超人クラブへようこそ その2
そんなこんなで学校に慣れ、入学してからほぼ一か月が経過したある日。
国語の担当していた教師が突然変わった。なんの前触れもなく唐突に。
それまで全く教科書もノートも使わない授業だった。
それなのに皆、当たり前のように本を開き、当たり前のようにノートを執って当たり前のように手をあげ教師に質問している。
しかも、内容はどう考えても前回の授業の続きだ。
配られたプリントも教科書の開いたページも前の授業を知らないと理解できない内容だった。
俺は狼狽した。
……なんで菊留先生じゃないんだ。あの授業好きだったのに。
もしかして学校辞めさせられたのか?
先生だけがひたすら朗読するという変な授業だったから?
それにしたって変だ。なんでオレの知らない授業の続きなんだ。
誰だよ、あれ、なぜ、皆あの国語教師を知ってるんだ?
同級生には事の真偽を確かめるのが怖くて何も聞けなかった。
そしてクラブ活動に毎日誘ってくれていた角田先輩が、その日を境にぱったりと来なくなった。
俺はその理由をずいぶん後になって知ることになるのだが、この時は変だとは思わなかった。
初夏の日差しが眩しい六月
忙しい時間帯はとっくに過ぎた午後のファミレス、客はまばらだった。
禁煙席の隅に陣取って本を読んでいた俺は懐かしい声が店内に響いたのを聞き本から顔をあげた。
「じゃあ、禁煙席で、あそこがいいなぁ」
奥の席を指さしながらレストランの入り口で接客を受けている年若い長身の男性がいる。
ビジネスバックを持ち仕事がひと段落した後の休憩といった風情だ。
俺はつかつかと歩み寄り男性の背広の裾をつかんだ。
「?」
男性はおどろいて一歩後ろに下がった。
「どうしたんだい、君」
何か言おうとしたが言葉がでてこない。
『ヤバい…俺はこんなにもコミュ症だったっけ…』
自分の態度に驚きながらも、その場に立ち尽し沈黙してしまった。
「取り合えず座ろう、ここでは他のお客様に迷惑だ」
力なく頷く。
「君の席は?そこに移動しようか」
促されて移動し、さし向かいに座った。
「あっ……あの、菊留先生ですよね、俺、一年三組高森要です。覚えておいででしょう?」
「…先生?あの……それは一体どういう意味かな?」
相手は眼鏡の奥の瞳を不思議そうに瞬いた。
「先生は私立開成南校の教師でしょう?」
「……君、誰かと間違えてるんじゃないのかい?私は、教員免許なんか持ってないんだが」
「そんな……」俺は絶句した。
「でも、でも、名前は、菊留義之さんでしょう」
「その通りだけどね……」
菊留氏は持っていたカバンから名刺を取り出し丁寧に机の上においた。
『丸締銀行 融資課 菊留義之』
「ごらんのとおり、私は社会に出てから融資課一筋で、学校で教えたこともない。」
もう完敗するしかなかった、
教職免許がなければ当然、教壇に立つことはできない。
だが、しかし、俺の記憶の中で彼は国語教師で俺は彼の授業を受講したことになっている。
その記憶を全面否定された俺は、現実とのギャップに苦しみながらもなおも食い下がった。
「じゃあ、親戚とか兄弟で教師になった人はいませんか、双子のお兄さんとか……」
「残念ながらそれもない…」
「あっ、すみません。ドリンクバー一つ」
菊留氏はテーブルのそばを通りがかったウエイトレスを捕まえて注文した。
「かしこまりました。前の方にご用意しておりますのでご自由にお取りください。」
ウエイトレスの説明に頷くとドリンクを取りに席を立ち、コーヒーを入れて戻ってきた。
コーヒーには何も入っていない。ブラックだった。
そのコーヒーを口に運びながら言葉をつなぐ。
「厳密には親戚に教鞭をとる人間はいるよ。皆、女性だけどね」
「そうですか……」
「俺、たまに自分の記憶が人の記憶と食い違うことがあるんです。]
「そういう事はままあることなんじゃないかな、私もたまにあるよ」
意外な答えに少しショックだった。
そんなことはないと否定して欲しかった。
「それじゃ、誤解が解けたってことでいいかな。悪いね。休憩は終わり、そろそろ仕事に戻らないと」
菊留氏はそういうと立ち上がって軽く会釈し机の上にあった伝票を手にレジへと並んだ。
残された俺は本当にパニック状態だった。
何もかもが新しい新学期、初めて受けた国語の授業
180センチの長身ひょろりとした体つきに銀縁眼鏡をかけたその教師は、黒板に大きな文字で菊留義之と書いて軽いノリの自己紹介をした後、皆にノートと教科書をしまうように言って一冊の本を朗読し始めた。
