絶対に真似してはいけない異世界物語
もし、目の前の空間が渦を巻いて歪み、周りの景色と全く異なる景色がその空間から覗いた時貴方はどうするのだろうか?
その光景を例えるならば、一面花畑の写真の中、写真の一部分だけが雑なコラ画像の様に海原の景色となっているかの様な拭い難い不整合。
日課にしている深夜のロードワークの最中、偶然立ち寄った神社の一角に木漏れ日が差す山林の光景を僕は見つけた。
深夜の神社なので辺りは真っ暗、なのにその一角だけが不自然に明るく、そして木々の幹だけが覗き見る事が出来る。
それは、不思議と非日常が僕に向かって手招きしている様だった。
人生において負け組とはどういう人間を指しているのだろうか。
負け組の定義を言い出すとそれこそ人の数だけ意見が出てくるだろう。
富、名誉、愛。
考えるまでも無く、この三つは出てくる。
生活の充実も一つだろう。
好きな事をして生活している、これも勝ち組に入れるんじゃないだろうか。
では僕自身がどちらかと問われたならば、僕は負け組だと即答するだろう。
僕、佐藤修司は26歳にもなって一度も恋人を作れていない、地元から飛び出した先の大学で友人を作れなかった、底辺の社会人として貧困に喘いでいる。
ね、負け組でしょう。
勿論、世の中には僕よりも辛い境遇にある人は一杯居る事も理解しているけれど、結局の所ソレは僕が自分を負け組だと思う事に何の影響も与えない。
「君も辛いんだね。僕も辛いよ。」
この一言こそ僕の答えだ。
僕の傷を抉ってみようか。
今はSNSで昔の友人の近況を嫌でも知る事が出来る。
アカウントの一言に「結婚」の文字があれば家庭を持った事を知る事が出来る。
プロフィール写真が赤ちゃんの写真なら子供が産まれたんだと知る事が出来る。
時折アップされる旅行の写真に充実した生活を送っているんだと知る事が出来る。
それらを見て、僕はもう嫉妬の感情すら沸いてこないのだ。
「何で自分はこうなんだろう」
狭い賃貸アパートの一室で携帯電話の画面を開き、昔の友人の近況知る度に自分が情けなくなる。
「かえりたい」
何時からか呟く様になった自分の口癖は何に向けたものだろうか。
地元にかえりたいのだろうか。それとも幼い頃にかえりたいのだろうか。
自分でも何に向けた言葉なのか分からなくなってしまった。
時間だけは無情に、平等に過ぎていく。
数年前と同じ生活をしているのに少しずつ出てくるお腹を鏡で見る度に自分の老いを感じる。
誕生日から半年後、25歳は四捨五入すると30歳だと気づいた事は、僕の25歳の一年の中で最大の驚きだったと覚えている。
鬱屈した僕の精神状態を述べよと言われたら幾らでも挙げる事が出来る。
「今、何をしている時が楽しい?」
こう聞かれて僕は何も返せない。
二十歳を過ぎた辺りから楽しいと言う気持ちが分からなくなった。
仕事に楽しいも辛いも感じない。
休日に楽しいも辛いも感じない。
そんな僕を負け組では無いと言える人がどれくらい居るだろうか。
両親は健在だ。小学校からの親友だって居る。地元には今も付き合いがある友人達がいる。
だけど彼らを天秤に掛けてでも、僕はこの世界で生きる事が嫌なのだ。全てを無かった事にしたい。逃げ出してしまいたいのだ。
十二月の真夜中の寒空の下、その出来の悪いコラ画像の様な空間に恐る恐る手を伸ばしたら、思ったとおり空間の境界より先は初夏の様な暖かい空気を感じる事が出来た。
僕は、躊躇う事なく空間の境界に飛び込んだ。
その先が地球ではなく異世界である事を願って。
携帯小説を読む事は僕の趣味だ。
特に異世界物ばかり読んでいたのは、やはり僕の逃避願望の現われだろう。
だからこそ異世界転移と言う物に対する心構えと言う物はそこらの異世界物主人公より有るつもりだ。
メタ視点と言えるだろう。
例えば異世界物の多くは基本的に唐突な転移による物が多い。
知らない天井を見上げるのは最早王道と言える。転生トラックなんて物も流行ったし、最近では神様転生なんて言葉も出来た。
更に言うと、異世界物の大半が地球に帰る事が出来ない。
