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12)

「不公平だ……」


 職員会議の後、麻由と並んで歩く廊下の窓から見えた光景に、思わず足を止めてつぶやいた。


「なにが?」


 一緒に立ち止まってグラウンドを見た麻由が聞き返す。


 グラウンドでは野球部やサッカー部が、クラブ活動に汗を流している。


 その中で、生徒達に混ざってサッカーの紅白戦に出場している幸紀君が見えた。


「ゆ……元宮君も寝不足なはずなのに、なんであんなに元気なんだ?」


 おかしいじゃないか。


 同じ寝不足なのに、片や既に疲労感を体中に抱え、片やグラウンドを駆け回っている。


 しかも、幸紀君の方が寝ていないはずなのに。


「そりゃあ、まぁ?年の差?」


「…………」


 さらっと痛いところをついてくれる友人だ。


 うれしすぎて涙が出そう……。


「それより、ここにはあたししかいないし、幸紀君でもいいのよぉ?あ・き・ら・さん」


 人が言い間違えそうになったのをすかさず拾って、麻由がニヤニヤと笑う。


 この野郎……。


 例によって例のごとく、昼休みに白状させられて麻由には全部知られてしまっているのだ。


「それにしても、元気だなぁ……」


 開いていた窓からベランダへ出ると、グラウンドの様子が更によくわかる。広いコートを右へ左へと走り回る幸紀君の姿に、つい口が笑みを作ってしまう。


「あ、また一人かわした!シュート!あ〜、惜しいっ!……へぇ〜、元宮君って結構うまいんだね」


 麻由がボールを蹴って走る幸紀君の姿に、少し驚いたように言う。


「高校生の時、エースストライカーだったらしいぞ。冗談めかして言っていたから、本当かどうかわからなかったけど……。どうやら本当だったらしいな」


 幸紀君のボールさばきにサッカー部員がついていけなくて悔しがっているのがわかる。


 ご両親に反抗していたときも、サッカーだけは顔を出していたらしいから、すごく好きなんだろう。


 楽しそうだし……。


「なぁに?惚れ直し中なわけ?ニヤニヤしちゃって……」


「は!?わ、私は別に……」


 人の顔を覗き込んで、とんでもないことを言う麻由に思わず顔が熱くなりながらも、首を振る。


 惚れ直すも何も、惚れてなんて……。


 惚れて、なんて……。


「そ?ものすごぉく、恋する女の顔、してたけど?」


「ちがっ……!」


「違わないでしょ」


 言い返そうとしたのを遮った麻由が、いつになく真剣な顔で、こっちを見つめる。


「……そんなにさ、自分の気持ちを押さえ込むようなことしないで、ぶつかってみたら?」


「…………」


 ……言わなかったのに、どうして麻由にはわかってしまうんだろう?


 やっぱり、どこか私達が似ているから?


 麻由の優しい視線に、私は、あきらめて小さくため息を吐き出した。


 ベランダの手すりに額をコツンと乗せると、銀色のひんやりと冷たい感触が頭を冷やしてくれる気がする。


「……どんどん、惹かれていくんだ。笑いかけられる度に、名前を呼ばれる度に、かわいいと言われる度に、どんどん、どんどん……どうしようもなく、惹かれていくのがわかって……」


 手をつながれて、抱きしめられて、キス、されて。


 嫌いじゃない相手からそんなことをされれば、ドキドキするのは当たり前だ。


 ……でも、それだけじゃなかった。

 

