001 100年後の世界
西暦2015年。タイムマシンによる時間旅行が全世界で流行していた。タイムマシンは全ての道具、乗り物に付けられるパーツとして安価で売られている。誰でも簡単に時間旅行を楽しめて法律さえ守ればどんな時代にでもタイムスリップが可能な便利な世の中になった。当たり前だが、歴史を変える重大事項を破ろうとする者は重罪に罰せられる。時間局の取り締まりは完璧が故に誰もが安全で平和な旅行を楽しめるのだから、特に若い子供達の間では大流行と言っても過言では無かろう。あらゆる分野に興味を抱く思春期の少年少女は、友達と一緒に時間旅行を満喫し、はしゃぎ過ぎて親に怒られるのもしばしばだ。親に叱られる内は平和な証だから余計な心配など必要無いように思えた。だが、本当に時間局の設備は完璧なのか疑問を覚える者もいる。その者は他の学生と同様に朝の7時ぐらいに目を覚まして、母親の作った朝食を寝ぼけ眼で見つめる。朝、重たい食べ物を出されても胃に通らないと知っている筈なのに、目の前にはサーロインステーキやらラーメンなどのカロリーヘビー級王者がズラリと並んでいるのだ。少年は胃を抑えながらも我慢して朝食を食べる。母親がせっかく作ってくれた朝食をいらないの一言では片づけられない。相当な労力と時間を費やしているからこそ、手をつけないなんて考えもしなかった。
「ごちそうさん、今日も美味しかったぜ」
フラフラになりながらも朝食を食べ終わった少年は、歯を磨いて制服に着替えてから玄関を開けた。今日も朝っぱらから学校に行かなきゃいけないのだ。どんなに時間旅行が流行っていても現実世界の使命からは決して逃れられない。小学、中学、高校の間は地面に這いつくばってでも登校する事が暗黙の了解とされている。だから少年は、長い一日を告げる朝日を浴びながら重い足取りを動かしていた。誰も学校の呪縛からは逃れられない。病気や葬式の日は学校を休めるが、そんなのは一瞬の内に過ぎない。明日はすぐにやってくる。時間の流れは何よりも残酷だとその若さで気が付いたのはせめてもの救いかもしれない。
「お兄さん。時間旅行なんて危ないから絶対にやっちゃ駄目だよ」
一人の汚らしい老人に話しかけられた。言動と見た目からタイムマシン反対派の人間だと直ぐに分かった。彼等は救世主教会というカルト宗教に属していて、タイムマシンは愚か機械の存在すら否定しようとする流行遅れの連中だ。宗教特有の神様を信じていて、いかがわしい儀式を毎晩毎晩行っているそうだ。流行を素直に認めない連中と関わる時間なんて今の少年には無k。老人の横腹を足早と過ぎ去って学校まで早歩きをしていくのだった。
学校に到着してからも無限に等しい窮屈な時間が流れていく……嫌、流れていくなんて生易しい表現ではとてもじゃないが説明出来ない。少年には気軽に話しかけられる友達なんていないので、休み時間は地獄に等しかった。眠たくも無いのに机にうつ伏せて寝たふりをする機会が卒業まで続くと思うと発狂しそうになる。そんな自分を何とか抑えて学校を終えると、ようやく楽しい時間がやってきた。世界中で流行っている時間旅行を彼もまた堪能しているのだ。正確に言えば、やっと堪能で出来ると言うべきか。今日誕生日を迎えた少年は親からプレゼントとして時空間転移装置を貰った。このパーツを何らかの道具に装着する事によって、タイムマシンと化すのだ。本当になんでもいいので、いっそ筆箱に付けてやろうかとも思ったが、ロマンに欠けるからやめにした。せっかくタイムマシンにするんだから、もっと画期的な物にしないとカッコがつかないと判断したのだ。少年が持っている中で一番タイムマシンに相応しい道具と言えば、去年の誕生日に買ってもらった携帯ゲーム機ぐらいか。何とも言い難いが背に腹にはかえられない。携帯ゲーム機にソフトを差し込むようにして時空間転移装置を装着して、電源を入れた。ナビゲーションには
《行きたい時代を設定してください》