最初は興味のもてない本だと思っていたが、絶妙な語り口のせいかどんどん話の内容に引き込まれていき、授業が終わるころには誰一人として無駄口をたたく生徒はいなくなっていた。
私語のない教室に先生の声だけが響く
国語の授業はそれが続いた。最初は奇異に感じた。
黒板はおろか、教科書もノートもない授業なんて初めてだったし
朗読している本の解説も生徒への質問も一切ないなんて、おおいに変だった。
変だとは思ったが高校生になったからこんな授業もありなのかと自分を納得させた。
しかしひと月がたった頃、その授業は唐突に終わりを告げた。
突然国語の先生が変わり菊留先生は学校からいなくなった。
菊留という苗字も初めて聞く珍しい名前。
先生が読んで途中やめになった本の内容が気になって図書館でその本を探しまわって借りたから。
だから、余計に覚えていた。
それから先生が居なくなってからひと月たつ。
開校記念日で珍しく平日が休みになった俺は、余所行きジャージ上下を着こんで買ったばかりの新書を携えファミレスでドリンクバーを頼み、二時間粘って本を読んでいると件の教師が入ってきて懐かしくて声をかけたら先ほどのセリフ。
俺はしばらくの間、茫然自失になった。
俺の記憶はなんなんだ?誰かにいじられたのか。
俺自身の脳内書き換え?ただ単に記憶違い?
「たーかもり、高森君ってば、どうしちゃたの?さっきから呼んでるのに返事しないなんて」
「えっ?え?俺を呼んでた?」
「うん、さっきからずぅーっと」
時計を見ると菊留氏と会ってから、ゆうに30分ほど経過している。
この間に店に入ってきた同じ学校の女生徒が俺がいるのを見て声をかけてきたらしい。
正面に座りほおずえをついて覗き込むお下げの少女に気が付かないほど相当にぼんやりしていた。
何度目かの呼びかけで俺は声の主をようやく理解した。
「ああっ、己は水田まりこ!」
「フルネームで呼ぶなというに!水田さんとよびなされ!!水田さんと」
ああっ、そうだった。こいつはフルネームで近所の悪がきにいじられてたんだっけ?
「はなず」っていう苗字だったらぴったりだったのにとかなんとか……。
本人はそんな名字の人とは結婚しないと公言してたっけ
でも、そんな名字のやついるのか?素直に疑問がわく。
水田まりこと俺はこの店の常連だ。
向こうは勉強のため、俺は読書の為にこの店を使っていた。
でも、こうゆうのはお店の人には、はなはだ迷惑なんだろうと理解している。
「高森君なんか変だよ。顔が…あっ、もとからか」
軽口をたたく水田に冗談で返す余裕は俺にはなかった。
「お前こそ変だよ。休みの日まで制服とか……それで?なんか用」
超絶不機嫌な顔で聞き返す、。
「べーつーに、読書中おじゃましたわね。すごくうかない顔してたから、気になって聞いてみただけ。
ああ、私、あっちで勉強するから、」
水田もまずいことを言ったと思ったらしく慌てたように隣のボックスを指さして席をはなれようとする。
俺は相当に冴えない顔をしていたらしい。
当たり前と言えば当たり前。
俺が持っている記憶が事実とは違うという指摘を受けて尚且つ、
目の前に証拠を提示されたのだ。ブルーになるのも仕方なかった。
目を落としたテーブルの上に数冊の本とグラス、菊留氏のおいていったコーヒーカップと名刺がある。
俺はその名刺をじっと見つめて意を決して水田に言った。
「……水田ぁー、お前さぁ、覚えてないかな」
「ん、何がぁ?」振り返って答える水田。
「……きくとめっていう教師いたよな?」
「えっ?きくとめ?そんな教師いたっけ?」
「国語の、あの、ほらっ授業中ずうーっと朗読してた先生」
「……朗読?声に出して読み上げることだよね。
……本を朗読する先生?そんな先生いなかったよ。
国語の先生は逢坂先生でしょ、高森君、頭だいじょうぶ?」
あーっ、やっぱりか……
俺はテーブルに突っ伏した。ショックだった。
自分の記憶を誰かに肯定してもらいたかった。
記憶が正しいことを証明して欲しかった。
それなのに……同級生にまで否定されるなんて
ちっくしょう!
俺の記憶は妄想だとでも言うのか?
「……頭大丈夫なんていわないでくれ、今一番俺自身が、俺の頭の心配してる……」
いらだち紛れにテーブルを叩き大きなため息をついた。
もう、なんだか泣きそうだった。