『もっと』


 そう叫ぶ自分がいた。


 うれしくて、もっと彼の愛が欲しくなって……。


「でもっ!怖いんだ……!また自分を否定されてしまうんじゃないかって考えると、怖くて……。惹かれていけばいくほど、どんどん、どんどん、怖くなって……」


 幸紀君がうちに来てから3日。


 あの日以来、彼が私の部屋へ入ったことはない。


 もちろん、人の部屋へむやみに入れないというのも、あるだろう。でも、それだけじゃない気がして……。


 ……あの部屋を、避けている気がする。


『ちょっと……』


 今朝、そう言った幸紀君の顔がちらつく。


 目を泳がせた彼の様子は、どこかおかしかった。


 本当は、聞いてみたかった。その先を……。


 でも。


 ……もう嫌なんだ、あんな気持ちを経験するのは。


『お前には似合わない』


『こんなのお前じゃない』


 そう言われて、突き放されるのは……もう……。


 それが、怖くて……。


「うん……。わかるよ、その気持ち……」


 うつむいていた顔を上げれば、麻由の悲しそうな顔があった。


 あぁ、きっと今の私も同じような顔をしているんだろうな……。


「でも……。でもね?元宮君は、あと2日で実習が終われば、出て行っちゃうんだよ?」


「…………」


「もし、それっきりで会えなくなっても、いいの?後悔しない?」


 麻由の問いに、心の奥がズキンッと重く痛む。


 実習が終われば、彼は出て行く。実習の間だけ、そう言ったのは私だ。


 期間限定の共同生活。そんな当たり前のことを、わかっていたはずなのに、いつの間にか考えないようにしていた自分がいた。


 考えないようにしても、時は過ぎていくのに。


 幸紀君の隣は心地良くて……。


「後悔なんて……」


 するに決まっている……。


「あっ!」


 ボソッと、小さくつぶやいた私の横で、グラウンドを見ていた麻由が叫んだ。


 その声につられるように視線を移すと……。


「あ……」


 ゴール近くで部員をかわした幸紀君の蹴ったボールが、ゴールキーパーの伸ばした手スレスレに、まるで吸い込まれるように、きれいにゴールの網を揺らした。


 う、わぁ〜……。


「すごい!すごかったね、今の!」


 麻由の興奮気味の声に、ただコクコクとうなずくしかできない。


 幸紀君と同チームの部員たちが、興奮気味に次々と彼に集まっては手を叩きあっていく。


 ピーッと笛の音が聞こえて、ちょうど前半戦が終わったらしく、わらわらと校舎側の監督席へ部員が集まり始めた。


「お〜いっ!」


 麻由が、何を思ったかそのサッカー部の方へ声を張り上げて、ブンブンと手を振る。


「ちょっ、おい、麻由!?」


 サッカー部のみならず、たくさんの視線がこっちへ集まったのに気づいて、慌てて横の麻由を叩くけれども、当の本人はまったく気にした様子がない。


「あ!麻由ちゃん先生!」


「麻由ちゃん先生だ〜!」


 そんな声と男子学生のどよめきが聞こえて、あちこちで手を振り返すのが見えた。


 さすが、アイドル教師……。


 それにしても、クラブ活動を邪魔したら、顧問の先生から文句が…………って、一緒に手を振るな、西崎先生(サッカー部顧問、38歳、妻子持ち)!


「元宮せんせぇ〜っ、すごかったねぇ〜っ、さっきの〜!」


 麻由が、幸紀君へとびきりの笑みを浮かべて言う。


 あぁっ、そんなことを言ったら……。


 ほら、かわいそうに、幸紀君が殺気のこもった目で部員から見られているじゃないか……。いや、だから西崎先生……あなたはいいでしょう、あなたは!


「ありがとうございまぁすっ!カッコよかったでしょう〜っ?」


 部員と顧問の視線に苦笑しつつ、茶化して返してきた幸紀君に、チラッとこっちを見た麻由が、ニンマリと笑う。


 ……嫌な予感。


「うん!よかったよぉ〜!ねぇ?筑茂先生!」


 やっぱり。


 こいつは……。私にも、言え、と?


 ばっちり幸紀君達にも聞こえるように同意を求められているだけに、返事をしないわけにいかない。


 冷静に、いつものように……。


「……すごかった!格好よかったぞ!」


 そう、私が叫んだ瞬間、幸紀君の顔が、笑みにくずれた。


 ……うれしい気持ちを抑えきれない、そんな顔だった。


「あ……う……」


「みんなもっ、元宮先生に負けるな〜っ!応援してるから、がんばってね〜っ!」


 麻由がすかさず部員達の注目を集めてくれたおかげで、幸紀君のその顔は他の人には気づかれなかったようだけど、こっちは……。


 おお〜っという激しいどよめき(雄叫び?)とともに士気の上がった部員達に手を振った麻由が、人の火照る顔を覗き込んでニンマリと笑った。


「……愛されちゃってるね?」


「…………」


 ……信じてもいいんだろうか?彼の気持ちを。


「がんばれ、暁」


 麻由の優しい声に、小さくうなずいた。






 ……人がせっかく決心したというのに。


 料理をしている時も、ごはんを食べている時も、どのタイミングで切りだすのが自然だろうかと一人悶々と悩んでいた。


 それで結局、風呂につかりながらようやく覚悟を決めて、不安な気持ちを押し込んで出てきたら……。


 幸紀君は、リビングのソファでぐったりと眠りこけていた。


「……幸紀君」


 名前を呼んでみたけれど、一瞬眉根が寄せられただけで、また深い眠りへと落ちていく。


 まぁ、寝不足のうえにあれだけ激しい運動をしてきたら、疲れていて当然か……。


「風邪を引くぞ?」


 いつも面倒くさがってドライヤーを使わない彼の髪が、少し湿って額に張り付いている。


 起こすのはかわいそうだけど、このままでは風邪を引いてしまう。


 私には幸紀君をお姫様抱っこなんて、できないだろうしな……。


「起きろ、幸紀君」


「ん……」


 少し揺さぶってみたけれど、まったく起きる気配がない。


 ……仕方ない。しばらく寝かせておこう。


 幸紀君が使っている部屋へお邪魔して、掛け布団を持ってくると、それを彼の体にかける。ついでに額に張り付いた髪を掬い上げると、あどけない寝顔がかわいくて、小さく笑ってしまった。



「なんで……」


 いつの間に、こんなに愛しくなってしまったんだろう……?


 祖父と艶子さんの思い出がたくさん残るこの部屋で、誰か他の人と暮らすことになるなんて、考えたこともなかった。


 いや、考えられなかったんだ。


 ……なのに。


 ずいぶんと古くなった思い出のソファの上で、すぅすぅと気持ち良さそうな寝息をたてる幸紀君の姿が、まったく嫌じゃなくて。


 あまりに自然で……。




「……好き」


 好き、なんだ。


 小さくつぶやいたら、気持ちが溢れてきて、涙がにじんだ。


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