と書かれている。ここは前々から考えていた100年後の世界を見てみたい気持ちを爆発させて、西暦2115年に設定した。100年後の世界に行くのは誰でも一度は考える事だろう。思春期特有の素直な思考を乗せて、少年は今時空の旅に出かけようとしていた。この先はどんな発展した未来が待っているのだろうかと、期待に胸を膨らませてワクワクするのは自分だけじゃない。きっと皆も同じ気持ちなんだろうなと思いながら、少年は光の渦に包まれていった。しばらくして渦が消えると部屋の中に少年の姿は見当たらなかった。無事、100年後の世界に飛ばされたのだ。
◇◇◇
西暦2115年。今よりも科学が発展して大都会が広がる日本を想像していただけに、目の前に飛び込んできた光景には唖然としてしまった。崩壊したビル群ばかりが目立ち、人の気配など微塵にも感じさせないゴーストタウンが広がっていた。クラスメートから盗み聞きした100年後の世界とは全く違う光景だったからか、少年は無意識の頬っぺたを抓ってしまった。無論、痛みが生じて目も覚めないので現実は現実なのだろう。歩くスピードが、学校に行く足取りよりも更に重くなっているのを少年自身も気が付いていた。未来に期待していた自分なんぞ蟻の如く踏み潰され、今残っているのは恐怖心という感情だけだ。少年は震える指で元いた世界に戻ろうとコントローラーを動かすも、何故か機能しない。電源が入らずに真っ暗なモニターのままなのだ。そのモニターには恐怖に顔を歪ませた少年の姿がハッキリと映し出されている。
「おいおい嘘だろ……勘弁してくれや!」
発狂寸前に追い込まれて冷静さを失ってしまった。がちゃがちゃとコントローラーを動かして何とか電源を入れようとするが、どれも失敗に終わってしまう。周りの警戒を怠らずに一心不乱に元いた世界に帰ろうとしてしまったが故に、背後から近づく足音すら耳に入らなかった。そう、いつだって気が付いた時には遅いのだ。
ガサッ。
と、石ころを踏んだ音が聞こえて振り返ろうとした瞬間。後ろでに縛られて首元にナイフを突きつけられる。何とか目を後ろに向けようと視野を限界まで広げ、銀色に流れる長髪が視界の中に入った。向こうさんも緊張しているのか耳からは女性特有の甘ったるい吐息が聞こえてくる。一応は戦い慣れているようだが、メンタルの部分に問題がありそうなタイプだ。
「貴様何者だ。答えろ!」
「ちょ、ちょ……ちょっと待てって。俺は過去から迷い込んだタイムトラベラーだよ。なにもしないからその物騒な武器をしまってくれ!」
「くだらぬ世迷言を。さては貴様、救世主教会の者だな。その顔を見せろ!」
「いやだから違う……」
次の瞬間。少年は地面に叩き落とされた後、無理矢理仰向けにさせられた。目の前にナイフが迫って恐怖を感じたが、その恐怖心が吹き飛ぶ程の出来事が目の前では起こっていた。銀髪の少女が目に涙を浮かべて、ナイフを地面に落としたのだ。少年は生まれてから友達なんぞいなかっただけに、女に泣かれるなんて経験した事が無かったから反応に困ったのもあるが、それよりも絶世の美少女と目と目を合わせている現実を現実だと思えない自分がそこにいた。
「聖人、聖人なのか?」
残念ながら違う。少年の名前は青木護和だ。どうやら目の前の美少女は完全に他の人と見間違えているらしい。そう考えた護和は必死の思いで首を横に振って人違いなのを説明しようとした。したのだが、騒ぎを聞いて駆けつけてきた他の連中に取り囲まれて唖然としてしまう。周りの人間も彼女と同様に戦闘服を身に纏ってハンドガンやアサルトライフルの類を装備しているではないか。銃を見せつけられて冷静な判断を下すなど一般高校生不可能だ。恐怖のあまり声も出ずに首さえも動かせない。絶えず変化していく目まぐるしい展開に脳味噌が機能停止寸前にまで陥った。少女の口から聞こえる、
「聖人、聖人!」
という言葉が段々遠くなっていき、視界が完全にブラックアウトした。訳も分からず無残に気絶した護和に救いの手が差し出されるのだろうか。それは今の所、誰にも分からない。謎は深まるばかりだった。