券に慌てて財布を取り出そうとしたら、その手を止められる。


「いいから!デートは男が払うもんなの!」


「でも、今日は……」


「ダ・メ!これ、俺のポリシーだから。暁さんには今日、それに従ってもらうからね」


 もらうからねって……。


 私にだってお祝いさせて欲しいんだけど。初めからそのつもりだったし。


「でもな、幸紀君……」


「俺の誕生日を祝ってくれるつもりなら、思いっきり楽しんで?俺はそれが何よりうれしいから、ね?」


 むぅ……。


 そんなことを言われたら何も言えなくなるじゃないか。


「……じゃあ、夕飯は私がごちそうするからな。これは私も譲らないからな!」


「そんな力んで言わなくても……。わかった。じゃあ、手作りがいいな」


「うん!がんばって腕を振るう」


 交渉が成立したところで、お互いになんだかおかしくなって顔を見合わせて笑った。


 朝から感じていた緊張も、一気にとけた気がする。


「じゃ、行きますか」


 そう言って差し出された手を、ためらいなく握り締めた。




 この水族館で一番気に入ったのは、クラゲの水槽が大きかったことだ。


 他の水族館でもクラゲにはつい見入ってしまうのだけど、ここの水族館にはたくさんの種類のクラゲがいて、思わず水槽に張り付いてしまった。


「クラゲっていいよね……」


「うん。あの、ふわふわしているのを見ると、癒されるよな……」


 大きくてゆらゆらと揺れているものや、小さくて一生懸命ぷかぷかしているもの、そんなクラゲたちを見ていると飽きなくて。


 結局、二人そろって気に入ってしまって、ゆうに10分以上、クラゲの水槽の前から動けなかった。


 そして、クラゲ達に名残を惜しんでから、レストランで軽い昼食をとって、水族館の目玉であるアシカショーやイルカショーも見て、その迫力とかわいさにさらに大満足した。


「楽しかった?水族館」


「うん!すっごく!……あ」


 満たされた気持ちで出口に向かう途中、出口付近に用意されているおみやげ物屋さんで目に付いた物に、思わず足を止めてしまった。


 あぁっ、か、かわいいっ……!


 手の平に乗るサイズの、真っ白なクラゲのぬいぐるみが置いてあった。イルカやアザラシのぬいぐるみなど、定番のぬいぐるみの横に置いてあるそれに、思わず手を伸ばしそうになって、幸紀君がいたことに気づいて、慌てて手を引っ込める。


「どうかした?」


 不思議そうな顔で首を傾げる幸紀君に、小さく首を振る。


「なんでもない。……えぇと、ちょっと、化粧直しに行ってくる」


「ん。ここで待ってるから」


 幸紀君がおみやげ物屋さんに入っていくのを見てから、手洗いへと足を向けた。


「馬鹿だ、私……」


 つぶやいたら、涙が出そうになった……。






「あれ?ここ……」


 水族館を出て、次はどこへ連れて行かれるんだろうと外の景色を見ていたら、だんだんと見覚えのある街並みに変わってきていることに気づく。


「幸紀君、もしかして……?」


 私の問いに幸紀君はニコッと笑っただけで答えず、適当な駐車場へ車を入れると私を促して車を降りた。


 しばらく黙って歩くと、小さい頃に祖父とよく来た公園に辿り着く。


「野花の公園……」


「うん。どうしても暁さんと一緒に来たくて」


 ジャングルジムとブランコ、あとは砂場があるだけの小さな公園には、日暮れ間近ということもあって、一組の親子連れがいるだけだった。


 そして、その親子連れも、私達がベンチに腰掛けると同時に公園を去っていき、私と幸紀君だけが残された。


「懐かしいな……」


「ここに来るの、久しぶり?」


「うん。ずいぶん来ていないな、そういえば。高校までは家も近いし、たまに散歩したけど……。家を出てあそこで暮らし始めてからは、小さくだけど見えるし、あまり足を伸ばすことはなかったし……」


 近くの街並みは少し変わってしまったけれど、この公園は私が子供の頃からほとんど変わっていない。多少遊具が新しくなったり、逆に錆びてしまっていたりするぐらいで……。


 すごく懐かしい……。


「そっか。……“月光花”はここから生まれたんだよね」


「うん。祖父と艶子さんもここで、このベンチで出会ったんだ」


 きっと祖父達が出会った頃のベンチではないだろうけど、それでも愛しくなって、私はベンチをひと撫でした。


 私がブランコで遊んでいようが、砂場で他の子と喧嘩していようが、祖父はいつもこのベンチで、隣にまるで誰かがいるかのように一人分空けて腰掛けていた。


 そしてあの日。


 ずっと待ち続けたその人が、その場所へ、祖父がいつも空けていたその場所へ腰を下ろしていたんだ……。



 ずっと、二人のような恋がしたいと思っていた。


 あんな風に、柔らかく、暖かい恋を。


 かけがえのない、たった一人の人と……。


 つないでいた手がふいにキュッと握られて、隣に座る幸紀君を見れば、目が合った瞬間にフワッと優しく笑いかけてくれる。


 ……どうか、彼がその人でありますように。


 祈りを込めて、目を閉じたら。


 暖かいキスが降りてきた。



次が最終話です。

もう少し、お付き合い下さいませ。

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