そして地球への帰還方法を探す事が最終目的である物もよく見る。
だけど稀にだが自由に地球に帰る事が出来る物語も存在する。
魔法を使って自由に帰る者もいれば、神様にそういう力を貰う者もいる。
では僕の場合はどうなのかと振り向いてみたら、木漏れ日が差し込む山林の中、2m四方の真っ黒の四角形が見える。
薄っすらと神社の鳥居が見える点から僕が入ってきた場所で間違いないだろう。
恐らく帰還自由型。つまり地球文明チート物の可能性が高い。
現実を創作物と混同し過ぎるのも良くは無いが、空間移動だか世界間移動だかをしているこの現状に、リアリストも何も無いだろう。
何時までもこの空間の穴が開いているかは分から無い。
現実?的に考えるといきなり穴が閉じてしまう可能性もある。
だがここは、帰還自由型と信じる事にしよう。
と言う事で最重要項目の確認作業にうつるとする。
すなわち「身体能力」だ。
異世界物には転移した後に「物理法則もあったもんじゃねぇな」と言わんばかりに強くなる事がある。
「重力小さい説」「隠された力説」「地球では意味の無い魔力云々説」等が挙げられるし、一番分かりやすい所で言うと「神様パワー」だろう。
中には最初からチートだったというパターンも有るけれど、残念ながら僕は平々凡々の日本人でしかない。古武術どころか、体育でしか柔道に触れていない。
剣道も空手もボクシングもやった事は無い。
喧嘩は十一歳の時が最後だ。神様にも会っていない。
つまり最初にあげた三パターンに期待するしかない。
これで身体能力の強化が無ければ、魔物なんかが存在する世界なら一日どころか今居る山林を抜けるまでに「魔物と遭遇→その後僕の姿を見た者は居ない」と言う展開も十分に有りえてしまう。
と言う事で身体能力の確認は急務だ。
とりあえず一番近くにある木に向かい足を痛めないように加減しながらヤクザキックを当ててみる。
この山林に生えている木はまるで杉の様な、僕の胴回りと同じ位の太さのスベスベした木々が生えているのだけれど、その丈夫そうな見た目に反して僕が蹴りを入れた幹が大きく砕け、木自体が撓り始めた。
太い幹は目に見える程前後に揺れ続け、十秒もしない内に直立状態に戻った。
足型の粉砕痕のみが僕の身体能力の証明であるのだけれど…。
…どっちだ?
見た目を裏切って柿の様な脆い木ならば、足型に砕けるのも撓るのも有り得ない訳ではない。
少し悩んでから軽くジャンプしてみた。
3mは飛んだ。
なるほど、強化有りか。
異世界物において身体能力の強化がされている場合、そう簡単に命の危機に脅かされることはない。
例えばゴブリンと言うファンタジー御用達の雑魚敵や狼の様な獣も大抵ワンパンで勝利する。中にはかなり強力な敵を倒す場合だってある。
ジャンプの後に色々試して見た結果、僕の身体能力はかなりの強化を受けているようだった。
異世界物なら下級竜を素手で倒せるとか言われるレベルじゃないだろうか。
つまり最強物の可能性が高い。
いいね最強物。好きだよ。
自分は努力が嫌いなんだろうな、と自己嫌悪出来るのが最大の難点だけど。
気を取り直そう。
恐らく戦闘面の心配は無いだろう。
強化された身体能力なら山を下る事も容易い筈だ。
今後の展開に希望が見えてきたのでそろそろ行動に移すとしよう。
僕は回れ右をして、地球に繋がる空間の穴へ歩を向けた。
異世界物としてズッコケル展開ではあるけれど、戦闘面では大丈夫でも、もっと身近な危険性もあるからね。
例えば水や食糧はその最たる物だろう。
湧き水、と言う単語は綺麗な印象を受けるけど実際には病原菌や寄生虫のリスクが高い。
異世界に来て湧き水を飲んで下痢が止まらなくなり衰弱死だとか、エキノコックスみたいな寄生虫に感染するなんかしたら目も当てられない。
と言う事で僕は再度境界を越える。
明日の日中に用意を終え、晩にはこの世界に戻ってこよう。
この異世界への穴が残って居る事を祈りつつ、僕は地球へ戻った。
異世界?への穴を見つけた翌日の晩。
僕は三度境界を越えた。
景色は変わらず山林からだ。
人里のある方向どころか、東西南北も分からない。とりあえずお約束的な感じに則る様に境界を背に真っ直ぐ進むことにした。
お約束といえば、異世界物で山や森を歩いている時に盗賊やモンスターに襲われている女性に遭遇する可能性が非常に高い気がする。
そして助けた女性はそのまま第一ヒロインとなる可能性も高い。
美人だと相場が決まっていて、しかも心優しい女性が多い。更に好意を持たれる可能性も低くは無い。
うん、いいねヒロイン。
僕なんかに隔意なく接してくれる子だと良いなぁ。
「ギィギィギィ!!!」
山林をしばらく歩き続けた僕の目の前に急に現れたのは可愛い女の子ではなく、猿?だった。
体毛が真っ黒で、猿の外見をより魔物的にした感じの、可愛さのかけらも無い化け物だ。
ボトボトと口から落ちる涎から察するに、僕に隔意無く接してくれる子だろう(食物的な意味で)。
どうやら女の子とのフラグは存在しないまま第一戦闘となるようだ。
まぁ、そのパターンも少なくないけどね。少し残念だ。
猿?が明らかな殺意と食欲を滾らせて僕に突撃してくる。
それを見ながら溜息をつきたい気持ちと、少しの不安と緊張を押し殺し、僕は地球から持ってきた両手の武器を構えた。
魔物との遭遇なんて覚悟済みだよ。
ところで人間が素手で勝てる動物はどこまでだろうか。
昔中型犬が限界と言う話を聞いた事があったけど、警察犬の訓練で犯人役を追いかけ噛み付くシェパードの時点で、人間に勝ち目は無いんじゃないかと僕は思っている。
なので異世界への荷物を準備する時に水や食料は勿論、武器も重要な課題だった。
道具を使えばライオンにも勝てるだろうけど、それは銃などの殺傷能力の高い、そして遠距離から攻撃できる武器だろう。鈍器を使ってライオンに勝てる人間なんて存在しないと思う。
そもそも日本で殺傷能力の高い武器を手に入れる事自体難しい。
銃なんか売っていないし、遠距離武器を一日で使いこなせるとは思っていないので候補から外した。
では手頃な長さを持つ武器としてバットを考えたが、自分に突撃するシェパードに向かってバットを当てる事が出来るか考え、難しいと言う結論に至った。
最終的に取り回しのよさも考えてバットで妥協しようと思ったその時、それは僕の目に留まった。
それはおおよそ武器と言える物ではない。
だが人間であろうと動物であろうと、この上無い恐怖を刻むであろう武器に成り得る。
それは、右手のスプレー式殺虫剤と左手のライター。
組み合わさって出来るのは、すなわち火炎放射器だ。※絶対に真似しないで下さい!
僕に向かって真っ直ぐ突撃してきた猿?はそのまま炎に炙られる事になった。
勿論、スプレー式殺虫剤による火力で魔物を倒せるとは最初から思っていない。
だが炎に炙られ、無我夢中で上半身を掻き毟るように暴れる猿?、そいつが足を止める事こそが僕の狙いだ。
両手のスプレーとライターを地面に投げ捨て、腰に携えた本命の武器を構える。
バットから着想を得た僕が考えた最大殺傷能力の武器、
それは、木槌(ネット通販で約一万円)。
長さ約1mのソレを、僕は完全に足を止めた猿?の横っ面に力の限り叩き込んだ。※絶対に真似しないで下さい!
何かが潰れる感触と圧し折れる感触をインパクトの瞬間に感じながら、僕は木槌を振りぬいた。
強化された身体能力からの木槌の一撃に猿?は吹っ飛び背骨を折る勢いで木にぶつかった。
ピクリともしない様子から、恐らく即死だろう。
木槌を振りぬき、猿?が動かない事を確認した後、フーッと息を吐き出す。
第一戦闘は何とか乗り切れた。
これで異世界物の生存率が随分と上がっただろう。
初めて生き物を殺す事への罪悪感と言う物は不思議と無かった。
有るのは、この世界で生きて行くという決意だった。
ふと考える。
物語なら第一戦闘を終えた辺りで第一話が終わることが多い。
つまりこの瞬間こそ僕にとっての第一話、第一歩とも言えるだろう。
…ところで、割とネタネタしい戦い方したけど、これって一発ネタ世界?
引火して火傷の恐れや、缶が破裂する恐れがあります。
何度も書いていますが、スプレー式火炎放射器等は絶対に真似しないで下さい。警察のお世話になる可能性も有ります。